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現状が苦しいなら、取り巻く構造全体を破壊するか、あるいは┃為事探し日記⑦

”独立せよ!”
"人類の新しい独立 それは国家からの独立に他ならない"
"神から独立せよ……と"
――『沈黙の艦隊』かわぐちかいじ

deconstruction:本当の敵はいつだって、人じゃなくて構造。人間の首をいくら挿げ替えたって、何も変わらない。

数ある名作にも入れ代わり立ち代わり現れる、構造批判。
脱構築、deconstructionあるいは分離、離脱の思想や叫びは、日常のそこかしこに溢れている。
にもかかわらず、現実では異端や狂人として処理されてしまう。

自分をとりまく構造やシステムを一度も疑ったことがない人――世界から受け入れられてきた人――にとっては、主人公が巨悪と闘うただのヒーローショーでしかないためなのか。

あるいは、社会という構造自体を破壊することも含まれている以上、絶対に社会では認めることのできないものだからか。

つきつめれば、"それ"につながっていくからか。
とはいえ〇〇主義というのは総じて危険なものだ。
偏りすぎると何事も良くない。

組織からの独立
社会からの独立
国家からの独立
宗教からの独立
世界からの独立
歴史からの独立
大地からの独立
空間からの独立
概念からの独立

…確かに、deconstructionの果てにあるのは、紛れもなく"それ"しかない。

しかし、「極めるならば」という話であり、バランスをとっていればいい。極端や偏りはいつも危険だ。
そのためには、"脱"だけに拘ってしまわないことが必要だ。
現状批判での退職が困難であるように、現状批判だけでの離脱では宙に浮いてしまうだけ。つまり、虚無あるいは宇宙しかない。そこが最大の危険要素なのだ。

reconstruction:巨悪を倒したヒーローはどうするか。新しい世界を築いてエンドロールを迎えるはず。

そう、deconstructionのあとにはconstructionしなければならない。
だが、脱構築よりも再構築のほうがはるかに難易度が高く、だからこそ脱構築で止まってしまう場合が多い。
大人になったら「嫌だ!」って言えなくなると言われるのは、嫌だと言うと代案を要求されるから黙りこんでしまうせいなのかもしれない。

現状に耐えられないのは明らかだ。ならば再構築するしかない。
だが、悲しいことに代案はない。無い知恵絞っても無いものはない。暗澹たる虚無。
そもそも、革新的で素晴らしいアイデアがあるならこんなところにはいない。

avoid construction:

そもそも、”太陽の下、新しいものは何ひとつない(コヘレトの言葉)”とするならば、”革新的”なものなどありはしないことになる。
この先すべてが何かの焼き回し、改変、派生だとしたら、
そして人生をかけてまでやりたいことがないとしたら、
1日のほとんどを費やせるほど好きなことが”だるん”以外にないとしたら。
嫌いなものをとことん避けていくしかない。

好きなものに溢れた生きやすい世界より、
嫌いなもののない生きにくくない世界のほうが性に合っている。
ない、世界。結局そこへ行くのかい?

逃げ道を探し続けるしかないね。
"人は、ボートを漕ぐように後ろ向きに進んでいくのだ。"
ふぅ、1回休みだ。
おやすみ、ほかる。

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