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紫青赤黄白黒。(2007年7月28日記)

高校2年生のとき、すごく好きな人がいた。

日本史の先生だった。 40歳。卒業生をヨメにもらって、子供が2人いた。もともと人気のある先生で、私も例に漏れず、授業を受けていて、その考え方に共感し、立ち居振る舞いがカッコよくて、声もステキで、そのうち「うちの愚妻が……」という言葉にもきゃあきゃあ言う(心の中だけど)ようになった。

現代国語の授業で与謝野晶子の

「やは肌のあつき血汐にふれも見で
         さびしからずや道を説く君」

を習ったとき、その短歌と「意味わかるでしょ?」と書いたメモを渡したこともあった。

先生が風邪を引いて学校を休んだ日は、予備校のあとにバラを一輪買って届けにいったりもした。先生はもちろん出てこないけど、先生のお母さんやお父さんが応対してくれた。

3年生にあがる冬休みに電話で「好きです」と告白し、1カ月後に「僕はお父さんのような立場で君をずっと見守っているよ」的な手紙をもらい(自宅に封書で来た)、「ああ、ステキな人を好きになったなあ」と思って、胸まであった髪をばっさりベリーショートにして、家まで見せにいったこともあった。

ええ、まるきり“ストーカー女子高生”でした(笑)。

          ***

先生の誕生日は6月3日。

3年生のとき、お小遣いを貯めて、大きなバラの花束と腕時計を買い、下駄箱で待ち伏せて、「先生、おはよー! 今日、誕生日だよね!」と渡したこともある。

その週の授業で、先生のシャツの袖から腕時計が見えたときは、本当に嬉しかった。

どんな理由か忘れたけど、先生の家に行ったとき、「ちょっとファミレスでも行くか」と誘ってもらったことがある。向かい合わせに座って話したことで覚えているのは、先生が「白梅(高校)に入って17年で……」と言ったことだ。だって私はそのとき、17歳だったのだ。

「そうか、ホリが生まれたときから、オレは教師をやってるんだ」

そう言って、先生は楽しそうに笑った。

通っていた高校は、武蔵野美術大学のそばだった。武蔵美を受験する当日の朝、ふと思いついて高校に寄った。門を入って、すぐ見える建物の2階の角が先生の席。窓が開いていたから大声で先生を呼んだ。

「オビセンセーー!!!!!」

先生は窓から顔を出してくれた。
「おお、ホリ! 今日、本命だな。頑張れよ!」

私は言った。
「先生。今日、私があげた腕時計してる?」

先生は一瞬黙ってから、「してるよ」と言った。私が「受験のお守りに、その時計借りてもいい?」と言うと、先生はにっこり笑って、「いいよ!」と言い、ダッシュで私のところまで降りてきてくれた。

「頑張れよ」

私の目の前に立った先生はそう言いながら腕時計をはずし、私の腕にはめてくれた。「ありがとう。頑張ってくる」私はそう言って、武蔵美に向かった。3日間の受験中、腕時計はいつも私の左手にあった。

          ***

卒業後の3月後半だったか、先生は「合格祝い」と称して1対1でデートしてくれた。先生の大学時代の話や、奥さんの前に付き合っていた人の話や、奥さんとどうやって結婚に至ったか(もちろん奥さんが高校生のときには付き合っていない)なんかを聞きながら、高校の近くの居酒屋で夕ご飯をご馳走になった。

その後、毎年6月3日に花を贈った。

社会人1年目にちょっとした用事があって高校に行くと、先生は教頭になっていた。職員室に入り、「わ、ホントに教頭の席だ!」と笑うと、「おー、ホリ。元気か? ま、座れよ」と手招いた。

「この間も誕生日の花、ありがとうな」
「いやいや、どういたしまして」
私がそう返すと、先生は「うちのカミさんがさ」と照れた顔で言った。

「うちのカミさんが言うんだよ。“卒業してだいぶ経つのに、こうして毎年誕生日を覚えていてくれるなんてステキな人じゃない!  あなた、ご飯くらいご馳走してあげたら?”って。だからさ、メシ、久しぶりにいくか?」

私たちは土曜日に新宿で待ち合わせた。焼鳥屋でご飯を食べ、その後、私の行きつけのゲイバーに先生を案内した。卒業して5年、少しは色っぽい話になると思いきや、私たちは差別問題について熱く語り合った。

「でね」
私は真面目すぎる話題を変えるために言った。

「私は暗記力が全然なくて、先生の教えてくれたことはほとんど覚えてないんだけど、ひとつだけ、5年経っても忘れられないことがあるんだよ」

「え、どんなこと?」

ちょっと神妙そうな顔をして訊く先生に私は言った。

「冠位十二階の色の順番だよ。紫青赤黄白黒!」

先生は一瞬ビックリして、でもすぐ大声で笑って、「嬉しいよ」と言った。「ホリがそれを5年経ってても言えるのが、本当に嬉しい」

それからバーを出て、新宿駅まで歩いた。「ねえ、先生。新宿駅まで手をつないで歩こうよ」。私の言葉に先生は困った顔をしたけど、「いいよ」と手をつないでくれた。その手からは、だんだんと汗が吹き出てきた。

私はようやく幼い恋を終えたような気持ちでいた。

          ***

その後は花を贈るのはやめ、年賀状や、旅先からのハガキだけを送るようにしていた。

一昨年の9月、ふと思い立って先生の家に電話した。先生は喜んでくれた。互いに近況を伝えあったのち、「来週、学園祭があるよ」と言われた私は、10年ぶりに高校に足を運んでみた。先生は、もちろん年をとっていたけど、雰囲気はちっとも変わらなかった。私が「先生、私、もう34歳だよ」と言うと、「ええええええええ! ホリがねえ!」と驚いていた。「そうだよ、先生に愛の告白してからもう17年経ったよ」 。そう続けると、先生は愉快そうに笑っていた。

昨年の11月、小平市に住む友人に逢った帰りに、先生の家に電話してみた。先生はいなかったけれど、その夜に電話がきた。そして「今は受験の準備で忙しいけれど、3月になったら時間できるし、久しぶりに今度ふたりでメシでも食おうな」と言った。


でも、電話はなくて、3月は過ぎてしまった。4月になって、今度は新学期で忙しいんだろうなと思った。ついこの間も、携帯電話のアドレス帳に先生の名前を見たとき、「元気かなあ? 今年の9月の学園祭にまた行こうかな」と思った。

でも、逢いたかった先生は、
久しぶりにたくさん思い出話をしたかった先生は、
昨日、亡くなったそうだ。
59歳。若すぎる。

紫青赤黄白黒。
ねえ、先生、私はまだ冠位十二階の色の順番を空で言えるんだよ。
明日また先生の前で言うよ。

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