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【聖バッカス信仰】サッポロビール千葉工場『麦とホップを製す連者(れば)ビイルという酒になる』(夏目漱石|ビール飲酒猫水死事件の報道特集!)


はじめに 「吾輩は猫である」

サッポロビール工場パンフレット

※千葉工場見学終了のお知らせ(2023年12月24日が最終日)

バッカスとバプテスマ

ディオニュソス(バッカス) 資料集1

Di‐o‐ny‐sus,-‐sos/dàɪənáɪsəs/
〓〖ギリシア神話〗ディオニュソス《酒と演劇と多産の神;〖ローマ神話〗 Bacchus に当る;→ Ariadne》.

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

ディオニュソス
Dionysos
別名をバッカスともいう,ギリシア神話の酒神。ゼウスとテーベの王女⇨セメレの子だが,母がヘラの奸計にはめられ,ゼウスに雷神の正体を示すよう強要して,その熱によって妊娠中に焼殺されてしまったため,ゼウスによって母体から取出され,父神のまたの内に縫込められ,月が満ちるとそこから出されてセメレの姉妹のイノに預けられたが,イノもヘラによって発狂させられたので,ゼウスは彼をニュサという土地に移し,ニンフたちに養育させた。成長すると,⇨シレノスと⇨サチュロスたち,および狂信的な信女の群れを従え,世界中にぶどうの栽培を広め,女性の信者を狂気に陥れ,山野で乱舞させ法悦を体験させるディオニュソス教を広めて回った。最後には冥府に行き,そこから母を上界に連れ戻して,母子ともにオリュンポスの神々の仲間入りをし,テセウスによってナクソス島に置去りにされた⇨アリアドネを妻にめとって,彼女も女神の仲間入りをさせた。ディオニュソスの祭祀は,アテネではギリシア劇を発生させ,また⇨オルフェウス教と結びついて,ヘレニズム時代に流行する密儀宗教の一つとなり,初期のキリスト教ともさまざまなかかわり合いをもつなど,文化史的にきわめて重要な役割を果した。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.
アリアドネ(右)とディオニュソス(中央),サチュロス.薄浮彫,バチカン美術館蔵

オルフェウスきょう【オルフェウス教】
Orphism
⇨オルフェウスを伝説上の創始者とする古代ギリシアの密儀宗教。密儀に入信し,肉食の禁止などの戒律を守る信徒に,死後の世界における幸福を約束した。ゼウスの愛児⇨ザグレウスの生れ変りとされる⇨ディオニュソスを主神とあがめ,人間の肉体は,ザグレウスを殺して食べ,ゼウスの雷によって焼殺された悪神ティタンたちの灰からつくられたが,そのなかにはティタンに食われたザグレウスの破片にほかならない不滅の神的霊魂が閉じ込められていて解放と神界への復帰を渇望していると説く。その教義によって,プラトン哲学やグノーシス派の教理などに強い影響を与え,西洋の神秘思想の重要な源泉の一つとなった。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

アリアドネ
Ariadne
ギリシア神話の女神。もとはクレタ王ミノスとパシファエの長女であったが,⇨ミノタウロス退治にクレタ島に来た⇨テセウスに恋し,彼に導きの糸を持たせて,怪物を退治したあと迷宮から脱出できるようにしてやった。このあと彼女はテセウスとともにクレタから出奔するが,アテネに向う航海の途中でナクソス島に置去りにされ,そこで⇨ディオニュソスと結婚して神々の仲間入りを許されたという。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

