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【聖織田信長信仰】(仮説)安土城とは安土宮殿(日本国のバチカン宮殿)だった!?


これはカトリック(最高善の神)の黙示録(revalation)である


2023年7月ラクマで購入
「魚とパンのペンダント」
御年90代のシスターが若いころフランスに居られた頃の品(イタリアかフランスのお品らしい)
2023年7月メルカリで購入
「フランス アンティーク十字架」
「krank marcello」にて購入したらしい。

まえがき

安土城の築城は近世式の天守閣においてイマーゴ(真善美の回復)と言われている。
しかし一般に言われている歴史では天正 10(82)年6月2日、「本能寺の変」の後に焼失しているため実際の姿を知ることはできないとされている。

最近大規模な安土城発掘調査の発表があった。
バチカン宮殿へも調査が行われるとある。
バチカン宮殿には織田信長と安土城に関する何らかの資料が存在する由縁があると見られる。

あづちじょう【安土城】
滋賀県蒲生郡安土町にあった平城。もと六角氏のあずち(弓の練習場)のあったところという。六角氏を滅ぼした織田信長が,天正4(1576)年に築城。普請総奉行丹羽長秀,奉行森三郎左衛門,大工頭岡部又右衛門。結構は山城から平城に移行する過渡的形式をもち,石造5層7重の天守閣を中核とする大城郭。特に近世式の天守閣はこれによって完成した。築城資料としては『⇨信長公記』があり,近年発見の加賀藩大工家の『天守指図』は安土城のものとの確証を欠いている。天正 10(82)年6月2日本能寺の変によって信長が倒れると明智光秀に接収され,山崎の戦いののち来攻した織田信雄の軍兵のために焼かれて廃城。現在,外構と石垣の一部を残すにすぎないが,城址には信長菩提のため建立された臨済宗遠景山総見寺がある。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

ここで私が指摘したいことは安土城が「信仰から形成されたオリジナル」として存在しているとしたら後に建造された天守閣は「オマージュ(印象操作)」であると判断される。
では「信仰から形成されるオリジナル」を弾圧して存在する「オマージュ(印象操作)」とは何だろうか?

『信長公記』に見る「ダビンチコード」

おおたぎゅういち【太田牛一】
[生] 大永7(1527).尾張
[没] ?
安土桃山時代の武人,『信長公記』(16巻),『大かうさまくんきのうち』(1巻)などの著者。尾張国春日井郡安食村生れと伝えられる。通称又助。信長,秀吉に仕え,のち秀吉の側室京極殿(松丸殿)付きの士となった。この頃から信長および秀吉の功績を中心とする記録を綴っていたが,慶長 10(1605)年前後に完成した。ほかに『豊国大明神臨時御祭礼記録』『内府公奥州軍記』『関ヶ原御合戦双紙』『今度之公家双紙』などの著書がある。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

しんちょうこうき【信長公記】
「のぶながこうき」とも読む。別名『安土記』『信長記』。安土桃山時代の軍記。 16巻。⇨織田信長,のち豊臣秀吉の右筆太田和泉守資房(牛一)著。慶長5(1600)年頃成立。首巻は信長の幼少時の織田家,尾張,美濃およびその周辺の政情,永禄 11(1568)年上洛するまでの信長の経歴を記し,第1~15巻は,上洛後から天正 10(82)年までの信長の事績を編年体で記述し1年を1巻に収めたもの。全体を通して誤りもあるが,信長およびその家臣の伝記史料としてよく使われる。写本が数種類ある。なお『⇨史籍集覧』に収める『信長記』(15巻)は慶長 16(1611)年⇨小瀬甫庵がこの『信長公記』の一部を書直したもの(22刊)。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

「蛇石(じゃいし)」はダビンチコード 

「魚」は「蛇」であり「パン」は「石」を示している

2023年7月ラクマで購入
「魚とパンのペンダント」
御年90代のシスターが若いころフランスに居られた頃の品(イタリアかフランスのお品らしい)

このとき、津田坊が大石を安土山の麓まで運び寄せたが、蛇石という名石で、とてつもない大石であったから、どうしても山へ引き上げられなかった。しかし羽柴秀吉・滝川一益・丹羽長秀の三人が指揮して、人足一万人を掛からせ、昼夜三日がかりで引き上げた。

新人物往来社「現代語訳 信長公記(下)」

ここに明智光秀の名前がないことに何か意味があると思われる。
想像だが明智光秀の「謀反」ではなかったことを示したいのではないだろうか!
私は津田坊羽柴秀吉・滝川一益・丹羽長秀の4人が怪しいと思う。
何故なら「蛇石」の意味はカトリックに於いて「最悪」を示しているからです。
「蛇石」(最悪)を「運び寄せ」「引き上げた」という記述であろう。
それは「バフォメット」の存在を暗示している。

「蛇石」は現在所在不明とされているらしい。
これほどの巨石が所在不明とはなんとも不可解な事実であろう。
これは聖書の一文を暗に示したダビンチコードであると考えられる。
「魚」は「蛇」であり「パン」は「石」を示している。
「パン」と「魚」はカトリック(最高善の神)の恵の象徴である。
それはカトリック信仰から受肉する「叡智」を示している。
織田信長の「楽市楽座」「天下布武」などはその典型であるだろう。

