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「発酵食の歴史」を読む。現代の常識を疑え(2)

現代では食料品をコンビニやスーパーなどで購入する方が、時間の短縮になっていて、おまけに費用対効果が高い。オーガニック食品とか、天然発酵によるパンとか割高ながら非常に良く売れている。わざわざそんなものを作るより買ってしまえば同じことではないか、そう思う人が非常に多い。ところが、生活の知恵とか食料に関する知識は忘れてしまって良いものだろうか?

歴史の常識を疑う

現代のグローバル社会は、全世界に情報ネットワークが広がり、ヨーロッパでしか手に入らなかったワインとか、食材もネット通販などを利用すれば手に入る様になる。手近に食べ物が欲しいならすぐに手に入る様になった。過去においては食料品を確保することは生命線であって、旱魃や飢饉の際の保存食の確保は文字通り命に関わることだった。従って、保存食の知恵こそは生きていく上でも欠かせない存在であり、村落や集落などでは共有化された「遺産」になっていった。しかも、発酵食は今回の本を読む限り、人類の住むところならば「全世界」に必ず存在すると言える。

しかも、その保存食の中でも最も普及していたものが「酒」である。ちなみに私は酒を飲まないが、酒宴の無い民族は、宗教的に禁止されているムスリムや部族を除いては全世界に存在する。文明には「麻薬」の存在があったからこそ成り立ったのではないか、という説がある。これは「酒」を含めれば当たっていると思われる。大木幸介「麻薬・脳・文明―物質から精神を解明する」という古い本があるが、メソポタミア文明やエジプト、中国の文明において「酒」の中に麻薬成分を混ぜたものが見つかっていて、酒による酩酊だけでなく、麻薬成分のあるケシや、インカでのコカの葉、インダス文明での大麻(ハシュシュ)など多く見つかっている。それらを酒に混ぜて飲まれていたりした。その中には幻覚を催すものもあり、ライ麦に感染する麦角菌には幻覚を起こす成分も含まれている。ちなみにその成分を科学的に抽出したのがLSDである。

文明を形成する際に大規模な灌漑農業が行われるケースが非常に多いが、穀物の栽培は手間が大変かかる。しかも単一栽培をすればイナゴなどによって壊滅的な飢饉になったことも多いはず。それでも栽培は続けられた。しかも単一栽培をすれば確実に長期的に土壌劣化を引き起こし、やがてその都市ごと捨てられるということも多かった(肥料の存在はあったが、休耕せず、耕し続けることで、土壌が劣化する)。

多くの文明は、長期的展望に立てず作物の栽培によって土壌劣化を引き起こし、その土地を丸裸にしてしまったケースが大変多い。デイビッド・モントゴメリー「土の文明史」にはメソポタミアや、ギリシア、ローマが滅亡を引き起こした遠因にこの土壌劣化があると述べている。それほどに脳を刺激する「麻薬」は魅力的なものだ。夏井睦「炭水化物が人類を滅ぼす【最終解答編】 植物vs.ヒトの全人類史」は、「糖質」には麻薬的な依存性があることから読み解いた内容だが、複合的にこれらの著書を読んでみると、文明はある意味「病い」に侵された存在だと判然としてくる。

文明が人類の歴史の中で果たして「賢明」なものであったかどうか、これらも疑ってみると、どう考えても「愚かしい」としか考えられない。発酵食を活用した人類は確かに「賢明」であったが、それらを過剰に消費し、祝祭や蕩尽などで消費している(現代もそうだが)文明が賢明であったとは考えられない。ある意味「狂気」ではないだろうか。ジョルジュ・バタイユは蕩尽こそ「呪われた部分」として人間の本質を論じている。

現代は分業が進み過ぎている。その意味でイヴァン・イリイチが「脱学校の社会」という著著を読むと、市場経済システムの役割分担によって、ありとあらゆる機器や食料、衣服、居住環境は作られていることをほぼ全ての人が「忘れている」ことがわかってくる。この本でイリイチも、ラジオが修理可能だったものが、トランジスタという集積回路の登場によって、人間の手で生産することの不可能なこの機器が登場したことで、一人の人間で修理することが不可能になったことを嘆いている。要するに自らの手であらゆるものを作ろうとしる意思ですら剥奪されている。これは発酵食という実はお手軽で非常に保存が効く食料品の「意味」すら忘れられているのだ。冷蔵庫に入れるより「発酵」させて保管したら、何年でも食することが出来る食料品があるという存在すら、無かったことにされそうに今はなっている。臭いものは「腐っている」と安易に考えている。私の周りにも大変に多い。賞味期限や消費期限は正しいものなのかどうか、それすら疑ってみることが必要ではないだろうか?冷凍食品が生まれてたかだか、100年にも満たないのだから。

(3)に続く


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