テセウス
Theseus
ギリシア神話の英雄。アテネ王アイゲウスが,デルフォイからの帰途トロイゼンに立寄ったおりに,ピッテウス王の娘アイトラと一夜の交わりをもちもうけた子とされるが,実の父はポセイドンともいわれる。トロイゼンで育ち,16歳になったときアイゲウスが残していった剣とサンダルを大岩の下から取出し,この証拠の品を持って,途中多くの悪者たちを退治しながらアテネに行き,アイゲウスの妻になっていたメデイアの妨害を排し,父に認知された。そのあとクレタに行き,怪物⇨ミノタウロスを退治して,帰国後アテネの王位についたが,以後も無二の親友ペイリトオスとともに,まずスパルタから⇨ヘレネをさらってきてアイトラに預け,次に冥府にペルセフォネをさらいに行って,ハデスに捕えられ,⇨ヘラクレスに解放されてようやく上界に帰還するなど,多くの冒険をした。アマゾンの女王アンチオペと結婚して,息子⇨ヒッポリュトスをもうけたが,のちに再婚したミノス王の娘⇨ファイドラの讒言を信じ,無実のこの息子を死にいたらしめたとされ,最後にはスキュロス島で,リュコメデス王により謀殺されたという。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.
ミノタウロスを退治するテセウス.壷,部分(前6世紀)クレオフラデスの画家,大英博物館蔵

バプテスマ 資料集2

せんれい 洗礼(baptisma)
元来は、「水に浸され切ること」の意。つまり、旧約以来の、死の大水に襲われることを表現するものと思われる(サム下22:5、詩42:8,69:2-3等多数)。マコ10:39-39、ルカ12:50は、この意味合いであろう。
洗礼者ヨハネの場合も、この原意がまだ生きており、水の中に―洗礼者によって―浸され切る行為が「バプティスマ」であった。それを救済秘蹟的に活用したのは洗礼者の独創。字義を汲んで訳せば「浸水礼」。その後でキリスト教の人信術後と化すが、その際、邦語では「せんれい」と称するか、ほぼ原語通り「バプテスマ」と読む慣例になっている。

岩波書店「新約聖書」

せんれい【洗礼】
baptisma; baptism
キリスト教で,水によって神の名(普通は三位一体の名)において原罪,自罪とそれによる罰を許し,人を神と教会の子,すなわちキリスト教徒とする⇨サクラメント。「浸す」というギリシア語 baptizōの名詞形。水を用いての清め,あるいは新生を与えるという思想は,古代東方諸宗教をはじめ旧約聖書にもみられるが,教団入信の儀式としての確立はユダヤ教への改宗者に対してなされたものによる。イエスもヨハネから洗礼を受けたが,ヨハネのものは,すべての人に要求された終末的悔い改めの洗礼であったのに対し,イエスが命じた洗礼は,罪の許しと永遠の命を得させるものとなった。イエスが復活後,弟子たちに命じたことに基づいて,洗礼は聖霊の力によって「イエスとともに死に,ともに新しい命に生きる」契機となり,復活のイエスのからだである教会の肢となることを意味する公の礼典となった。 12世紀頃までは全身を水に浸したが,今日では頭部への灌水が一般的。初代教会以来,受洗には信仰告白が前提であったが,2世紀に⇨幼児洗礼が確立。⇨バプテスト派は幼児洗礼を認めず,自覚的信仰告白に基づく浸礼を主張。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

夏目漱石の『ビール飲酒猫水死のシーン』とは何だったのだろう?

夏目漱石の『猫』を多くの方はご存知だろう。
勿論そうです。
夏目漱石の処女小説「吾輩は猫である」の『猫』のことです。

そしてあなたはこの小説の『猫』の顛末をご存知だろうか?

あなたはそこに「終末論」を見ますか?

それともあなたはそこに「黙示録」(revelation)を見ますか?

