野原 ましろ

田舎で静かに暮らしています

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マガジン

  • 「東遊記」北半球一周の旅

    結婚して 仕事を辞めて 夫と二人 当時は まだ珍しかった 玄米菜食や 自然食の勉強をしながら 各国の美術館 博物館も 見学して回った 1980年の 地べたの旅の記録です LAから 始まって 東へ 東へと 旅して 旅の終わりは タイのバンコックでした

  • ボストンで勉強したこと

    1980年に ボストンで マクロビオティックの学校に 通っていた日々の 思い出と 記録です

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ボストンで勉強したこと

若い頃、夫と渡米してボストンでマクロビオティックの勉強をしていました。スタディハウスと呼ばれた一軒家で、世界中からマクロビオティックを学びにきた若い人たちと、いっしょに住んで学校に通いました。 その学校は、久司道夫さんという人がリーダーで、日本人のわたしから見たら普通のおじさんでしたけど、西洋の人たちから見たら神か仏レベルに見えるようで、みんな後ろ姿に合掌していました。 マクロビに先にはまったのは夫の方で、彼は深刻な慢性腎炎から玄米菜食で生還した経験から、ジョージ桜沢を信

    • ずっと画像が見られなくて 表示もなんだか変だった PCからのnoteが 以前のように 普通に見られるようになりました 今 流行りの言葉でいうと 「はて?」 引き続き よろしく お願いいたします

      • ほとんど「読み専」になってしまいましたが 今年も どうぞ よろしく お願いします

        • 森茉莉さんが 好きすぎる

          最近 朝井まかてさんの「類」を 読んで 森鴎外の一族のことが すごく 気になり始め 若い頃 とても興味があって でも ご縁が なかった森茉莉さんの本を 数冊 読ませていただくうちに うわあ この方 大好きだわ と のめりこんでいる最中です 森茉莉さんに興味を 持ったきっかけは 若い頃に読んでいた 雑誌の中の記事であったと 思います 明治の文豪の娘でありながら 買い物かごの中に 原稿用紙を 無造作に入れ 執筆するのは お気に入りの喫茶店のテーブルの上 ご本人は いたって 普通

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        ボストンで勉強したこと

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        • ほとんど「読み専」になってしまいましたが 今年も どうぞ よろしく お願いします

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        • 「東遊記」北半球一周の旅
          5本
        • ボストンで勉強したこと
          10本

        記事

          バルセロナで同窓会

          1980年 ちょっと長めの新婚旅行の最中 いろんな国で 大学時代の先輩や 同級生に 何度か 遭遇しました コロナの今から 振り返ると そんなことまで 奇跡のように 思えてしまいますが 当時は たくさんの若者が ツアーではなく 自分の荷物を 自分で背負って 自由に 世界を 歩き回り始めた黎明期だったのです 我々夫婦は 作風は 全然違いますが どちらも画家なので スペインは まさに 見てみたいものの宝庫 どの都市に 行っても 見たい美術館や 場所が ありすぎて 連日 足は 棒に

          バルセロナで同窓会

          本の趣味が合う人は稀

          noteの中で 知り合う人も ほとんどが そうみたいだけれど 友人知人に 読書家が 多い でも 本好き同士で 読んだ本について話してみると 好きな本のジャンルが 人によって ものすごく 違うことがわかる 自分が 読む本が なくなった時 ねえ なんか お薦めの本 ない?と 聞いて 後で 後悔したことが 何度か ある だから 人に 本を 勧める時には 気を使うし「お好きかどうかは わからないけれど」という一言も 付け足してしまう 柚木麻子さんの本は SNSで 知り合った同

          本の趣味が合う人は稀

          Bという町の Rという青年

          これは インドのある町で 出会った 実業家の青年Rの 思い出です 当時 同年代か 少し年下だったと思うので 今も ご存命で ご活躍なさっていたら ご迷惑が かかりそうな話なので イニシャルトークにしますね その町に滞在していた時 わたしは ノイローゼ一歩手前で インドのことが 嫌いになりかけていました 連泊していた 小さなゲストハウスには 朝ごはんの時から 村に住む 少年たちが やってきて ガイドさせろと コバエのように うるさいのです わたしにとっての最終手段「嘘泣き

          Bという町の Rという青年

          飛んで クリスチャニア

          デンマークに旅した時は ボストンの マクロビオティックの学校で 仲良しだった デンマーク人のヒッピーカップルの おうちに 遊びに行きました 電気も水道も 引いてなくて もしかすると おうち自体が 不法占拠みたいな 感じだったのかもしれません  暗くなってくると アイリーンちゃんが たくさんの手作りロウソクに 火を灯して ピアちゃんも 水汲みや 大工仕事で アメリカにいた時よりは オットっぽかったけど 二人は 結婚という制度に否定的だったので アイリーンちゃんは 妊娠していた

