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よろづのことのはになれ!

やまとうたは
ひとのこころを種として
よろづのことの葉とぞなれりける
――紀貫之

はじめてこの詩に会ったとき、
私は瞬時にこう理解した。
日本語は、人の心を種としてあらゆる言葉となれ!という想いを込めた詩なのだと。
正しい対訳を知った今でもそれは揺るがない。
それは私の切実な願望だから、現実もねじ曲がる。

ああ、
言葉ほど取扱の難しいものはなく、
言葉ほど容易く生み出せるものはない。
言葉ほど私を苦しめるものはなく、
言葉ほど私を救うものはい。

この感情は、そんな言葉では表せない。
そもそも感情ではなく衝動か?
ほら、言葉にすれば限定されて、何かを失う。

デジタルの語源がdigit(切り取る)だというのなら、
ならば言葉を持った瞬間にみなデジタルだ。

私から生まれるのに、私の一部ですらない。
生まれた瞬時すでに私のものではなくなる。
子どもと何ら変わりない。

言葉の保管場所は
お互いがお互いに他人のこころのなか
――茨木のり子

管理すらできないのだから、一体どうしろと言うのだ?

それでも私には、どうしたって
突き放すことも、憎むこともできない。

無数に生まれた我が子達よ、
今頃どうしているのだ

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