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名松線と伊勢本街道、伊勢奥津を訪ねる旅①

名松線から話すべきか伊勢本街道から話すべきか、気の向くまに話を進めよう・・・。


名松線について

Wikipediaによると、
名松線は改正鉄道敷設法別表第81号にある、「奈良縣櫻井ヨリ榛原、三重縣名張ヲ經テ松阪ニ至ル鐵道及名張ヨリ分岐シテ伊賀上野附近ニ至ル鐵道並榛原ヨリ分岐シ松山ヲ經テ吉野ニ至ル鐵道」の一部として敷設された。
しかし、1930年に参宮急行電鉄が現在の近鉄大阪線・山田線にあたる桜井駅 - 名張駅 - 参急中川駅(現在の伊勢中川駅) - 松阪駅 - 山田駅(現在の伊勢市駅)間を開通させたため、松阪 - 名張間の旅客輸送目的で名松線は建設意義を失った格好になり、1935年までに松阪駅 - 伊勢奥津駅間を開通させたにとどまった。
1982年8月、三重県全域を襲った台風10号により名松線全線が不通となり、伊勢奥津駅には2両の気動車が取り残された。当時の日本国有鉄道(国鉄)は特定地方交通線廃止の取り組みを進めており、名松線も第2次廃止対象として三重交通によるバス転換の方針を打ち出し、同年11月には廃止承認申請を提出した。しかし熱心な反対運動や、道幅が狭くバスを走らせるのは困難と判断されたことで復旧作業が続けられ、翌年6月に全線の運行を再開。1985年には廃止承認申請が取り下げられ、存続が決定した。

さらに、2009年の台風18号により、JR名松線は特に伊勢竹原駅から伊勢奥津駅までの間で、大きな被害を受けた。たびたびの甚大な被害の度に廃線の憂き目に。
しかし美杉地域にとって生活に欠かせない交通機関であると同時に、美杉地域の観光資源を有効に活用し、広域における活性化や潤いを創り出す、いわば将来のまちづくりの 重要な基盤であるとの認識のもと、地元住民から鉄道全線復旧の機運が高まり、津市全体へと広がる署名活動へと発展した。
2016年5月、JR東海、三重県および津市の3者によりJR名松線の運行再開についての協定が結ばれ、三重県および津市による名松線復旧対策事業が行われることとなり、津市民の願いであったJR名松線は2016年3月26日に全線復旧している。

伊勢本街道について

「伊勢に行きたい伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」
いまもそうだが伊勢神宮は「お伊勢さん」とも呼ばれる。天皇が参拝されるほど畏敬的な存在であるはずの神宮であるにも関わらず、庶民の誰もが参拝できるものとして、遠くて近く、いつの間にか多少苦労が伴っても行きたいという憧れの存在となり、諸国からの往来が絶えなかったと推察される。
西側から神宮に向かうには大きくは二つのルートがあった。
長谷から榛原、名張、青山を辿るルートと、宇陀、御杖、一志を経由するルート。いずれも先は松阪で合流する。前者は長谷街道の延伸で伊勢街道といわれ、後者は伊勢本街道と言われた。この両ルートの分岐点が大和の桜井であった。
つまり、桜井から松阪までの交通ルートが起こるべくして起こる計画であったのは、この二つの街道の拠点から容易に想像できる。

伊勢本街道、伊勢奥津宿

伊勢奥津駅

伊勢奥津駅は当然無人であるし、当然ホームに自由に入ることが出来るし、当たり前に線路に立ち入って写真を撮ることも可能だ。
乗客は高校生と思しき青年二人。
ここら辺には高校はなさそうだから、たまたま早くに授業が終わった後、おそらく冒険心でここまで来たと推察した。
電車は17時15分発。
だいぶ日が長くなったものの、山間なので暗くなるのは思ったより早い。
待っている間も電車のヘッドライトはついたまま。
そのヘッドライトの光が線路にも反射して、線路が有機質なものになっていた。

発車を待つ電車

電車の発車を待つ間、とにかく寒い。
カメラを持つ手がちぢかんで、指の動きが鈍くなる。
手を揉み、ポケットに手を入れる。
ほんの気休めにしかならない動作だが、繰り返すしか術がない。
そろそろかなあと思いだしたとき、ヘッドライトが一際明るくなり、扉が閉まる音がした。

発車進行

一両編成(一両の場合でも「編成」という言葉を使う必要があるんだろうか・・・)の車輛がゆっくり、じんわりと動き出した。僕はカメラを構えながら見送った。
すぐに山の間に消えて行った。

松阪行き

夕暮れの伊勢奥津

昔の集落は、水が潤沢に確保できることと材木が集積する地に人が集まったと自分は考えている。水は生きていく源であり、木はどのような家であっても必要不可決なものであったからだ。
伊勢本街道に点在する集落、宿所は山中を縫う街道にあって、水と木のどちらもそろっていた。
この一帯は「美杉村(町)」と言われるほど材木が豊富であり、雲出川が流れる伊勢奥津の隆盛はこのような条件がそろっていた。
しかし、現在は上水道が整備されたから、かならずしも川があるところに人が住む必要がなくなった。材木はヘリコプターや大型トラックの輸送に頼れるようになり、近くに山林がなくても良くなった。
近代文化の発展と反比例して、このような集落は衰退していく、伊勢奥津もまた。

実は今日は宿直明けで、仕事帰りにそのまま此処へ来た。
今晩は近くの道の駅で人生初の車中泊を狙っている。
寒さと狭さに耐えられるかどうかが課題だ。
それまでの夕暮れ時に、名松線を走る電車と、街道の様子を写真に収めたいと思っていた。
闇が訪れるまでのあいだ、急いで一通り歩いてみたものの、人を見ず、家の灯りがない。家の中から「くらし」が抜けてしまったような、そんな感覚を肌で感じた。

伊勢本街道
まちおこしで各家に暖簾がかかる

闇夜がそこに迫っていた。

明日は車中で目を覚まし、再びここにきて車を置いて、実際に電車に乗って終点の松阪までを往復する。

この行程を「伊勢奥津宿と名松線を訪ねるささいな旅」と位置付けた。

今回のポスター



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