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世の中で大切なことは大体パワポケが教えてくれるけど……

おはようございます、こんにちは、こんばんは、多田です。

先週末にパワプロ栄冠ナインのアプリがリリースされまして、週末にかなりの時間を割いてしまい、ゲームの魔力に慄いています(笑)
すぐさま時間制限アプリに追加して、時間を無駄にしないようにと思いました。
と同時に、こんなに楽しい時間は無駄なんだろうか?それを制限してまで自分が人生で成し遂げたいことって何なんだろうと、一周回って考えるそんな週末でした。

パワプロシリーズの中でも「パワプロクンポケット」は熱狂的にやりこんだ作品で、学生時代はパワポケのせいで学年最下位を叩き出したこともありました。パワポケのせいにするのは良くないですが認めざるを得ない事実です。
だって英単語は全く覚えてないくせに、パワプロの分岐の経験値や習得能力は丸暗記していたんですから。

そんな熱中したゲームから人生へ得た教訓は沢山あり、特に僕の女性関係は全てパワポケから学んだといっても過言ではありません。
「パワポケはギャルゲー」だど言われるくらいで、常に最良の返答を選択肢から選んでいるような感覚に陥っていることもありました(笑)

けれども、これまで生きた人生の中でこれは個人的な体感として合わないなと思ったポイントを二つ紹介します。
普遍的な事柄ではないと思うので、そういった思考の人間もいるんだなという風にとらえて頂けるとありがたいです。因みにここからが本題です(笑)


・好感度は軒並み上げすぎない方がいい

パワポケではチームメイト、彼女、監督etc、全ての人間の評価を上げることでイベントが進行し、強い選手が育ちます。けれども、現実では「好感度は適宜調節するべきだ」と思います。

第一に好感度を上げすぎることによって、他者からの時間的制約が発生します。パブリック、プライベートどちらでも、自分のパーソナルな時間の範囲を確保することは僕にとっては重要です。
という意味合いでその範囲を逸脱、侵食してくるまでに好感度を上げることは僕個人には弊害が強いのです。
またあまりにも好感度を上げすぎると(特に異性間において)、こちらが上げすぎた好感度を下げる段階でトラブルになることが多いと感じます。相手の承認欲求を不用意に刺激してしまい、それが減ると離脱症状を起こすような感覚です。
カーネギーの「人を動かす」に書かれているような事柄を愚直に実行していた昔の自分を思い出します。諸刃の剣です、効果はすごいんですけどね……

・能力はある程度満遍なく上げた方がいい

パワプロで評価のいい選手を作るためには満遍なく能力を上げるのではなく、能力を特化することが一般的には重要です。選択と集中はパワプロでも現実でも重要なようです。
ただ個人的に言えば、僕は器用貧乏なようで、またそれを改善もしない方がいいと最近思うようになってきました。
どの分野でも突き詰める、極めるということが苦手だと感じるんです。ある程度は出来るけど、そこに直向きに取り組んでいる上の人間には勝てないし、勝とうとも思わない。それが自分の劣等感の種でもありました。

ただ、最近はそんな器用貧乏な自分を認められるようなってきたように思います。平野啓一郎さんの分人主義という考え方によるものが大きいですが、「器用貧乏な自分が矢面に立ってくれていることで、本来の性格の悪さを内包していても上手くやっていける」と感じられるようになってきました。

僕はそんな自分のペルソナを大切にしてあげたいです。どのスペックも一流には出来なくても、じゃあすべてを二流に、オールBの選手に仕立て上げてやろうじゃないか、そんな前向きな気持ちで能力を満遍なく上げようと思っています。


どうでしたでしょうか。
僕個人的には腑に落ちた感覚ですが、友達には「それは強者の理論に過ぎないよ」と一蹴されました。確かにその側面は否めません。

好感度を上げすぎなくて良いという主張も、能力は特化しなくていいという主張も、「それが出来る環境、才能、受け入れてくれる温かい周囲」という存在があるからに過ぎないと言われれば確かにそうです。
それに対して反論は全くできませんが、ただそれらに感謝して生きていくのみです。

ではでは
ここまで読んでくれてありがとうございます。
また、よろしくお願いします!

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