大西 信行

しがない営業マンです。活字本のみ、批評します。小説は基本読みません。

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最近の記事

有機体哲学と微生物学

〈有機体の哲学〉と呼ばれた、科学哲学の著書を書いた人がいる。現代の日本では、「難解」とか「抽象的すぎる」ということで、ほとんどの学者や研究者の多くから、未だに敬遠されている科学哲学者だ。アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドである。 システム論、生命論、有機体の哲学正直私でも「過程と実在」を何年も前に読んだ際は今一つピンとこなかった。ただ、後で調べてみたら「一般システム理論」で有名なルートヴィッヒ・フォン・ベルタランフィやジオデシック・ドームで有名なリチャード・バックミンスタ

    • 「発酵食の歴史」を読む。現代の常識を疑え(3)

      歴史を単純化して、分かりやすくあたかも一貫性のあるかの如く謳う著書が昨今非常に多く、私的に「これは変ではないか」と長らく思っていた。 理由は、様々な環境、人類、生物(微生物やウイルスを含む)らが地球に存在しているのに、どうしてしたり顔で臆面も無く歴史書を書くことが出来るのだろうか?これはもしかして「政治」ではないか?そういう考えを持っていた。ジョセフ・ヒース&アンドルー・ポター「反逆の神話」という本が最近ハヤカワ文庫として出版されたので読んでみたが、実際に思ったのは、私が30

      • 「発酵食の歴史」を読む。現代の常識を疑え(2)

        現代では食料品をコンビニやスーパーなどで購入する方が、時間の短縮になっていて、おまけに費用対効果が高い。オーガニック食品とか、天然発酵によるパンとか割高ながら非常に良く売れている。わざわざそんなものを作るより買ってしまえば同じことではないか、そう思う人が非常に多い。ところが、生活の知恵とか食料に関する知識は忘れてしまって良いものだろうか? 歴史の常識を疑う現代のグローバル社会は、全世界に情報ネットワークが広がり、ヨーロッパでしか手に入らなかったワインとか、食材もネット通販な

        • 「発酵食の歴史」を読む。現代の常識を疑え(1)

          「発酵食の歴史」を書いたマリー=クレール・フレデリックは食品や料理を専門とするライター、ジャーナリストであるが、私が漠然とながら考えていた、「通常言われる歴史認識の「常識」はおかしいのではないか?」という疑問に応えてくれた本で、非常に頷くことが多々あった。冷凍保存も無かった時代にどうやって食料を「保存」していたのかという疑問だ。 現代人にすると、賞味期限とか、消費期限とかが設けられている食料品を購入してて当たり前に考えているが、本来「食べ物には期限がある」というものは20世

        有機体哲学と微生物学

          事実と想像力のはざまにて

          デイヴィッド・モントゴメリーという地質学者がいます。この人の有名な著書は、「土の文明史」、「 土と内臓 微生物がつくる世界 」、「土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話」でこれらは全て築地書館より出版しているが、白揚社から「岩は嘘をつかない―地質学が読み解くノアの洪水と地球の歴史」という本が出版されていることは県の図書館で偶然見かけた。著者名にデイヴィッド・R・モンゴメリーとミドルネームの「R」が書かれているだけで同一人物と判明しなかった不幸な本だ。 正直この本は「信

          事実と想像力のはざまにて

          歴史を微生物から見る視点の必要性

          私は多くの人類が共通して持っている歴史の偏見があると思っている。 1 人類がしでかした「歴史」というものは、人間中心主義すぎており、政治や経済に関しても、他の生物の優位を誇らしげに語りすぎている。 2 人間は目に映らないものより、目に映るものを優先的に考えすぎている。 3 小さなものは、「弱い」と勝手に思い込んでいる。 4 地球の歴史で人間が勝利者の様に書き過ぎている。 そのことに気づいたのは、3年程前に読んだデイビッド・モントゴメリーの三部作「土の文明史」、「土と内臓

          歴史を微生物から見る視点の必要性

          哲学とは「思考法」のことではないか

          私も若い頃、哲学の本を結構多く読んだ覚えがある。けれどある日を境に特別な理由でもない限り読むことはしなくなった。理由はいくつかある。 一つ目、シェークスピアの「ハムレット」で「天と地の間にはお前の哲学などには思いもよらぬ出来事があるのだ」というセリフがあるが、自らの思考には限界があるという思いを20代の後半に思い至ったこと。 二つ目、シオランの影響である。「生の秘密の一切は、次の点に帰着する。すなわち、生には何の意味もないが、にもかかわらず私たちはそれぞれ生に意味を見出し

          哲学とは「思考法」のことではないか

          コロナ禍と沈黙交易

          差別が「恐怖心」に根差している以上、恐怖を克服することが出来ないから、差別は無くならないのだ。そういう議論はこれから出てくるのだろうか?本音ではあまり期待できないのだが、どうだろうか。 コロナ禍になって1年が過ぎようとしているが、一向に差別や偏見が無くならない。当然他の感染症の様に目に見える形では無いし、ましてや無症状者の多いコロナウイルスを相手では、誰が感染しているかわからないだけに全世界が「人狼ゲーム」の様な状態になったとしたら経済はどうなるのか? そう思う人は、古来

          コロナ禍と沈黙交易

          ニヒリズムと生きる意味の決着に関して

          前からnoteの存在は知っていたけれど、正直Amazonレビューにしか備忘録としてしか書いていなかったことを、もっと積極的に読んでもらった方が良いとある人に言われたのもあって徐々に転載していこうと思う。 まずこの本は、ヴィクトール・E・フランクルが1978年に刊行したものであり、アメリカで講演活動に飛び回る中で書かれたという内容で、「夜と霧」(私のAmazonレビュー)で有名な彼にしては「現代的」な問題を扱っている。 それは戦後から30年経過し、日本でもバブル経済に突入し

          ニヒリズムと生きる意味の決着に関して