覚悟|為事探し日記⑩

「楽になりたいから、自由を選ぶのではありません。」

元来「だる~ん」至上主義だから、「やりたいこと」なんてものはない。
だったら適当にだらだらしてれば楽に暮らせるのだろうけど、嫌だと思うことは絶対できない。いや、しない。これのせいで色々なものと衝突しては苦しむし、だる〜んからは遠退く。それでも絶対しない。なあなあでやってしまえば、ずるずると自分が崩壊していく。嫌だ。

やるか、やらないかは、誰かが決めたとか、昔からそうだからとかではなく、自分の評価軸で決めたい。だから、お仕着せの推奨とか、同意していない強制には、しばしば従わない。

といっても、いたずらに否定や反抗をするわけじゃない。
自分の頭で考えて、自分で判断して生きていたいだけだ。
その判断材料に、既存のルールや他人が介入しないようにしたい。
たった、それだけなのに。
そんなことを言ったり貫いたりすると、反抗的だとか、自己中心だとか、他人のことを考えろとか、傍若無人と批判されたり、若気の至りとか世間知らずって笑われる。

なんでだろう?

他人に強制するようなことは絶対しないし、何かを害しようとかそんなつもりは全くない。結果的にそうなったとしても、それならそれでお互い嫌なことをとことん避けあうほうが、そうしないよりは良い状態になれるんじゃないかと思う。今となっては自己中心的な人より、自己以外の何物かが人生の中心になっている人のほうが怖い。
そして、見た目は今でも高校生って言われるけれど精神年齢57歳だし、何回やり直したって同じ判断をすると断言できるくらい考えている。
何より、他の判断に依ったら、後悔しても悔やみきれない。
怨むなら、自分のほうがいい。

きっと、皆がそう言ってくれるのは、
強制も禁止も「私を守ってくれるもの」だからだ。
どんなときでも、真っ当なやつが一番強い。
誰からも愛され、歓迎されるほうが、安全で、楽だ。
どこへ出ても恥ずかしくなく、一点の曇りもないほうが、自由よりもずっと開放的だ。

それでも、私は自由を欲する。
自由は、恐ろしく、脆く、凶暴で、不安定だ。
それでも、私は自分であることを欲する。
たとえ傷つき孤独になっても、自分の足でまっすぐ立っていたい。
ただ、私でありつづけるために。

2020.6.2 恵ほかる

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