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平和の鐘と唱題 614 焼身供養

■2024(令和6)年2月27日 614 焼身供養
(動画の2:38~:)

本日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」。イスラエル大使館前で焼身自殺をした若き米軍兵士の最後の言葉は「パレスチナに自由を」というものでした。

合掌

 昨日、アメリカのワシントンにあるイスラエル大使館前で事件が起こりました。25歳の米空軍に所属する二十五歳の兵士が、今イスラエルがガザ地区で行っている虐殺に抗議して焼身自殺を図ったのです。

 本人は自らが死に至る過程をインターネットに配信していました。道を歩きながら「もうこれ以上ジェノサイドに協力をすることはできない。これから極端なやり方で抗議をする」と語り、大使館のフェンスに向けて自分の全身が映るようにカメラを設置します。そしてカメラの前で燃料を頭からかぶり、地面にこぼれた燃料に火をつけると、またたく間に火が燃え広がって全身を覆いました。時間にして30秒くらいでしょうか。炎に包まれながら、彼はずっとある言葉を叫び続けていました。全身を焼かれて体が硬直するのがわかります。やがて声は途絶え、恐らく意識も途切れたのでしょう、そのまま地面に倒れます。ようやく警察が駆けつけて消火器で消し止めましたが、彼は亡くなったそうです。

 戦争に抗議をする焼身自殺としては、六十年前、ベトナム戦争の時のことを思い出します。当時、南ベトナム政府が行う仏教弾圧に抗議をするため、ベトナム人の高僧が焼身自殺を遂げました。その直前の写真が残っています。座った高僧に弟子がガソリンをかけている最中で、周囲には大勢の僧侶たちが見守っています。慈しみと平等を説く遺書が残されていたそうです。

 なぜ、抗議の方法としてそのような焼身自殺をするのか、その原型となったかどうか確たることはわかりませんが、妙法蓮華経薬王菩薩本事品には自らの体を焼くことによる供養が描かれています。薬王菩薩は前世において仏さまにお仕えをし、最も良い供養をしたいと思った。そこで香油を飲み、自らの体に火を放った。するとまばゆい光が周囲を照らして、無数の他の世界が顕れ、全ての世界の仏さまが口々に「とても尊い供養だ」と称賛をした。その炎は千二百年経ってもまだ消えず、さらに千二百年が経過してようやく消えたとされます。

 仏教経典におけるこのような自らを犠牲とする姿、それが尊い供養になるというイメージが、六十年前のベトナムの仏教に生きていたのかもしれません。そのような行動は他人に対する暴力ではない(非暴力である)との評価もあるようです。私自身は、他人に対する暴力だけではなく自分に対する暴力も存在し、どちらも止めなければならないものだと考えています。ですから、現代におけるこうした焼身行為を良いことだと手放しで評価してよいのかどうか──正直、私には今は分かりません。

 ただ、ひとつ言えることがあります。それは、昨日亡くなった米軍兵士も、六十年前の高僧も、戦争で大勢の人が虐殺される極限的状況を直視し、大切なものを世の中の人々に訴えるためにそのような手段をとったのだということです。六十年前には、大勢の僧侶たちが高僧の焼身を見守っていました。昨日の米軍兵士は、インターネットを通じて世界中の人に犠牲の姿を届けました。全身炎に包まれながら、彼が何度も繰り返し叫んだ言葉、それは「フリー・パレスチナ(パレスチナに自由を)」でした。

 イスラエルは、自らの受けたテロへのあまりにも過剰な反応として、ガザ地区に全面侵攻し二万人以上の人々を虐殺しています。それに対する若者の抗議の形として、私たちの目から見れば焼身はかなり極端なやり方と思えます。しかし彼にとってはそれしかないと思って、インターネット中継のカメラの前で自らに火を放ち「フリー・パレスチナ」を叫んだのでしょう。

 彼自身の振る舞いを評価することは、今は止めます。ただ、彼が伝えたかった言葉、イスラエルに対して虐殺を止めよという意思、現在虐げられている人々が平和な世界で平穏な暮らしをできるようになってほしいという慈悲の願いは、間違いなく届きました。そして、それを世界中の人が同じように受け止めて、今の戦争を止める方向の大きな力にすること。おそらくそれが、亡くなった二十五歳の若い兵士への何よりの供養になるのだと考えます。

再拝

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