夏目漱石の『猫』の最後とは『バプテスマのシーン』である

どうしても猫とビールは性が合わない。・・・またぴちゃぴちゃ始めた。・・・我に帰ったときは水の上に浮いている。苦しいから爪でもって矢鱈に掻かいたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐってしまう。仕方がないから後足で飛び上っておいて、前足で掻いたら、がりりと音がしてわずかに手応があった。ようやく頭だけ浮くからどこだろうと見廻わすと、吾輩は大きな甕の中に落ちている・・・

次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても差支えはない。ただ楽である。否楽そのものすらも感じ得ない。日月を切り落し、天地を粉韲して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。

夏目漱石「吾輩は猫である」の最後

このように夏目漱石の『有名な猫』はビールを飲んだ後に「水かめ」に落下し溺れて落命するらしい。
酔っ払いの「猫水死事件」である。

猫のバプテスマ

このシーンは『猫』のバプテスマを示していると思われる。
土俗の酒神|ディオニュソスがカトリックに降ることを示している。
これがペルソナ(三位一体)の発生となるというのは体感的に理解しやすいと私は思う。

ペルソナ 資料集3

ペルソナ
persona; person
位格ともいう。本来の意味は俳優のかぶる仮面。そこから奥にある実体を意味することになり,個的人格 personの意となる。キリスト教神学におけるペルソナ(位格)とは,⇨三位一体論に関して,神の唯一の神性のなかの三つの「私」といえる基体の意であり,客観的に1個のそれ自体で完結している全体,直接神に向ってつくられた唯一のものとして,それ自体で完成した理性的な単一実体 substantiaを意味する。これはテルトゥリアヌスによるとされ,以後この語は西欧神学,哲学において,認識と愛とをそなえた精神的実体の意で用いられた。⇨ユングの心理学では,表に現れた仮面として,社会的な⇨パーソナリティを意味する。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

persona (per‐sō′nă)〓
[L. per, through+sonare, to sound.役者の発声を助ける古代劇用の面についている小さなメガホンから声が聞こえるの意].ペルソナ(その個人全体を統合する語.その人個有の物理的,心理的,行動的属性の全体像.Jung心理学において,パーソナリティの中で周囲に受け入れられる理想的なもの,真のパーソナリティを隠すために装われたもの.→ego; self (4). cf. shadow (2)).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

夏目漱石「吾輩は猫である」の『猫』はカトリック信仰の入れる場所を自らの内に確保することで「永遠の命(パン)」を受肉している。
『猫』は「永遠の命(カトリックロゴス感覚)」となったのです。
そのことは「吾輩は猫である」の最終盤に『猫』がビールを飲酒し水死するシーンに顕れている。
「カトリックロゴス感覚(吾輩は猫である)」から形成される「唯一性のペルソナの確立」は「バプテスマ」によった「神の王国の到来」となっている。
それが夏目漱石「吾輩は猫である」の最大のテーマだった。
そういう意味で夏目漱石「吾輩は猫である」は「カトリック信仰から形成されるオリジナル」である。

ハインリヒ・ハイネ「流刑の神々」はカトリックに降る土俗の神々を示している。
それはアイルランドの祭「ハロウィン」にも現れているだろう。
ハロウィンは土俗の神の祭であるがカトリックの祭として現在存在している。
それはカトリックに降った土俗の神々の姿である。
夏目漱石の『猫』が表しているのはカトリック信仰の「バプテスマ」なのです。
夏目漱石の『猫』は「黙示録」(revelation)により救済されたと言えるのです。

漱石山房記念館裏|「猫の墓」(牛込区早稲田南町7番地)

私は「吾輩は猫である」のビールの真相を探るために『サッポロビール千葉工場』に潜入した

2023年6月28日(水曜日)津田沼のバス停

津田沼からシャトルバスが出ている。(私は新京成|新鎌ヶ谷駅から出発した)
この施設はサッポロビール千葉工場見学以外にも船舶内の見学や焼肉食べ放題のレストランがあります。
レストランだけでも利用可能です。
もし焼肉を食べる機会があるならこの店にしたい。
(ビールはもちろんサッポロビール)

サッポロビール千葉工場到着

津田沼を出発して30分ぐらいで到着します。
途中新習志野駅に停車します。
サッポロビール千葉工場の右側は海です。
オレンジ色の船舶が停泊しています。

昔のポスター

缶ビールの変遷

千葉工場見学スタート(開拓者の北極星)

