与謝野晶子が煙草を投げた窓から芹川の流れを望む十月

Jリーグ中断期間の間隙を縫うように休日を捻出し、長湯温泉に連れていってもらいました。長湯には数々の文学碑があることから「月刊セーノ!」や「モグモグ」といった地元誌やいまは無きサブカル情報誌「CONKA」など、さまざまな場で文学にまつわるコラムを書かせていただいており、個人的にも馴染みの深いところです。

文人ゆかりの宿で彼らが過ごした一夜を思う

今回の宿は大丸旅館。大正6年創業の老舗の温泉宿です

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ありがと♪
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関西旅日記(100):昔々の自由都市堺をぶらぶら⑥-堺はあの歌人にもゆかりがあるのです

こんにちはこんばんは、ナオティです。今回も堺の街中のてくてく旅です。前回見た環濠南側から北の方へと歩いていきます。来るときに乗ったチンチン電車が走っている大通り沿いに北へ向かうルートです。

うーむ、我ながらまたずいぶんと歩くな…(笑)

こんな感じで朝来た時に降りた宿院駅まで戻ってきました。実は午後はさらに北の方へ向かうことになっていたので、さらに進んでいきます。

そして宿院駅を通り過ぎたとこ

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あなたのスキが、僕のやる気のもとです!感謝します!
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二日酔いが治った奇跡の『みんなのミュシャ展』w

美術館巡りを趣味の一つに持っている私ですが、ミュシャとのご縁もないまま月日は流れ、行こうと思って迎えた朝は二日酔いという悲惨さ⤵︎

でも、ここで諦めないのがmoeちゃん❣️

痛む頭を抱えながら行って来ました渋谷文化村✨✨

ミュシャさんの下調べ無しで挑んだ美術展でしたが、なるほどね〜という発見がたくさんありました✨✨

ほぼ98%女性でしたっ‼️

そして平日だというのにこの混みようにもびっく

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感謝です^ - ^
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小島烏水と自然主義文学、柳田国男、田山花袋

日清・日露戦争勝利から、世界大恐慌までの短い期間でしたが、帝国主義の強国として欧米列強に肩を並べ一等国になった、と日本人が勘違いした時代。

知識人においては個人主義や理想主義が意識され、若者の間では自由恋愛が流行しました。「大正ロマン(モダン)」時代の始まりです。

「山岳会」創立者小島烏水もこの時代に探検的、地理学的な記録を「紀行文学」として文芸雑誌に精力的に発表しました。

ロマン主義文学

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ゆきなのミュシャ勉強中

🎨アルフォン•マリア・ミュシャ
ミュシャが初めに影響を受けたのは日本の画風だ。

16世紀に初めてヨーロッパのパリ万博博覧会においてジャポニズムが大々的に扱われ、日本庭園や浮世絵、日本の美術工芸品や着物などが紹介された。
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なんで16世紀に突然ジャポニズム?日本が?ヨーロッパで?ブームを?🙄
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16世紀のパリヨーロッパといえば、これまでも葛飾北斎による北斎漫画や、夏目漱石の浪漫派が注目され

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與謝野晶子による流行色と歌-百選会Ⅱ-

前回の記事では、百選会の流れについて考察をしました。今回は、百選会の顧問であった與謝野晶子が詠んだ歌と流行色を並べ、どのように帯や着物の魅力を読者に伝えていたのか、その内容を見ていきます。

大正8年から昭和5年の流行色一覧

下図は大正8年から昭和5年までの百選会が提示した流行・基調色を一覧にしてみました。大正12年までは春・秋、大正13年以降は夏も加わります。色見本と資料に記載されているマンセ

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雑記:鎌倉あれこれ

鎌倉の石塔を度々紹介して来たので、石塔以外の名称もいくつか。

北鎌倉の名刹、鎌倉五山第二位の円覚寺、国宝の舎利殿。

円覚寺佛日庵、北条時宗の廟所で、内部には時宗・貞時・高時の木像を安置。

鎌倉三十三観音霊場第一番札所の杉本寺。

杉本観音の名で親しまれ、本尊は鎌倉でも屈指の古仏。

二階堂の覚園寺、境内は撮影禁止なので山門の写真のみだが、薬師堂や本堂には仏像が多く安置されていて、鎌倉でも一際

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与謝野晶子になりたい

だいぶ前にトヨタの車のCMで真木よう子が「柔肌の熱き血潮に触れもみでさびしからずやみちをとくきみ」とつぶやくとたちまち車がいけてるふうに見えるというのをやっていた。

学のない私はそれが有名な与謝野晶子の詩だと調べて知って、あ、与謝野さんてやっぱ天才だわと地元のヤンキーの先輩を見る感じでサラッと評価し終えたがふとそのヤンキー先輩のさらなる凄さに気づいた。

名前がイカス

これが山田さちこくらいだ

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今月のラッキーアイテムは「しょうゆさし」かもしれません。
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大恋愛時代!大正女性のラブ&セックススキャンダル

「恋愛」という概念は元々日本にはなく、明治時代に外国から輸入されたものである。もちろんそれ以前にも惹かれ合う男女が結ばれることはあったが、それは「野合」と呼ばれ、家同士が決めた結婚に比べると、好ましくないものとされていた。そこに突然輸入されたのが「恋愛」である。
舶来品をありがたがった明治日本人だが、「恋愛」と「恋愛結婚」には、なかなか飛びつこうとしなかった。しかし大正時代に入ると、「恋愛」ブーム

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