すべてのことは贈りもの
自分の心の機微に敏感になる。
このことで頭がいっぱいな気がする。
昨日の記事では、
と書いている。
書くこと。
それはどんなことだろう?
書くこと。
それは、ちょっとだけ気持ちが冷めてしまうことのように思う。
なぜなら、「書く」とは出来事や気持ちを「言葉にする」ということだから。
僕は言葉が大好きだけど、完璧なものではないと思っている。
その完璧でないもので、自分の気持ちを表そうとする。
それが「書く」ということ。
頭でっかちになったが、だからこそ気持ちが冷めずに響いてくる言葉ってすごいなと思うし、書けるようになりたい。
気持ちが冷める、と打つと「気持ちが覚める」と変換で出てきた。
僕は好きな表現ではないけれど、「さめる」にも色々あるな、と思った。
胸の火を燃やし続けるのは、容易いことではない。
「燃える」と「燃やし続ける」はちがう。
瞬間的に自分の内側から火がつくことがあっても、燃やし続けるためには外側から資源を手に入れることも必要になってくるのだと思う。
言い換えれば、「自分の外側からの資源も頼りにして、自分の胸の火を燃やし続けることができる」ということだ。
「自分に起こった全ての出来事に感謝する」とは綺麗事のように聞こえるかもしれないが、「全てのことは自分の資源」と捉えることもできる。
くそーと思うようなことも、乾かして薪にすれば、自分の火を燃やすためのいい材料になってくれる。
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