サッポロ黒ラベルが正式名称になったのは『1989年』

そしてこのサッポロビール千葉工場は1988年より稼働しているらしい。

麦芽とホップの説明と窓の外の発酵タンク

麦汁を製造する

麦汁製造の後に「発酵タンク」に移される。
「発酵タンク」は窓の外にありました。

ビールの知識の講義(今日はテイスティングに関するもの)

ここから先は撮影禁止(ビール製造と関係ないからだと思います)

ここ以降はパッケージのラインでした。
ビールとは関係ないので特に面白くなかったです。

見学はここで終わりです

※写真は1876年(明治9年)9月23日『開拓使麦酒製造所』の開業式の記念写真

「麦とホップを製す連者(れば)ビイルという酒になる」

札幌ビール発売は1877年(明治10年)とあります。
夏目漱石の「吾輩は猫である」は1905年(明治38年)に発表されている。
また恵比寿ビール発売は1890年(明治23年)とあります。
そして「吾輩は猫である」の舞台は東京であるらしい。
何故ならば神田周辺で主人が遊ぶ話があるから判断されます。

夏目漱石の「吾輩は猫である」の『猫』が飲んだビールはもしかしたらサッポロビールかもしれない。
しかしサッポロビールでない可能性も充分あるだろう。
何故ならば夏目漱石は「吾輩は猫である」を本郷区駒込千駄木町で執筆したと考えられている。
そうなると「吾輩は猫である」の『猫』が飲んだビールは「サッポロビール」が東京に創った「恵比寿ビール」である可能性の方が高いかもしれない。

この後に「黒ラベルビール」のテイスティングです。

やはり美味しかったです

『猫』になって死んでしまいそうでした。

バプテスマです

テイスティング後に新品のグラスが貰えました

サッポロビールショップ

私は恵比寿ビールのビールマグ(明治41年)を購入しました

恵比寿ビール発売は明治23年(1890年)です。
夏目漱石作「吾輩は猫である」の発表は明治38年(1905)であり時期が近い。
当時高評価され話題となっていた恵比寿ビールが夏目漱石の「吾輩は猫である」のビールである可能性は充分あるだろう。

夏目漱石 資料集4

焼肉レストラン写真情報

最後に

もしかしたら「吾輩は猫である」の『猫』が飲んだビールはサッポロビールであるかもしれない。
しかし当時サッポロビールが東京にどれほど出荷されていたかは不明である。
サッポロビール工場が当時関東近くにあったかどうかも確認できなかった。

しかしサッポロビールが当時創業した「恵比寿ビール」は東京に存在し非常に評価が高く人気も高いビールであったらしい。
もしかしたら夏目漱石の『猫』が飲んだビールは「恵比寿ビール」かもしれない。

そして日本のビール会社のイマーゴ(真善美の回復)とは『サッポロビール』であるかもしれないと私は感じた。

『祭』

imago Dei 〔L.〕
神の似姿〔カトリック教会〕
〈91学術・キリスト教〉

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

サッポロビールが『祭』であるなら他のビール会社は『祭礼』ということであるだろう。

『祭礼』

cult (kŭlt)〓
[L. cultus, an honoring, adoration].祭儀,礼拝形式,祈祷療法(教義または宗教的な教えに基づく体系化された信仰および儀式.従順な献身的な信者,指導者の非現実的な理想化,個人的な欲望や目的の放棄および伝統的な社会価値観の排除などの特徴がある).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

柳田國男『祭から祭礼へ』

是でもマツリだろうかと思うような静かな質素な小社な祭を見ると、あれは信徒に力が乏しくて、万ず簡略を旨とし、ただ形ばかりを行うて居るのだろうという想像も起こりがちだが、それは今一つ他の一面に、「祭礼」の方が後に色々の趣向を凝らし、新たな催し物などを附け添えて、斯ういふ花々しいものにしたのだろうといふ見方も成立つので、実際は其方が多く当って居るのである。

柳田国男全集「祭から祭礼へ/日本の祭」

柳田国男「祭から祭礼へ」 資料集5

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