安土桃山時代の「美」とは「安土」が「美学」であり、「伏見」が「利益追求」による「豪華絢爛」となる。

そのような「利益追求」を廃棄し「信仰を入れる場所を確保すること」が「美の学問の形成」となっている。
そして「美の学問の形成」が「美学」と言えます。
そのようなイマーゴ(真善美の回復)が「白ミサのヒューモア(善き羊飼い)」である。
それは「芸術性」です。
それは「最高のイノセント」です。
「美学」としての「安土」とは織田信長の「美学信仰(カトリック)」としてあった。
だから「信長」なのだろう。

しかしそれに対する「黒ミサアイロニー(堕天使ルシフェル召喚)」が「利益追求」としての「伏見」を生んだのです。
それは「ヲタ芸」です。
それは「最大のギルティ」です。
「美学」を「醜悪」として貶め冒涜し、「醜悪」を「スター」の如く祭り上げ崇拝する「利益追求」が存在した。
「利益追求」としての「伏見」は豊臣秀吉らの「利益追求崇拝(プロテスタント)」としてあった。
だから「豊臣」なのだろう。

このように「安土桃山時代」とは「ユートピア」と「ディストピア」の縮図となっている。

2023年7月ラクマで購入(右下)
「魚とパンのペンダント」
御年90代のシスターが若いころフランスに居られた頃の品(イタリアかフランスのお品らしい)
2023年7月メルカリで購入(左上)
「フランス アンティーク十字架」
「krank marcello」にて購入したらしい。

聖書における「蛇石」(求めれば与えられる マタイ、 ルカ)

求めれば与えられる(マタイ 七 7-11)

求めよ、そうすればあなたたちに与えられるであろう。探せ、そうすればあなたたちは見いだすであろう。叩け、そうすればあなたたちは開けてもらえるであろう。なぜなら、すべて求める者は手に入れ、また探す者は見いだし、また叩く者は開けてもらえるだろうからである。
あるいは、あなたたちの中で誰が、自分の息子がパンを求めているのに、石を彼に与えるような人間であろうか。あるいは魚を求めているのに彼に蛇を与えるであろうか。だから、もしあなたたちが悪人であるにもかかわらず自分の子供たちには良い贈物を与えることを知っているとすれば、天におられるあなたたちの父はなおいっそう、彼に求める者に〔さまざまの〕良いものを下さらないであろうか。

岩波書店「新約聖書 マタイによる福音書」

求めれば与えられる(ルカ 十一 9-13)
この私もあなたたちに言う、求めよ、そうすればあなたたちに与えられるだろう。探せ、そうすればあなたたちは見いだすだろう。叩け、そうすればあなたたちは開けてもらえるだろう。何故なら、すべて求める者は手に入れ、また探す者は見いだし、また叩く者は開けてもらえるだろうからだ。
また、あなたたちの中で、誰が魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を彼にあたえるような父親だろうか。あるいは彼が卵を求めているのに、彼にさそりを与えるだろうか。だから、もしあなたたちが悪人であるにもかかわらず自分の子供たちにはよい贈物を与えることを知っているとすれば、天の父はなおいっそう、彼に求めるものに聖霊を下さらないだろうか」。

岩波書店「新約聖書 ルカによる福音書」

1 真偽の「真」

ここで分かりやすくするために幾らか例を挙げたいと思います。
聖宮崎駿と彼の後継者と言われるアニメクリエーターの比較は非常に分かりやすい現代感覚だろうと思います。
彼らの作品は同じアニメ映画のジャンルですがその内容は大きく異なっています。
先ず大きな違いを指摘すれば真偽の問題が大きく取り沙汰されます。

アメリカ合衆国の前大統領トランプ氏はマスコミュニュニケーションをフェイクニュースであると指摘しました。
そして自分の言葉(発言)は「嘘のない言葉」であると主張しました。

では「真」とは何でしょうか?

本来であればその前提は「カトリック信仰」であり「神のことば」であると主張されます。
「信仰」は「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」の容易さによって確保されていきます。
それによって「神のことば」が受肉します。
そのような「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」の容易さの強い場所がサンクチュアリと呼ばれ一般にカテドラルを中心に形成されます。
そのようなあり方は叡智の受肉を賛美し「神の王国の到来」へ導くのです。
私はそれを「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」と呼んでいます。
最高善信仰とはそのような「神のことば」を受肉することを指します。
それが真偽の「真」です。

2 真偽の「偽」

では「偽」とは何でしょうか?

