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僕らが共に見つめることができるもの

こんにちは。
いつもnoteを読んでくださり、ありがとうございます。
そして、僕もまた皆さんのnoteを読んで楽しんでいます。
様々なnoterさんがいて、それぞれの視点からの発信を受け取ることができる。
それは、とてもうれしいことです。
皆さんは、どんなnoteがお好きですか?
よろしければ、お好きなnoteについて教えてくださいね。

noteなどのSNSでは、どんどん読み進めてしまう文章もあれば、立ち止まりたくなる文章に触れることもあります。
立ち止まり方も様々ありますよね。
今までにない視点に触れてフリーズしたり、自分の頭を使って考えてみたいと思ったり。
僕が立ち止まりたいと感じる一つに、『「僕がみている景色はそうではない」と違和感を抱くとき』があります。
「主語が大きい」とか言いますよね。
『その主語に自分は含まれないんだけどな』と感じるときに、立ち止まってしまいます。

人が見ている景色というのは、それぞれ違うものだと思います。
僕が見ている景色をあなたは見ることができない。
あなたが見ている景色を僕は見ることができない。
それは、「自分だけが見えている景色がある」とも言えるし、「自分が見ている景色は他の誰にも見えていない」、「自分の景色を完璧には他者と共有することができない」とも言えます。
そんな僕たちが、「共に見つめられるもの」はあるのでしょうか。

先の言葉を言い換えてみましょう。
僕が見ている景色を、あなたは僕の視点からは見ることができない。
あなたが見ている景色を、僕はあなたの視点からは見ることができない。
共感性が飛び抜けて、他者が見ている視点について自分の目からも同じように見える人もいるかもしれませんね。
他者の視点に対して、想いを馳せたり、想像することはできても、同じものを手にするのは難しいことのように感じます。

他者と同じ視点からの景色を見ることは難しくても、「それぞれの視点から、同じ対象物を見つめること」はできるのではないでしょうか。
ある対象物に対して、「私にはこう見える」「僕にはこう見える」と語り合える。
それができることが、「互いを尊重すること」だと感じます。


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