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似非社会人

いつも思う。

なんで、頭を下げるのかって。
なんで、そこで笑うのだろうって。
畏まって、偉ぶって、気遣い合って、顔色伺って、ご機嫌とって。
内心では、「くそくらえ!」と吠えているくせに。——歪んでいる。

なんなんだこの喜劇は?

そんな日々から学ぶことは、「礼儀」と書いて「こっけい」と読むことかしら?と、嗤いながらそれに擬態する私。
そんな私はさぞ滑稽で、きっと皆に笑われているんだろうけど。

…いや、サラリーマンに向いてないことは最初から分かっていた。
けれど、「食わず嫌い」ならぬ「成らず嫌い」は良くないと思い、兎にも角にもなってみたのである。

だけど、……そもそも、成れすらしなかったのである。


ああ山奥に引き籠って、誰の目にも触れずひっそりまったり暮らしたいものだ。人混みに揉まれ席取り合戦を横目に鬱血した足をさすりながら何度嘆息しただろう。

おいしいもの少しと大好きな人ひとり。必要なのはそれだけ。

それだけなのに、——それだけが手に入らない。


好きなことを仕事にしたいのはやまやまである。
好きなこと、と言っても。私にできるのは、言葉を紡ぐことだけ。
それも——自己満で。呆れるほど自閉なのだからどうしようもない。

クリック一つで物が動くはずもなく、契約するだけでネットが繋がるわけじゃなく、運ぶ人・システム設計をする人アンテナを立てる人ケーブルを引く人…その便利の先に人がいると体感している私としては、何もかもあるのが当たり前になってしまったけど当たり前でなくて、「世界は誰かの仕事で成り立っている」と現場を愛する私としては、書き散らすだけで生きていくのも、なんだかなぁ、というところである。

「だったら、究極的に必要な衣・食・住に関わる仕事をすればいいだろうが」と思うのだが、それ自体を仕事にするとなるとそこまで好きでなかったことに気づくのだから始末に負えない。とんだ我儘である。

そもそも、仕事する=会社へ行くという等式のもとで育った身としては、仕事というものすら分かっていなかったりするのだけど。

いつだったか、「あなたにとって仕事とは?」問われて私は答えた。

「何をして、どう生きるか。」

分かっては、いるのだが。私よ。
何をして、どう生きればいい?

ひとりでは生きていけないのは明白であるから、働くというのは社会に何かしらの関与をすることなのだろう。だからこそ、社会人と呼ばれるのだと思っている。今の私は社会への関わり方が分からないのだから、どうあがいたって似非社会人なのだ。どうすれば、社会人になれるのか。就活の本は数あれど、それは誰も教えてくれない。


さて、どうしたものか……

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