「神のことば」を完全弾圧した「人のことば」を指します。
それは先程指摘した「カトリック信仰」の場所の破壊を指します。
それは「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」の容易さが強い場所を殲滅していくことで可能となります。
それはマスメディアのコンテンツから発せられる「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」の容易さへの扇動活動によって可能となっていきます。

ここで言えることはマスコミュニュケーションは「神のことば」を伝えることを指しマスメディアとは「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」の容易さを指しています。
そして「doxa」とは「人のことば」を指し真偽の「偽」であるのです。

例を挙げれば受験勉強です。
受験生は入学試験の回答を廃棄して試験の正解を得られません。
受験勉強の知識は仮にそれが真(神のことば)ではなくそれが偽(人のことば)であっても全くかまわない。
もし真偽に拘った受験生が居たとしたらその人は真っ当ではありますが入学試験の落伍者となるでしょう。
何故ならば真(神のことば)に拘っても入学試験で得点は得られず不合格となるからです。

3 「安土城」

では話を『安土城』に戻します。

安土城が真(神のことば)に拘ったカトリックの存在であり、その後の城郭建築が偽(人のことば)の鵜呑みに拘った存在だとしたらそれは何を意味しているでしょうか?

幾らか日本国には城郭建築が存在します。
ここでは敢えて熊本城を引き合いに出したいと考えます。
近年の地震で被害を受けた熊本城は村上春樹を始め多くの著名人がその美しさに賛美の発言をしているからです。

では安土城が「真(神のことば)」であり熊本城が「偽(人のことば)」であるとしたらそれは何を意味しているのでしょうか?

幾らか考えられます。
歴史の真偽もあるかもしれません。
しかしその判別は難しいでしょう。
簡単に言って「安土城」は「白ミサのヒューモア(善き羊飼い)」であり「熊本城」は「黒ミサアイロニー(堕天使ルシフェル召喚)」と言えるものと見做せます。
「安土城」の「最高のイノセント」による「白ミサ」へ一々敵対する「熊本城」の「最大のギルティ」による「黒ミサ」です。
「芸術性」の「白ミサ」へ一々敵対する「ヲタ芸」の「黒ミサ」です。
そのあり方はイマーゴ(真善美の回復)とオマージュ(印象操作)の違いを指摘すれば足りるのです。

しかし「オマージュ」にはスペリングが2つ存在する。
それぞれ意味が異なっています。
それぞれの意味を指摘することは非常に重要です。

オマージュ
hommage, homage

『カタカナで引くスペリング辞典』 研究社

「イマーゴ(真善美の回復)」と「啓蒙芸術性への敬意」、そして「忠誠誓約と言う名のヲタ芸」

imago, hommage

「イマーゴ(真善美の回復)」と「啓蒙芸術性への敬意」は「白ミサのヒューモア(善き羊飼い)」を指し示している。
「最高のイノセント」です。
それは「芸術性」です。

homage

そして「忠誠誓約と言う名のヲタ芸」とは「黒ミサアイロニー(堕天使ルシフェル召喚)」のことを示している。
「最大のギルティ」です。
それは「ヲタ芸」です。

imago, hommage, homage

imago Dei 〔L.〕
神の似姿〔カトリック教会〕
〈91学術・キリスト教〉

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

De‐i/díːaɪ|déɪiː/
〖ラテン〗
Dei gra・ti‐a/––//―ɡréɪʃiə|―ɡráːtɪə/
神の恩寵(おんちょう)により(by the grace of God)(〓 DG).

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

imago pietatis
イマーゴー・ピエターティス
[美術]

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

imago clipeata
イマーゴー・クリペアータ
[美術]

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

imago, pl. imagines (i‐mā′gō, i‐maj′i‐nēz)〓
[L. image].
1. 成虫(昆虫の変態の最終段階で,卵,幼虫,さなぎを経た後に完成される.
2. 成虫体).=archetype (2).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

hom・mage [Fr. ᴐmaːʒ]
―n. ⦅フランス語⦆ オマージュ:芸術家・作家などへささげる敬意,またそれを表すための芸術作品の献呈. cf. HOMAGE

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

ちゅうせいせいやく【忠誠誓約】
homage
封臣誓約とも呼ばれる。ヨーロッパ中世封建社会において,家臣として主君に奉仕することを誓約(→託身)する儀式。封建君主に対する家臣契約の標識となるもので,誓約者は無帽,無装備でひざまずいて両手を差出し,主君はこれを両手で受け,家臣として認める旨の宣言を行う。次いで誓約者は起立し,聖書に右手を置き,生涯の忠誠を誓った。身分制国家においては,君主の登位に際して諸身分が集団的にこれを行い,君主の側はその条件として諸身分の特権を確認する慣習があった。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

4 「人工の第2の方舟」として建造された「バベルの塔(神の門)」と「高層建築」

「神の王国の到来」と「バチカン宮殿(大聖堂)」と「一層建築」

では城郭建築として検証してみましょう。
安土城はカトリック(最高善の神)への信仰から建造されています。
熊本城はカトリック(最高善の神)を弾圧し主君への忠誠を誓うことで建造されています。
シンプルに指摘して安土城は「人工の第2の方舟」として建造された「バベルの塔(神の門)」ではない。
何故ならば「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」の容易さの強いサンクチュアリであったと見做せるからです。