          飛んで クリスチャニア

          ビックリするほど忘れる

          noteに 40年前の旅の話を 書く時 当時の旅日記を 読み返して 自分なりに チェックを 入れていますが 自分で あきれるくらい なにもかも 忘れていて 人間の記憶って ほんと 盤石じゃないなと 思います なのに 恨み節系は 結構 何年経っても 色鮮やかに 蘇ってきて でも ちょっと 待って それ 本当に 正確な あの日の真実ですか?って自分で 自分のことが もう 信じられない そういえば 二人の 年代の違う親族から 昔 わたしが 言ったらしいことを 聞かされ 更年期の

          ビックリするほど忘れる

          バルビゾンの思い出

          きょうは 虹が すごい わたしの住んでいるエリアは 湿気が強めなので 虹は 日常茶飯事レベルで ばんばん出る 出るけど 今日の虹は また 格別 色が濃くて いい虹だった 虹を 描いた絵の中で 一番 好きなのは ミレーの描いた 暗めの色調の風景画の中に くっきりと出た虹の絵 彼の作品は バルビゾンの農村の人々をモチーフにしたものが多いから 虹の絵に気づく人は 少ないかもしれないけれど パリで 暮らしていた頃(1980年)なんとか ルーブル美術館の入館料を節約しようと 入場料

          バルビゾンの思い出

          涙のインド旅行

          20世紀後半 世界中の若者たちが どっと インドを 目指したのは ビートルズの影響も あったのだろうと 思います 我々が 新婚旅行の後半に インドを 組み入れたのは 精神世界全般が大好きだった 若き日のオットの 強い希望だったからです わたしは オットと 結婚してなかったら たぶん 生涯 インドの土を 踏むことは なかったでしょう  インドで わたしは いろんなことが つらくて 何度も 泣きましたが それでも 人生を 振り返る時 印象に残った国の ベストテンには いつも 

          涙のインド旅行

          ボストンで勉強したこと 10

          さて、ついに最終回。ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございます。  当時の観光ビザで許された三ヶ月間、ボストンに滞在して、いよいよ旅立ちの日を迎えました。久司ハウスに挨拶に行くと、久司さんは快く記念撮影に応じてくださり、家族のみなさんもいっしょに写真に収まってくれました。それにしても、あの久司先生のおとなりにだらっと映り込むわたくしの「ど」のつくカジュアル具合… 長旅の途中ですので、フォーマルな服装は持たない旅でしたが、もう少しぱりっとした格好で、しゃきっとした

          ボストンで勉強したこと 10

          ボストンで勉強したこと 9

          我々が久司インスティチュートで学んでいた1980年の春から夏にかけて、日本からの留学生は他にはいませんでした。ボストンでの熱気とは対照的に、日本においてはマクロビオティック自体が当時はまったくメジャーではなくて、どちらかというと「古臭い」と思われていた時代で、世の中は とにかく景気が良くて、いわゆる「右肩上がり」の時代でした。食べることに関しては、からだにいいとか悪いとかより、おいしけりゃいい、安くて 手軽に食べられたらなおいいという価値観、そして若者の海外旅行先としてはアメ

          ボストンで勉強したこと 9

          ボストンで勉強したこと 8

          日本でマクロビオティックが注目され始めたのは、健康増進というよりは、主にダイエット効果が期待できたからではないでしょうか。飽食の国ニッポンでは、次々にダイエットブームが起きて、あれを食べればやせる、それを飲んだらやせると、とりあえず「何かを口にする」ことでやせようとするダイエットが興亡している気がします。食べなきゃ簡単にやせるのに?って思いますけど、それは言ってはいけない言葉のようです。すみません。  ではマクロビオティックの人たちは、やせていたか?というと、実はほとんどの

          ボストンで勉強したこと 8

          ボストンで勉強したこと 7

          久司さんの活動は、世界的な広がりをみせていて、東海岸のセレブたちにも強い影響を与えていました。数多くの有名人がマクロビオティックを実践していて、当時その中で一番有名だったのはジョン・レノンさんだったと思います。それと、往年の大女優グロリア・スワンソンさんも熱心な玄米菜食の実践家でした。ボストンを発つことになった時、次はニューヨークに一週間ほど滞在する予定だったので、ほんとうに軽い気持ちで「ジョン・レノンに会えたらいいなあ」と言うと「では、会えるかどうかはわかりませんが、グロリ

          ボストンで勉強したこと 7

          ボストンで勉強したこと 6

          写真は、当時の授業のノートです。たぶん指圧のツボの授業かな? わたしは日本にいた時、そんなに英語が得意というほどでもなかったのですが、アメリカで何ヶ月か暮らすうち、まず聞き取れるようになり、そして 少し遅れて話せるようになりました。すごいな、現地で生活していると自然としゃべれるようになるんだと、喜んだのもつかのま、その後ヨーロッパに渡り、英語が通じないエリアもあって、最終的にはインドに行ったので、あの独特のインド英語で、せっかく身につけた東海岸英語は、こてこてのインド英語に

          ボストンで勉強したこと 6