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バルビゾンの思い出

きょうは 虹が すごい わたしの住んでいるエリアは 湿気が強めなので 虹は 日常茶飯事レベルで ばんばん出る 出るけど 今日の虹は また 格別 色が濃くて いい虹だった

虹を 描いた絵の中で 一番 好きなのは ミレーの描いた 暗めの色調の風景画の中に くっきりと出た虹の絵 彼の作品は バルビゾンの農村の人々をモチーフにしたものが多いから 虹の絵に気づく人は 少ないかもしれないけれど

パリで 暮らしていた頃(1980年)なんとか ルーブル美術館の入館料を節約しようと 入場料を取らない日曜日に 通っていたのだが それだと 絶対 見ることができない部屋が あることに気づいた ミレーに代表される 日本人が大好きな バルビゾン派の絵が集められた 一室 平日に ちゃんと お金を払って 見たけど まー 感動する 日本人は 後期印象派と バルビゾン派 好きだよねって 言われて ちょっと くやしいみたいな気持ちになったりもするけど 好きなもんは 好き ほんと ルーブルで 実物を見ると 脱力するくらい 感動する

で なに うちら せっかく フランスにいるんだし バルビゾン 行こうよ いや 行くべきだ となって インフォメーションで 下手くそなフランス語で その旨 伝えてみた「バルビゾンに 行きたいんだけど」「パルドン?」どうも わたしの 発音が 合ってないみたいで 思いつく限りの 発音で バルビゾン バルビゾン いうてみたけど まったく わかってもらえず ミレー クールベ コローの名も 叫んで やっと 駅のおじさんが「たぶん ここ?」とMelunという駅を 推奨してきた で 行ってみたら そこでは わたしの発音でも バルビゾンは すぐ わかってもらえたけど 「ここから 10キロかな」と 言われ「バスは ないよ」とも さらっと 告げられた

雨も降り出し みじめな気分で バルビゾンへと続く道路を 歩き始めた 車道に向けて 親指を立てて 一応 ヒッチハイクを試みた あやしげな アジア人カップルのために 車を止めてくれる人は いなかったけど そのうち もう いいや っていう気持ちになって 道路脇に生えていた栗の木の下で 栗拾いを始めたら 一台 止まってくれて バルビゾンの中心部まで乗せてくれた「誰か 乗せてくれ〜」っていう 圧を 発している時は 誰も止まってくれず あきらめて 栗拾いに 興じたら ヒッチの神さまは よし とされたんだろうか よく わからんけど…

バルビゾンは 最高だった まさに バルビゾンだった ミレーの絵で見た光景が 全部 あった 祈りを捧げる 農民たちの姿が ないだけで

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どこを 見ても あ これは あの絵の畑地だね ここで 落穂拾いしたんだね ここで 羊を 追っていたんだ…って 西洋絵画が 好きな人なら バルビゾンでは 半狂乱に なること まちがいなし

ガンヌ親父の宿 ミレーの家 ルソーの家 そして フォンテンブローの森 すべてが 過ぎ去った年月を 感じさせないくらい 当時のイメージのまま 美しく 残っている 残されている やっぱ すごいな フランス

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で 楽しく 過ごした後は また ヒッチハイク 親指 立てて 車道沿いを歩くことにも 慣れてきて 帰路は すんなりと 一台 止まってくれたので 夜までには パリに戻れた 感謝の気持ちを表すために 車中では ずっと「フランスは すばらしい」「パリは 美しい」と 喋り続けた お返しに ドライバーの おじいさんは「ヒロヒト 東条 山本 トヨタ ホンダ TOKIO 」と 知ってる単語を 全部 言ってくれた ヒロヒトは 昭和天皇のことだとは 思うけど あとは よく わからない

楽しくて おいしくて 快適だった旅のことは 忘れてしまうけど 困難な旅のことって ずっと 忘れられない 

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