そして熊本城はカトリック(最高善の神)を貶め冒涜し忠誠誓約を「スター」の如く祭り上げ崇拝する「人工の第2の方舟」として建造された「バベルの塔(神の門)」と言えるでしょう。
その意味するところは安土城が熊本城の様な多重階の「高層建築」ではなかったという判断が可能となります。

例えば安土城は「五重塔」のような「五階建て」の建築ではなく「一重塔」のような「一層建築」であったと想像される。
「一層建築」は「カトリック信仰」を示している。
安土城はバチカン宮殿の様に「一層建築」を主とした「聖堂建築」だったと判断できます。

「建築高さ」によって価値判断が決まる認識とは「カトリック聖堂建築」においてはあり得ないだろう。
「建築高さ」を誇ることはカトリック信仰の教義上あってはならないからです。
そういう意味で「東京スカイツリー」は「人工の第2の方舟」として建造された「バベルの塔(神の門)」であり「熊本城」なのです。

何故ならば最高善の神へ一々敵対する「人工の第2の方舟」として建造された「バベルの塔(神の門)」と同じ動機を持つていると見做されるからです。

では一般に言われている「安土城」とは何だったのだろうか?

だいせいどう【大聖堂】
cathedral
司教座聖堂のこと。カテドラルともいう。司教座をおく聖堂で,司教区全体の母聖堂として教区統轄の中心となる。司教の階等に応じて大聖堂の格づけも異なるが,規模の壮大さよりも,由緒をもって尊ばれる。プロテスタントの優勢な地域でも大聖堂はそのまま使用されたが,司教が否認されて普通聖堂になったものもある。中世の司教座聖堂付属学校(スコラ)は修道院学校とともに,神学校や大学の神学部ができるまで,聖職者養成と学問研修の場であった。大聖堂建築は4世紀のバシリカからロマネスクを経て 12世紀末~13世紀の壮麗なゴシック様式へ発展,東方にはビザンチン様式を生み,キリスト教美術の粋を集めた。以後伝統的様式を固守していたが,20世紀に入って新しいデザインが登場した。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

カテドラル〖(フランス)cathédrale〗
キリスト教で、司教座(主教座)のある聖堂。教区全体の母教会の意味をもつ。司教座聖堂。主教座聖堂。大聖堂。カセドラル。イタリア語ではカテドラーレ、ドゥオモ。

『大辞泉 第二版』 小学館

カテドラル【cathedrale フランス】
キリスト教で、司教の座席(カテドラ)が設けてある、司教区の中心となる聖堂。司教座聖堂。大聖堂。カセドラル。ドゥオモ。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

Cathedrale Notre-Dame de Paris
ノートルダム大聖堂
[歴史]
ノートル・ダーム大聖堂(パリの)
[美術]

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

Cathedrale Notre-Dame de Chartres
シャトル大聖堂
[歴史]

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

Cathedrale de Reims
ランス大聖堂
[歴史]

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

きょうかい【教会】
ecclesia; church
キリスト教における信仰の共同体,および祭式のための聖堂(教会堂)の2義。語源のギリシア語 ekklēsiaは行政上の市民集会の意。旧約聖書(七十人訳)では礼拝のためのイスラエル人の集会の意に,新約聖書ではキリストの教えを信じる全世界の人々または特定の地域の人々全体,または特定の屋内での集会の意に用いられた。(1)共同体としての教会 キリストを継いで人類に救いをもたらし,神との結合を実現しようとするもので,キリストをかしらとして教会はキリストのからだといわれる。教会は内的本質において超現世的であるが,外的形態において現世的であらざるをえず,後者は教階制度へ組織化されるとともに異端や分派を生じ,東西両教会,カトリック教会とプロテスタント教会という大きな分裂をきたしつつ,他方国家との拮抗を経験せざるをえなかった。地上の教会の真の標識として一般にニカイア信条に基づき,一性 unitas,聖性 sanctitas,普遍性 catholicitas,使徒性 apostolicitasの4つがあげられる。内的統一を保ちつつ聖なる神による恵みの場として原始キリスト教会に歴史的につながる世界的包括的教会という意味である。分裂はなおも存続するが,20世紀になって特に教会合同運動など対立をこえようとする努力が続けられている(→エキュメニズム)。(2)聖堂としての教会 初めは帰依者の家や特設の部屋,迫害時代は私宅やカタコンベを拝所としたが,コンスタンチヌス1世のとき,ローマの⇨バシリカが教会建築のモデルになり,以後東方の⇨ビザンチン建築,西方の⇨ロマネスク建築,⇨ゴシック建築などの諸様式が生れた。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

