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自分を探すためではない。失うために旅をするんだ。だって私は、ここにいるんだもの。

中国の奥地で死にかけたことがある。
生き延びてみれば、ただの食あたりだったようだから、大げさだと笑われるかもしれない。

でも間違いなく、あのとき私は、「もう日本に帰れないかもしれない」--もっと言うと「この見知らぬ地で骨を埋めるかもしれない」、つまり「死」を覚悟をした。

齢21歳のことである。

体温計もないから温度も分からず体感的には40度くらいあるんじゃないかという高熱に浮かされ、食欲は完全に失われ、お腹もなんか痛くて、よく分からない漢字がいっぱい書いてあるスポーツドリンク(推定)を必死で手に入れ、味覚もなくてそれが正解なのかも分からないままとりあえず飲み込んで、ひたすら震えた夜。
2日後には中国の国内線で上海に戻らないといけないのに、検疫で引っかかって独りで取り残されたらどうしようと思えば思うほど熱は上がり、これはただ単にお腹を壊しただけじゃなく今すぐ病院に行かなくちゃいけないレベルなんじゃないかと思い詰めながらも、中国語以外で話しかけようものなら追い払われかねない街の雰囲気ではとてもじゃないけど病院に行くなんて選択肢はなくて。

人生で初めて、はっきりと、死を覚悟した。


大手旅行会社のツアーだったから、完全に油断していた(無茶苦茶安かったけど)。しかも、ご飯が毎食美味しくて、中国でいう普通の量だから実質食べ放題に近くて、大量の油と香辛料とその他の消化タスクがこなせなくて完全に胃腸が崩壊したのだと思う。運営側には何ら非はなかったことを強調しておく。
当たり前だけど、海外旅行は国内旅行とは違うのだ。どこに行っても言葉が通じる人がいて、安心安全快適な国内とは訳が違う。初めての海外旅行なわけではなかったのに、つくづく甘かった。油断した。調子に乗った。(だってご飯が美味しかったんだもの。ちなみに食べすぎたことは全く後悔してない)

気を抜いたら、やられる。慢心したら、追い込まれる。自分の体の声を聞かないと、壊れる。
自分の足で、しっかりと立たなくちゃいけない。
……全部当たり前のことなのに、忘れていた。

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ちなみに、同じツアーの人で終始めちゃくちゃ元気だった人は、海外旅行ではいつも最初の方で1食くらい抜いておくそうだ。なるほど、それが知恵か。(もっと言うと、その時のツアーの人は熟練者?揃いで、突然の雨に備えて、アメリカサイズのポンチョは持っているわ、さっとサンダルに履き替えるわで、その他、正露丸から蘊蓄まで、必要な物は何でも誰かしらが持っているような感じだった。なるほど、これが経験か。)
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2日後には、何とか熱も平熱に戻って、食欲も戻ってきた。えらいぞ、私の体。
回復して初めて口に運ぶ気になった、ネギ入り卵焼きの旨さと言ったら。
今でもネギ卵は、私の大好物の座を譲らない。
何より、食べれるって本当に素晴らしいと思った。

そうして私は、無事に日本に帰ってきて、今も元気に生きている。
オマケとして、ちょっとやそっとのことじゃ動じなくなった。
「中国の奥地に独り取り残されるか骨をうずめるか、という危機に比べたら、そんなもん怖いことあるかいな」ってやつだ。

この旅で帰国した時ほど、ただいま、と心から思ったことはないと思う。
我々はいつだって、失いそうになって初めてその存在に気づく。
ただいま、私の国。
ただいま、私の家。
ただいま、私。

そうして、懲りない私は、モンゴルの草原で自我を見失ったり、ロシアの街中で時間感覚を失いかけたり...を繰り返す。
失って、取り戻して、そして、愛するために。

最後までお読みいただきありがとうございます♪