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我が「トーマの心臓」譚(連載No.3)-純愛信仰と信仰弾圧の中で起きた『殉教』(「パウロの手紙に見られる信仰、希望、愛の3つの徳の対神徳」資料)

「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」に対する殉教とは?

パウロの手紙に見られる信仰希望の3つの徳の対神徳】

コリント人への第一の手紙

テサロニケ人への第一の手紙 

1-3

5-8

ローマ人への手紙

5-2-5

【自由の相互性〈相互愛〉】とは【Holy Communion】の一つの顕れとして存在する

せいさん【聖餐】
Eucharistia; holy communion
新約聖書が伝える,イエスが十字架につけられる直前に弟子たちとともにしたパンとぶどう酒を中心とした最後の晩餐,およびのちに教会がその再現として執行してきた典礼的会食をいう。後者は特に聖餐式,感謝の祭儀と呼ばれ,キリスト教会の典礼の中心となっているが,その意義,起源,執行様式などについては時代と各教会とに従って理解にかなりの相違がある。ローマ・カトリック教会は聖餐におけるキリストの犠牲の意義を強調し,一般には聖餐に代えてミサあるいは聖体祭儀と呼び,holy communionはミサ中の聖体拝領をさす語として用いる。ギリシア正教会では聖餐を聖体礼儀という。聖書奉読,祈祷,パンとぶどう酒の奉献,その拝領などによって十字架上で死に,復活したキリストとの交わりに入ると理解することがほぼ共通している。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

せいたいはいりょう【聖体拝領】
holy communion
おもにカトリック教会用語で,ミサ聖餐においてキリストのからだとなったとされるパンとぶどう酒を食すること。キリストとの霊肉の一致と拝領者相互間の一致がもたらされる。本来ミサの主要部分の一つで,参加者全員の拝領が理想的であるが,司式者の拝領のみが義務となり,のちにはミサ以外での拝領も行われるようになった。ラテン式では司式者以外はぶどう酒を飲まない。プロテスタントでは陪餐といい,原則として,日曜日の礼拝式で,会衆がパンの形色のもとに聖餐を受ける。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

com・mun・ion [kəmjúːnjən]〓
―n.
1 ⦅しばしば C―,時に Holy C―⦆ 〖教会〗
(1)聖餐(せいさん),(カトリックで)聖体拝領,(正教会で)領聖:キリストの聖体の象徴であるパンと霊の象徴であるぶどう酒を拝領すること:〓
(2)((1)で用いる)パンとぶどう酒(Eucharistic elements).
(3)(プロテスタントで)聖餐式,(カトリックで)聖体拝領,(正教会で)聖体礼儀. cf. EUCHARIST,MASS 1:OPEN COMMUNION/CLOSE COMMUNION.
(4)(聖餐式で歌われる)陪餐唱,聖体拝領唱(antiphon).
2 共通の宗教を信ずる仲間,宗教団体,信仰団体;宗派:〓
3 (…との)交際,親密,親交⦅with ...⦆:〓
4 (…との)心[感情]の交流,親しく語り合うこと,共感;霊的交わり⦅with ...⦆:〓
5 共有;共有の状態:〓
[c1390.中期英語<ラテン語 commūniō 共有すること(commūnis COMMON より)]
com・mun・ion・a・ble
―adj.
com・mun・ion・al
―adj.
com・mun・ion・al・ly
―adv.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

そうごふじょ【相互扶助】
mutual aid
ロシアの P.A.クロポトキンが唱えた生物学,社会学,倫理学を貫く原理。ダーウィンの進化論のうち,生存競争の原理のみを強調することへの批判として,生物界には生存競争以上に相互扶助の原理が働いていることを立証しようとしたもので,1902年に刊行された『相互扶助論』は,彼のこのような理論の集大成である。彼は,相互扶助を一般にいわれるように種の存続や繁殖のためにだけ行われるものではなく,もっと根源的な自己保存の本能,つまり食欲や睡眠と並ぶ本能的欲求であるとし,これを社会的本能,あるいは⇨社会性と名づけた。さらにこの見地を人間社会にもあてはめ,相互扶助こそが人間社会の進歩と発達を推進した原動力であると説いた。彼はこのことを通じて,資本主義社会が人間社会の進歩と発達にとって決して望ましいものではないことを立証し,現代の競争社会に対するアンチテーゼとして提起しようとしたのである。また,正義とか愛という道徳観念も,相互扶助として現れた社会的本能あるいは社会性によって培われたものとしてとらえ,倫理学の体系としてまとめようとしたが,これは未完に終った。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

じゆう【自由】
liberty; freedom; Freiheit; liberté
一般的には,心のままであること,あるいは外的束縛や強制がないことを意味する。哲学上は,人間が行為する際に一つの対象を必然的に追求するのではなく,それ以外の対象をも選びうる能力をいう。この場合,自由は選択する意志の自由であり,意志とはその本質上「自由意志」 liberum arbitriumにほかならない。古代ギリシアでは,アリストテレスが選択の自由を主張し,中世スコラ哲学においては,神の恩恵ないし予定に対する人間の自由の存否という形で自由が問われた(→恩恵論争)。近代にいたってこの問題は「自由と必然」という対立概念として,とりわけドイツ観念論哲学によって定式化された。カントは自由の理念を実践理性の理念として積極的に認め,普遍的法則となるように行為しようとする人間の自律的な意志を倫理学の基礎とした。以後,現代にいたるまで,人間の行為において自由意志は一層重要な位置を与えられながらも,一方で無条件に外的な状況や強制から自由な自律性を認めることには困難があることが自覚されており,⇨実存主義の立場はそれに対する一つの解決でもある。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

イマーゴ(真善美の回復)としての「魂の浄化(Holy Communion)」である。

人は子供(偽善(スーパーフリー思想〈一方的自由の陰険〉))を祝福し最高善の神と敵対する。しかし最高善の神は子供(ペルソナ(自由の相互性〈相互愛〉))を祝福する。

「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」に対する「doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa」の「敵対感覚〈原罪〉」について「最高善の神の奇跡」の在り方を記す。

つづく


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