church [tʃəːrtʃ]〓
―n.
1 (キリスト教の)教会,(教)会堂,聖堂(▶英国ではふつう国教会にだけ用いる. cf. CHAPEL n.4):〓
2 ⦅通例無冠詞⦆ (教会の)礼拝(式)(religious service):〓
3 ⦅通例 the C―,the church⦆ ⦅集合的⦆ 全キリスト教徒;キリスト教世界(Christendom).
4 ⦅通例 the C―⦆ 教派,教団,(教派の意味での)教会(Christian denomination):〓
5
(1)(同じ都市・地方・国などの(ある教派の))全キリスト教徒.
(2)⦅the church⦆ (特定の教会の)全教会員,全信徒;(礼拝に集まった)会衆;(信徒の集合体の意味での)(個別)教会:〓
6 ⦅時に C―⦆ (国家に対する)教会(組織),教権;教務:〓
7 ⦅the church,the C―⦆ 聖職(clerical profession);⦅the church⦆ ⦅集合的⦆ (キリスト教の)聖職者,牧師(clergy):〓
8 キリスト教(の信仰)(Christian faith):〓
9 ⦅the C―⦆ 宗教改革以前のキリスト教会;ローマカトリック教会(Roman Catholic Church).
10
(1)(キリスト教以外の宗教の)教会堂[聖堂,神殿,礼拝堂].
(2)(キリスト教以外の)宗教組織団体:〓
―v.t.
1 〈人を〉(儀式・(特別)礼拝のために)教会に連れてくる[いく].
2 ⦅米南部ミッドランド・南部⦆ 〈人を〉教会規則で訓戒する,戒規処分にする.
3 ⦅通例受身⦆ 〈婦人のために〉産後感謝式を行う.
―adj.
1 ⦅限定的⦆ 教会の[に関する];⦅主に英⦆ 国教会[国教徒]の:〓
2 ⦅限定的⦆ 教会員の[から成る].
[900年以前. 中期英語 chir(i)che,古期英語 cir(i)ce<ギリシャ語 kȳri(a)kón (dôma)主の(家)〔kȳriakós「主人の」の中性形=kȳri(os)主人(kŷros「力」より)+―akos(―ikos ―IC の異形)〕;ドイツ語 Kirche と同根.⇀KIRK]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

本来、カトリック信仰から建造されたオリジナルであれば「人工の第2の方舟」として建造された「バベルの塔(神の門)」とはならない筈です。

私は「安土城」とは信仰の存在となる何かだったと想像している。

だから「神の王国の到来」を受肉するには大聖堂建造が必要と判断したと言える。
「仮説」として言えることは安土の都は城下町ではなく「大聖堂建造」による「カトリック信仰都市」だったと想像される。

バチカンきゅうでん【バチカン宮殿】
Vatican Palace
ローマのバチカン市国にある教皇の宮殿。教皇グレゴリウス9世がアビニョンからローマに帰った 1377年以来,教皇の常住の宮殿となった。 1450年教皇ニコラウス5世によって聖堂の修築が始められ,以後歴代の教皇による拡張が進められた。特に教皇シクスツス4世の頃からの増築および改築にはブラマンテ,ミケランジェロ,ラファエロ,ベルニーニなど,数多くの著名な建築家,美術家が参加した。中庭を含め,面積4万 4000m²。付属礼拝堂や大小の部屋数は 1400。教皇の住居は一部分で,大部分は美術館,図書館などに使用されている。

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カトリック〖(オランダ)Katholiek〗
〓カトリック教会。初代キリスト教会の正統を継ぐとされている教会。カソリック。
〓カトリック教会の信徒。地上におけるキリストの代理者としてのローマ教皇を首長とする。カソリック。
◈語源は、ギリシャ語katholikosで、普遍の、の意。「加特力」とも書く。

『大辞泉 第二版』 小学館

カトリック
catholic church
語源はギリシア語の katholikosで,普遍的,世界的,全体的の意。アンチオキアのイグナチオスが初めてこの語を『スミュルナ人への手紙』でキリストによる教会の特徴的形容に用い,以来「カトリック教会」は万人万代を包括する普遍的教会,また異端離教に対する真の教会の意に用いられた。この原義は教会の公性 catholicitasとしてニカイア信条でキリスト教の根本性格の一つにあげられ,アウグスチヌスもこれを強調した。公性は同一性と普遍性をその特徴とするが,歴史上その具現は教皇を可見的首長とする統一組織,ローマ・カトリック教会においてなされたとするのがローマ・カトリック教会の主張であり,歴史的にもローマ・カトリック教会に対して「カトリック」が一般的な呼び名となっている。ギリシア正教会,一部のプロテスタント教会も真のカトリック教会を自負している。

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あづち【安土〔町〕】
⇨滋賀県中部にある町。 1954年安土,老蘇の2村が合併し,町制。旧安土村は古くは篠笥(ささけ)郷の一部で,その後,佐々木庄,豊浦庄ともいわれた。戦国時代は六角氏の領有。天正4(1576)年,織田信長が岐阜から移って⇨安土城を築き,近在商人を集め,⇨楽市・楽座として一切の公事,座役を免除し,市街を整備し,近世城下町の原型をつくった。
同8年,キリスト教宣教師司祭であった G.オルガンチノの願いを入れ,教会堂建築のための敷地を与えた。やがて安土には⇨セミナリオ(学校)など,キリスト教布教のための設備ができ,キリシタン伝道の中心のみならず,東西交流の場となり,西洋文化導入の源となった。しかし,同 10年の本能寺の変後,安土城とともに城下町も焼失。一般町家などは,豊臣秀次が新たに近江八幡町を経営するにあたって,多くはその地に移された。現在,米作が主,西の湖では淡水真珠養殖が行われている。特別史跡の安土城跡をはじめ,老蘇の森,⇨瓢箪山古墳,⇨大中之湖南遺跡,観音寺城跡などの史跡があり,摠見寺,養蚕の発祥地とされる桑実(くわのみ)寺,西国三十三所第 32番札所の観音正寺,近江風土記の丘が知られる。 JR東海道本線が通る。面積 24.30km²。人口1万 2080(2005)。

