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【試し読み】宮澤安紀 『日本とイギリスの自然葬法 :現代社会における死の物語の再編』

環境保護を志向した、あるいは「自然」のイメージやシンボル性を強調するような「自然葬法」が、新しい葬送の形として近年注目されています。本書は、イギリスの自然埋葬と日本の樹木葬の背景と実践を比較し、それぞれの社会でどのように個人的な死の物語が成立しているのかを分析します。
特別に「はじめに」を公開します。ぜひご一読ください。

イギリスに滞在していた時期、下宿先の近くに住んでいたインフォーマント
の自宅を度々訪れる機会があった。彼女は最近夫を亡くし、自然埋葬地に埋葬したばかりだった。日本からきた学生が調査のため自然埋葬の実施者を探していると地元新聞の広告で見かけ、自ら連絡をくれた人物である。気丈な彼女は訪問のたび、玄関先で筆者を笑顔とハグで迎えてくれたが、その大きな瞳はいつも彼のいない孤独を湛えているように少しだけ潤んでいた。

彼女の家を訪れるときは決まって、小さな中庭の見える、少し薄暗いキッチ
ンでお茶を飲みながら何時間も話し込んだ。と言っても主にしゃべるのは彼女の担当で、私は彼女の多彩な話題にときおり相槌を打ったり、質問を加えるだけだった。キッチンには夫の写真や、カトリック教徒だった彼の遺品であろう、十字架にかけられたイエスのモチーフがいたるところに飾られ、今はいない彼の気配を色濃く感じた。気まぐれに顔を出す彼女の飼い猫をくすぐったり、持ち寄ったお菓子をつつきながら、ゆるりと流れていく午後の時間を彼女と二人で過ごしていた。

熱心な信仰を持っていた夫とは違い、彼女は神を信じていなかったが、そん
な彼女がインタビューのなかで語ったことでとても印象的だったエピソードがある。

彼女は夫が亡くなったあとの初めてのクリスマス、オーストラリアに住んで
いる孫たちにクリスマスカードを書いた。あなたたちのお爺ちゃんはカトリック教徒で、カトリックにとってクリスマスは、聖母マリアがキリストを産んだとても大切な日なんですよと説明したという。彼はカトリックなので、その教えにのっとれば死後は天国に行くと信じていただろう。しかし彼女は、彼が立派な翼を持つ天使になっているだろうと孫たちに書き送った。もし白かグレーの羽根を見つけたなら、それは天使になったお爺ちゃんが、あなたたちが元気にやっているか近くまで見に来ているからなんだよと。

彼女はそんなことを孫たちに書いた自分を「バカみたいね」と自嘲したもの
の、その想像がどんなに彼女をなぐさめ、勇気づけるものであったのかと言葉を重ねた。彼はいつもカトリック教徒として、彼が知っている人々のために祈っていた。だからきっと彼は今でも、天使になって飛び回り、家族や彼女のために祈っているというのである。

死者が天使になるという話はキリスト教の教義には存在せず、しかも彼女
はキリスト教的な神や天使の存在を根本から信じているわけではないので、彼女自身も心の一部ではそれが馬鹿げた想像だと感じている。しかしそれでも彼女にとって、彼は彼女や家族を助けてくれる天使であり、そのように思うことこそが、彼を失った現実を生きる彼女の支えになっていることが理解された。

しかしながらその一方で、そうした考えは彼女自身の単なる想像の産物であり、他者と無条件に共有できる、受け入れてもらえるとは彼女は考えて
いない
。実際、彼女は孫にこの天使の話を書いたあと、その母親─彼の娘であり、彼女の継娘にあたる─に、まだ幼い孫にこういうことを書いたのだが、大丈夫かと念を入れて聞いているのだ。

このように、死に対峙するなかで、信仰や理性、想像力、空想の間を揺れ動
く彼女の姿は、イギリス社会でも日本社会においても、それほど変わらず見出せるものだろう。伝統宗教の語ってきた死後の世界が信憑性を失いつつある世俗的な社会を生きる我々にとって、死とはどのようなものか、死者はどこにいるのか、自分が死んだらどうなるのかといった問いに対し、明確な答えは持ちづらくなっている。生まれや身分、生業、伝統や性別が、人々の生きる意味を当然のように定めていた時代とは異なり、流動的な現代社会に身を置く我々は、自らの生きる意味を絶えず探し求め、自ら構築しなければならなくなっている。そうだとすれば、我々は現在、生きる意味だけでなく死の意味についても、自ら作り上げ、問い直し、自分でその正当性を納得していかなくてはならない、そんな時代を生きていると言えるのではないだろうか。

1990 年代以降に先進諸国を中心に、環境に配慮した新しい葬送が世界各地
で見られるようになった現象も、こうした状況と無関係ではないように思える。伝統宗教や慣習が引き継いできた葬法を─そしてまた天国や地獄といった死後世界を─否定し、自然や環境、地球という、新たな世界観構築のための素材を提供する自然葬法は、様々なバリエーションを孕みつつも、リベラルな中間層を中心として徐々にその裾野を広げている。我々がたとえ、死後の運命や魂の存在を信じなくなったとしても、身近な死に意味を見出そうとする不断の試みは決して終わらないだろう。そうだとすれば、遺体や遺骨という具体的な身体性を含みつつ、自然のイメージから「自然に還る」という現世的な死後の運命を再構築しようとする自然葬法は、こうした試みに一定の価値観や物語を与えうると言えるのではないだろうか。

本書は、死の意味が自明なものとして与えられなくなった現代社会において、我々はどのように死や死者と向き合うことができるのか、という問いについて、日英における葬法の変化─具体的には「自然葬法」という新たな葬法の背景と実践─を通じ、それぞれの社会に特徴的な傾向を抽出しつつ答えようとするものである。2000 年代以降、国内外を通じて散骨や樹木葬などの新しい葬法に着目した研究が増加しており、本書もそれらの研究に連なるものである。しかし、それらは単に「目新しい」から注目に値するのではない。その新しさや奇抜さは、それらの実践を生み出した歴史的・社会的文脈を丁寧にたどり位置付けることによって、既存の枠組みや価値観を改めて考え直す契機を与えてくれるからである。自らの死や身近な人の死について考えている人にとって、本書が少しでも新たな発見や気づきをもたらすことができれば幸いである。

(つづきは本書にて)

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日本とイギリスの自然葬法 ― 現代社会における死の物語の再編 | 北海道大学出版会 (hup.gr.jp)