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家族とは、単なるコミュニティ。後は愛情表現をどうやるか。

初めまして。ある人が「インプットも大事だけど、アウトプットも大事よ」と言うので、偉そうに何かアウトプットしてみようと思います。

とは言え、最初から何をテーマにしよかなと迷いましたが、最近SNSがすげーので、色んなコミュニティを目にします。
コミュニティって色々あるけどやっぱり最初に書くテーマは家族ということになりますかね。以下、かなり長文なのでアホの長い話に覚悟して読んでくれると嬉しいです。

私は長男。現在40代。妹が1人いて、両親も至って普通で、父は会社員、母はほぼ専業主婦という家庭で育った。その時代の夫婦では当たり前のちょっと亭主関白な父と、ご近所付き合いを絶やさない母。そんな極々フツーの家庭だ。
ほんの少しご近所の家庭と違ったのは、父が海外赴任が多く私が高校生くらいまで中東諸国やアジア諸国に赴任続きでほとんど家にいないという家庭。そんな家庭で育っても今も何とか家族関係は良好な方で、近くもなく遠くもない関係を今も保っている。

ただウチの妻の方はウチの環境とはまったく逆で、父は出張や転勤など全くなく、毎日19時にはピシャリと帰ってきて家族全員で夕飯の食卓を囲むというのが当たり前、というか義務付けられていたという。
妻と付き合い始めた頃にそんな話を聞いていたが、私にとってご近所の家庭も、父親がが定時上がりでピシャリ帰ってきてる家庭があまりなかったので(多分高度経済成長期で仕事優先が当たり前の家庭が普通)、「ヘェ〜、そんな家もあるんやなぁ」くらいにしか思ってなかった。

ただ妻と両親との関係は私から見て、未だに良好とは言いがたい。
それは妻が両親から受けた抑圧や無視を、未だに快く思ってないから。妻が幼少期から実家を離れるまで受けたものは私が聞く限りはっきり言うと、虐待と思える。父が言う事に少しでも反したら手をあげる事が日常となっていて、更に多分普通はかばうであろう母親も、その時は見てないように無視をしていたという。

勿論、普段は笑顔があったとは思うが、父親の怒りに触れた時のそれは、やはり耐え難い状況があったのだろうと想像した。それは私の想像よりも遥かに根深く、未だ癒えない傷となっているようだ。

結婚してから妻の家庭と付き合う内になり、まもなく妻の父がどういう人か垣間見た瞬間があった。
それは婚約後新居に引越しを済ませ、妻の両親が遊びに来ていて、帰り際の事だった。

私「またいつでも遊びに来てくださいね」
父「はい、じゃ鍵預かっとこうか」
私「え?」

その時直感的に分かったが、父はいわゆる「過保護の親」だと感じた。
妻にすぐに聞くと、父は昔から自分の管理下に置かないと気が済まない人だと言う。
「そうやって私達をいつも縛ってきた」と言うのだ。
要するに父にとっては自分以外の存在は自分の理解を越えるので、力で管理下に置いて接してきたらしいのだ。それは母親含めて、だったらしい。
だから母は何も言えず子供が仕打ちを受けていても無視を決め込むしかなかったらしい。

その後そういった父の振る舞いはどんどん私も触れるのだが、それ以上は差し控える。

それから7年経つが、今は本人の衰えもあり徐々になくなり、妻と両親の関係もかなり良好になったように思う。だが妻と両親の会話を聞いていると今でもヒヤヒヤすることはあるのでやはり妻の中で完全に癒えてはいないのだと思う。

以前「家族という病」という本を読んだ事があるが、家族というコミュニティは血縁ということでしかないと思う。
もっとも親よりも大事に接してくれるのはパートナーであったり、親友であったり、あるいは仕事仲間だったりもする。

かく云う私も両親もまったく良好かと言われると、両親とは未だに少しは付き合いづらいところがある。

多分、私や妻と同じく親と付き合いづらいと思っている人は相当数いると思う。
ある精神科の先生は、自殺に追い込まれる人や犯罪を起こしてしまう人を調べると何らかの精神疾患を持っている事が多く、その起因の7割は家族との関係が良好ではないというデータがあるそうだ。

結局それは親が子供に対して、過保護・過干渉であったり、逆に無関心で邪魔な存在として扱ったりすること、つまり愛情表現の仕方だと思う。

自分自身が子育てしていても子供とどう付き合うかはいつも悩む。

ただ自分の体験から言うと、当たり前だが、親と子供は、全く別の人間であり、人生も全く違うことぐらいは理解しておきたい。

政府の教育諮問会議に参加されている大学教授の方の言葉だが、次のよう仰っていた。

「子供はオギャーと生まれた瞬間から自立へのスタートであり、親は子離れのスタート」

また、先日私のお客様でシングルマザーでありながら6人のお子さんを立派に育ててられた方の言葉に背中を押された。

私「どのように子育てされたんですか?」
女性「私、仕事が忙しくて子供に何もしてあげてないんです。」

ちなみに6人中、2人は九州一の大学を出られ、また嬉しそうにその女性は「もう一つ自慢していい」と言って、「1人は日本一のとこ出たんです」と心から嬉しそうに話していたのが忘れられない。

それで何となく確信したんです。
学力的なことだけでなく、立派な自立した人間を育てるにはやはり、「自由を与えること」 だと。

ちなみに私、もう1人高校生になる子供がいますが、彼が5歳の時に別居になったので親として何もしていません。しかも彼は発達障害を抱えていますが、スポーツ推薦で高校をパスし、最近成績もグンと上がり発達障害を抱えているようにはまったくみえない感じにもなってきてることが嬉しいんです。
更に何よりも嬉しいのは離れて暮らしているのに、ちゃんと自分の環境を受け入れて、会うと目を輝かせてこれからの事を語っている姿です!

あるアビサポの方のツイートに、
「子供は何も言わなくても色んなことを体得していく。親がやれる事はその機会を準備することかなぁ」
と呟かれていました。リスペクト。まったく同感です。

ある教育者の方は
「昔、日本が高度経済成長になるまで子育ては大家族や集落などで見ていた時代が何千年と続いてきたんです。
それが高度経済成長に入ってから核家族が進み普通になった。それは煩わしい家族の関係を断ち切ることもあったのだろうし、家族ごとに自立するというとこを目指してきた。
しかし、今その関係が見直されてきている。だからこれからはもっと地域で様々なコミュニティを作り子供たちを見守っていくことが求められているです。
と。

会社でも付き合いづらい上司や同僚部下がいたりする。近所でも隣の人がどんな人かも分からないでいたり、少しお近づきになったら付き合いづらい人だったりする。学校なんて何のために行ってるのか分からなくなる。

それはすべて人間が人間として生きていくには避けられない関わりなんだと思う。
あと10年もしたらAIやロボットがかなりの事を人間の代わりを担う。どうも世の中はそっちの方向にシフトして動いている。そんな時代でも人間らしく豊かな人生を構築していくには何が必要なんでしょう?

一番自立するまで関わりが深いところ。それは過去も未来も、家族というコミュニティだと思う。あと、地域というコミュニティ。
だけど家族も地域も、見守る姿勢が大事。

だと感じる、今日この頃

最後まで読んでくれてありがとう😊


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