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5 城郭建築の起源はデマゴギー

そして熊本城などの天守閣のオリジナルは安土城と言われているがそれはデマゴギーである疑いが強い。
熊本城のオリジナルが安土城であるというのは全くの虚偽であるかもしれない。

では熊本城とは何であるだろうか?

村上春樹が震災によって傷ついた熊本城の美しさを語った発言を私はよく覚えている。
それに違和感を感じたことをここに告白する。
私に言わせれば震災時において城郭なんて二の次であるだろうと感じたからだ。
村上春樹の発言に何の「愛」も感じない。
村上春樹は震災で傷ついた「熊本城」を思いやって「美意識」を誇っているがそこに詐欺師の歪さを感じる。
彼にあるのは「美学」ではなく「醜悪を美化する幇間、美を醜悪化する幇間」であるだろう。
彼の「黒ミサアイロニー(堕天使ルシフェル召喚)」は詐欺師の「愛」であり、悪魔の「利益追求」である。
悪魔主義と悪魔崇拝は違う。
村上春樹は悪魔崇拝であるだろう。
悪魔主義には「白ミサのヒューモア(善き羊飼い)」が存在し、悪魔崇拝にはそれを完全弾圧する「黒ミサアイロニー(堕天使ルシフェル召喚)」がある。
だから熊本城はイマーゴ(真善美の回復)ではなくオマージュ(忠誠誓約)の象徴であるだろう。
「最高のイノセント」と「最大のギルティ」のあり方はカトリック信仰の存在証明であった。
それは「芸術性」と「ヲタ芸」のあり方に言えます。

むらかみはるき【村上春樹】
[生] 1949.1.12. 兵庫
小説家。 1973年早稲田大学演劇科卒業。 74~81年ジャズ喫茶店を経営する。 79年『風の歌を聴け』で群像新人賞受賞。以後『1973年のピンボール』(1980),『羊をめぐる冒険』(82),『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(85),『ノルウェイの森』(87),『ダンス・ダンス・ダンス』(88)と続く諸作品がいずれもベストセラーとなった。 F.S.フィッツジェラルド,R.カーバーなどアメリカの現代作家の翻訳も多く,それが自身の文体のもとにある。作品は一見都会的でおしゃれであるが,言語への懐疑,都市生活の空虚さへの凝視が見え隠れし,その明るい虚無感が特に若者たちの共感を呼んでいる。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

あくましゅぎ【悪魔主義】
diabolism
すべてを破壊し否定する悪魔的精神により,人間の暗黒面を追求,その表現に美を見出そうとする文学上の傾向。世紀末の⇨デカダンスはその顕著な実例で,ポー,ボードレール,ワイルドらがその代表者。しかしワイルドの『⇨深淵より』にはキリストへの訴えがあり,ボードレールの『⇨悪の華』はキリスト教への裏面からの接近ともみられ,ポーの究極目標が「天上世界」であったとすれば,悪魔主義は「神の死んだ」世界における求道精神の逆説的表明であるともいえる。

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あくま‐は【悪魔派】
悪魔主義を奉ずる派。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

悪魔病(アクマビョウ)
死亡した親戚などの霊が乗り移っているという,つきもの妄想。意識はかなり変容しており,注意はかなり狭くなっているトランス状態で,霊が乗り移っていると確信している。霊が乗り移るという妄想が文化的に受け入れられている地域でみられる。中国語で「hsieh-ping」。
(701001)

『医学書院 医学大辞典』 医学書院

村上春樹が賛美したのは「熊本城」が象徴するオマージュ(忠誠誓約)であるだろう。
それは「黒ミサアイロニー(堕天使ルシフェル召喚)」である。
「最大のギルティ」です。
そして「ヲタ芸」です。
自分の難解で理解しがたいと言われる詐欺的作品の鵜呑みを命じている。
それは「知の鵜呑み(doxaによるレイシズム)」の容易さへ誘惑する最高悪の存在である。
村上春樹は文学者でもないのです。
それは悪徳商法を意味する。
それが村上春樹が暗に示しているオマージュ(忠誠誓約)であるだろう。

6 「本能寺の変」のシナリオはカトリックロゴス感覚ではない

織田信長に関する歴史の真偽はどの様に判断されるのだろうか?

