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光を閉ざしたアトリエ(3)

平野は自身のエッセイにこう記している。

──弦楽四重奏曲は仕事の目標が薄れた時、少し自信を失った時に全身で聴く時、音楽が働きかける啓示は活字よりも直截に意識の底に沈んでしまった思考を磁石が鉄粉を吸いとるように、言語、色彩、型と量感を啓示するのである──

「好きな絵が描けて、好きな本と音楽があれば、とよく言っておりました」

夫人はそう言うと、イーゼルの右にある本箱を振り返った。そこにはランボー、ボードレール、ドストエフスキー、そして宗教、哲学の本にまじって小林秀雄、西脇順三郎が並んでいる。

「私は西脇順三郎が平野の好きな作家だということは知ってましたけど、まともに読んだことはなかったんですよ。亡くなる前にね、平野がスケッチブックを15冊と西脇の詩集を持ってきてくれと言ったので病室に持っていったんですけど、ついに彼は読むことなく亡くなって……。でも亡くなってから西脇の本を読みましたら、彼の描く抽象の世界が何となくわかった気がしたんですよね」

「どうおわかりになったのですか」

「私、言葉ではよく言えないんですけど……。詩集だけではなく、たとえば彼が亡くなってからひとりでビルの傍を歩いていたら、片明かりがパッとしてね、その中に自分が立っていたんですよ。その時、ものすごい孤独感と言いますか、誰からもどうしようもない寂しさを感じたんです。あ、平野が描く孤独とはこれだ!と思ったんですよね……」

「その経験は、西脇の詩を読んだ後だったんですね」

「そうです。彼はよく孤独とか独りとかいう言葉を口にしておりましたが、私は肉親が大勢いるから、本当のところは理解していなかったのでしょうね。いつも彼を見て強いなと思いました。こんな強く、よく生きていかれるなと……。彼は誰とも親しいお友達をつくらないんですよ、敢えて。皆を拒絶して扉を閉ざすようにしてね。絵はあくまでも独りで描くものと思っているから、仲間でワイワイ言って描くような絵描きのことも批判していました」

「『美術論というのは人と闘わすものではなく、自分の孤独の中で煮詰めていくものだ』と彼はおっしゃっていましたよね……」

以前のインタビューで平野は自分の幼少時代をこう語っている。

──とにかく私は逆境でね。親父は飲んだくれで。私は母親を知らないんです。三歳の時に死にましたから。一三の時、小学校を出て進学する時期に親父が死にまして私は姉のところに引き取られてね。姉が三人に、兄が二人いて私は末子。兄が一人戦死して、もう一人も軍隊に行って帰ってきて病気で死にました。姉が一人だけ生きてます。それも他家に嫁いだ身ですから、普通に親子、兄弟が一緒にいるような環境じゃなかったです。
(中略)
そういう環境だったから親父を嫌ってみんな家を飛び出して離散していったんですね。私は末子だったから、残されて寂しい思いをしましたね。毎晩親父は飲んだくれて帰ってこないし。絵を描くことだけで。小学校二年の頃から『少年倶楽部』を見てました。挿絵画家の挿絵を模写するとかね。三年の時に初めて水墨画を描きました。親父が酔っぱらって帰ってくると五〇銭銀貨ひとつ盗んで、古本屋に行って絵に関する本を買ったりね。武藤夜舟という人の『水墨画の描き方』という本を買ってそれを見ているうちに四君子とか花とか鳥を描くことを覚えたんです。今考えると非常に暗くて、第一、子供らしい遊びもしたことないし。描きかけの絵があって、明日これを全部描いてしまおうと思うと学校なんか行かないんですよ。親父が出ていくのを待って中から鍵かけて、朝から晩まで描いていました── 

大坊は彼の「孤独」という言葉と少年時代の境遇を重ね合わせ、何かをひもとくというに訊いた。

「小学校の頃から独りだったんですね。寂しかったけれど、でも絵を描くのに夢中で非行に走らずにすんだのではないでしょうか」

「そうですね。それはよく言ってました。学校で遠足や運動会があると、家族の温もりが自分にはないから行かないんです。それで家に閉じ籠もって、子供心に学校から迎えがあるといけないと思って、鍵を閉めて絵を描いていたそうです」

「その頃から“閉ざす”という言い方は当てはまらないかもしれないけれど、拒絶……独りでいたんですね」

「そうですね」

「僕はそこのところをもっとよく知りたいんですが……」

清子夫人は長くなりそうな話を前に、「新しい飲み物をとってきましょう」と台所へ立った。戻ってきて一息つくと姿勢を正して話を始めた。

「平野の父親は時々しか帰ってこなかった。台風の時もいつも彼は独り。怖かったでしょうね。だから結婚してもしばらくは、台風が来るというと怯えてね、逃げよう、と言うんですよ」

夫人はおかしそうに笑った。

「どこへ逃げるというんですか」

「とにかく遠くへ逃げようって。たった7,000円しか貯金をしていなかったのに、そのお金、全部下ろしてこいって言ってね」

「実際には行かなかったでしょう?」

「いえ、実際に逃げたの。岡山に住んでいる方のところへ行って泊めてもらったんです。私は絵もあるし、自分の家を守らなくてはいけないと思うんですよ。でも、彼はいつも『逃げよう』って」

「少年の日のことが尾を引いて……」

「怖いことがあっても誰も頼る人がいないという恐怖心があったんでしょうね」

大坊は少し沈黙し、そして言葉を選ぶようにゆっくり言った。

「少年の頃に絵に没頭したというのは、絵が好きだということが必然にあったとしても、それ以前に寂しさや孤独、恐怖心に耐えなくてはいけない想いがあったのではないでしょうか。その孤独感が強く封印されたために、大人になるにつれ精神的に克服されていっても、内面を見つめる時にそれが沸き起こってきた……」

「平野の絵は最初『自分の哀しみや逆境のことばかり描いている』と批評されたんです。その後成長していく中で、眼が広がってきたと言うのでしょうか、自分だけのものではないものを描こうとしはじめました」

大坊は自分の後ろに立てかけてある1枚の抽象画を譬えて言った。

「筆の捌きが大きく動いているところと、小刻みなところと両方ありますね。この小刻みな線の動きを見ると、子供の頃ひとりで小さくなって描いていた姿が影絵のように重なります」

「子供は狭い部屋の方が安心しますよね。それでこの広いアトリエの中にも必ず狭い場所を作るんですよ。イーゼルの向こう側に机を置いたり、仕切り戸と本箱の間に空間を作ったりしてね。凝縮した狭い世界の中でものを考えるというか……。人がずかずかと入ってこないようにね」

アトリエ内には仕切り戸や自作の屏風、棚などがあり、その空間を作り出していたような痕跡が容易に窺えた。天窓を塞ぎ、狭い場所を作り、人を拒絶する……。しかし彼の絵からはそんなこじんまりとした印象、限られた世界観のようなものは感じられない。


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