ここで言えることは「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」の容易さにより信仰を入れる場所を確保することの至上命令です。
それにより「神のことば」は受肉するだろう。
そして多くのマスメディアの情報を鵜呑みにすることはカトリック信仰の完全弾圧であり「神のことば」を完全弾圧する「バビロン捕囚」と同等となる。
では真の歴史を示せと言われた時に私が言えることは「最高善信仰」を持てということとなります。

例えば「本能寺の変」の謎とされている明智光秀だけが織田信長の近くにいたという歴史的事実です。
そのようなエアポケット状態が形成され「謀反」を引き起こしたと言われているところです。
しかしそれは明らかにおかしい。
何故ならば明智光秀は鉄砲組の司令官であり当時の最精鋭部隊を指揮していたからです。
織田信長にとって明智光秀とは家臣の中で最高の人物だったと見做すことができる。
水攻めをしていたという羽柴秀吉とは格が違う。
その意味するところは明智光秀は織田信長の「虎の子部隊」であり側に仕えていて当然の最側近の存在だったと想像される。
明智光秀は最も信頼できる近衛部隊司令官であったと言える。
織田信長をどうあっても死守するのが明智光秀であるでしょう。
近衛部隊(明智光秀)とは織田信長と一心同体なのです。
だから明智光秀は最後まで戦い抜いたのです。

明智光秀が織田信長に叱責されて謀反を起こしたという筋書きはあまりに稚拙である。
明智光秀謀反は捏造だと判断していいと思う。
そして明智光秀は羽柴秀吉に討たれたとされている。

それは一体どういうことだろうか?

明智光秀の三女/細川ガラシャ(明智ガラシャ)
ガラシャ(Gratia、ラテン語で恩寵・神の恵みの意。ただしラテン語名に関して、ローマ・バチカン式発音により近い片仮名表記は「グラツィア」)

wikipedia

では何があったのだろうか?

「本能寺の変」の後に天下取りと称して織田信長の家来集(カトリック)を殲滅したのは羽柴秀吉(プロテスタント)とされている。

では羽柴秀吉とは一体誰だろうか?

一般に「猿」と言われている。
私は多くの人々がテレビドラマなどで「猿」に似た俳優が演じる羽柴秀吉を観ていることを知っている。
私も何人かの羽柴秀吉を演じた俳優を知っている。

しかしその虚実の在処は外見が「猿」ではなく中身が「猿」であるという風刺だったのではないだろうか?

要は羽柴秀吉が「猿」という意味は「外見」ではなくカトリック信仰のないことを示している。
それは「信仰から形成されるペルソナ(オリジナル)」が存在しないことを示している。

ではペルソナ(オリジナル)が存在しないとは何を示しているのだろうか?

それはカトリックに対する敵対感覚としてあり、その正体は「信仰より形成されたペルソナ(オリジナル)」を前提としたオマージュ(印象操作)の存在であるだろう。
その示すところは「面子(印象操作)」である。

ここで例を挙げれば自動車産業においてトヨタ自動車はペルソナ(オリジナル)だろうか?

トヨタが誇っているのは販売台数が主である。

両者の何が違うのだろうか?

それは「白ミサのヒューモア(善き羊飼い)」と「黒ミサのアイロニー(堕天使ルシフェル召喚)」の違いと言ってしまえば簡単である。
そして「最高のイノセント」の「最大のギルティ」の違いであり「芸術性」と「ヲタ芸」の違いなのです。
それが「似て非なり」と言われる錯覚を生み易いあり方なのです。

トヨタ自動車が誇る販売台数は「信仰から形成されるペルソナ(オリジナル)」ではない。
「誠実」ではないのだ。
それは詐欺的悪徳商法であるかもしれない。
販売台数を誇るだけなら詐欺的悪徳商法が手っ取り早く効果的である。
「黒ミサのアイロニー(堕天使ルシフェル召喚)」の商売は世界を荒廃させる。
何故ならば「最大のギルティ」だからです。
それは「ヲタ芸」です。

「黒ミサのアイロニー(堕天使ルシフェル召喚)」の存在だが具体的にその正体は何だろうか?

「ヲタ芸」は「サル芸」と言えます。
「サル真似」を「スター」の如く祭り上げ崇拝するあり方が「ヲタ芸」だったのです。

そのような「劣等」をアーリアとするネオ・ナチズムが起こったと判断できる。
豊臣秀吉(猿)の朝鮮出兵はアドルフ・ヒットラー(猿)の侵攻と同様だったのだろう。

ヒトラー
Hitler, Adolf
[生] 1889.4.20. オーストリア,ブラウナウ
[没] 1945.4.30. ベルリン
ドイツの政治家。第1次世界大戦に志願して出征。 1919年9月ドイツ労働者党に入党,のちその独裁的指導者となり,これを国家社会主義ドイツ労働者党(⇨ナチス)と改名。 23年 11月⇨ミュンヘン一揆を起して失敗し投獄された。出獄後は合法的大衆運動として党を再組織し,保守派,軍部,大資本家の援助により,32年には大統領選挙に出馬したが落選。その後ナチスは第一党となり,33年首相。 34年8月 P.フォン・ヒンデンブルク大統領の死後,大統領を兼ねて総統(⇨フューラー)と称した。以後独裁政治によって軍備を拡大し,ベルサイユ条約を破棄し,侵略主義を推進してドイツを全体主義国家にした。 39年9月ポーランドに侵入し第2次世界大戦を開始,45年4月敗戦を目前に自殺。

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ヒトラー

ちょうせん‐しゅっぺい【朝鮮出兵】 テウ‥
豊臣秀吉の領土的野心による、2度の朝鮮への侵攻。文禄・慶長の役。日本では朝鮮征伐、朝鮮では壬辰・丁酉の倭乱と呼んだ。
㋐文禄の役。秀吉は明国経略の前提として朝鮮の服属を強要したが拒まれ、1592年(文禄1)加藤清正・小西行長を先鋒に兵15万余を朝鮮へ派遣。初めは連戦連勝し、碧蹄館に明の援軍を破るなどしたが、水軍は朝鮮提督李舜臣の軍に大敗、翌年明使沈惟敬(しんいけい)との間に和を講じた。
㋑慶長の役。1596年(慶長1)明皇帝からの書に「爾(なんじ)を封じて日本国王となす」とあるのを見て秀吉は激怒し、翌年再び朝鮮に兵を送ったが、遠征軍の士気揚がらず、98年秀吉の死を機に撤退。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

メシア信仰を信仰弾圧して誇らしげにデタラメを行う英雄崇拝が支配したのだろう。
メシアと英雄は全く違います。
メシアは「芸術性」であり英雄は「ヲタ芸」である。
そしてメシアは「最高のイノセント」であり英雄は「最大のギルティ」であるのです。

7 安土宮殿の存在証明

織田信長の死の真相は私には知り得ない。

織田信長と明智光秀の両聖人が突然死んだ本能寺の変といわれる事態は一体何だったのだろうか?

一言で評してキリシタン大名の問題だろう。
多くの著名人によるとキリスト教は日本国の領土没収を目的とした悪しき宗教団体としている。

しかしもし日本国のバチカン宮殿(大聖堂)が存在していたとしたら「キリスト教信仰」と「領土問題」の軋轢は一気に解消する。

仮にキリシタン大名であっても自分の領土を他国の宣教師に差し出さなくてもいいからです。
それを日本国のバチカン宮殿(大聖堂)の領土とすればいいだけである。

それが安土の都であったのではないだろうか?

安土城とは日本国のバチカン宮殿(大聖堂)であったと想像される。
私は人生を閉じる前に安土城址と言われる場所に取材に行きたいと考えている。
そこは日本国の信仰都市「安土宮殿」であったのです。

最後の提言

本能寺の変(開国主義 織田信長)

おだ‐のぶなが【織田信長】
戦国・安土時代の武将。信秀の次子。今川義元を桶狭間(おけはざま)に破り、美濃斎藤氏を滅ぼし、天下統一を標榜、1568年(永禄11)足利義昭を擁して上洛したが、73年(天正1)義昭を追って幕府を滅ぼす。安土城を築き、諸国平定の歩を進めたが、京都本能寺で明智光秀に襲われて自刃。(1534~1582)

『広辞苑 第六版』 岩波書店

桜田門外の変(開国主義 井伊直弼)

いいなおすけ【井伊直弼】
[生] 文化12(1815).10.29. 彦根
[没] 安政7(1860).3.3. 江戸
江戸時代末期の幕府大老。彦根藩主直中の 14男。部屋住みの頃,文武を修業。国学者長野主膳に師事。嘉永3(1850)年,長兄直亮の死後彦根藩主となる。掃部頭。ペリー来航に際しては開国主義を幕府に進言,また⇨将軍継嗣問題では血統論から紀伊の徳川慶福を推し,攘夷派の一橋慶喜を推す水戸斉昭(→徳川斉昭)と対立した。老中堀田正睦らの要請で,安政5(58)年4月大老に就任。条約勅許を得ようと朝廷に圧力をかけ,また同年6月,専断をもって日米修好通商条約(→安政五ヵ国条約)の調印を断行。これに反対する水戸派や攘夷浪士らを大量処罰したため(→安政の大獄),同7年桜田門外で水戸浪士団に斬殺された。(→桜田門外の変)

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カトリック信仰の「白ミサ」へ一々敵対する後継者崇拝が露骨に行われた悪しき例は決して少なくはない。
ほとんどそうなっている。
ただ言えることは「知の廃棄(doxaをバプテスマする)」を容易にすることにより聖織田信長の「カトリック信仰」の場所を確保することが至上命令となるのです。
しかしそのような「知の廃棄」の容易さの「白ミサ(至上命令)」へ一々敵対して「知の鵜呑み」の容易さへ扇動する「黒ミサ(デマゴギー)」が行われる。
そのような「白ミサ」へ一々敵対されるあり方(黒ミサ)はカトリック信仰者にとって「試練」と言えます。

ここで言えることはどのような「試練」の中でも「聖織田信長信仰」を守護し生活することは「永遠の命」を得ることになるのです。
何故なら「神のパン(永遠の命)」を得ることになるからです。

だから、カエサルのものはカエサルに与えよ、しかし神のものは神に(与えよ)

このパンを食らっている人は永遠に生きることとになる

「救世主、神の子、イエス・キリスト」


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