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舞台の袖に居られる幸せ②

先日の記事を書いてから、ふと久しぶりに「Rocio Montoya flamenco」と検索をかけてみたら、なんとなんと公式HPにFBページにファイヤーダンスの動画一部と色々出てくるではないか。彼女は単なるいちダンサーとしてではなく、深くリバーダンスと関わっていたり、ジャンルの垣根を超えたコラボ的な活動をしていることが分かったり、となんかちょっと満たされた。極東の片隅でも、あなたが蒔いた種からちょぼちょぼと芽が出ているよと伝えたくなった。スペイン語できないけど。

発表会の日程問題

そもそも今回の発表会は、元々5月29日日曜日の予定だった。それは確か昨年9月ぐらいには決まっていた。年明けには群舞の構成を作って、結構難航しながらもレッスンと自主練習の時間を使って細部を詰めてきた。そして今年の4月になってから、前日の5月28日が娘1号の小学校の運動会であることが分かった。
通常、発表会が日曜日で、その前日の土曜日は午後からリハーサルというパターンだ。運動会と言っても、コロナの影響で縮小されていて昼前には終わる。まあ自分が走るわけじゃないし、大丈夫でしょと思っていたら、3月16日の地震があって発表会開催予定のホールが被害を受け、会場が使えなくなった。コロナのせいで約3年ぶりの発表会だ。また延期したくないとスタジオの方々が頑張った結果、代替のホールが決まったが、当初の予定日ではなく5月28日土曜日だという…。
正直、私は日程変更の話が来た時、運動会のことを忘れていた。そして思い出してちょっと焦った。だが運動会に行かずに発表会に出るという選択には、髪の毛一筋分ぐらいしか迷わなかった。
娘にはかくかくしかじかでお母さんは運動会を見に行けないからごめんなさい。お父さんとばあばが行くからねと伝えた。ごねられるかと思ったが、普通に「分かった」と言われたので、母としては安堵した。あなたは運動会、お母さんは発表会、お互い頑張ろう!ということでまとまった。
もしかしたらもっと成長してから「あの時はさあ…」と言われたりするかもしれないけど、そんなのはもう覚悟の上で、娘のリズムに合わないすずめ踊りを見に行くことより、ずっとずっと一年以上も少しずつ練習して形を作ってきたものを発表する場にいることの方が、私にとってはずっと大事なんだから仕方ない。

というわけで、上記の日程がかぶっていることに対して「発表会の前日が運動会なんだよね~」という話を何人かにしていたので、その人たちの中で「大丈夫なの?」と言われたりしたが、何となく「子どもの行事には母親が行かなくてはならない」圧を感じて、もやっとしたりした。
だってさ~、私が発表会出ないで子どもの運動会見に行きますって言ったらどうするの?舞台の構成とか全部ほんとの直前で変えなくちゃいけなくなっちゃうよ?
ちなみに過去にそういうことは私が知っている限りで2回あった。1回は発表会3日前に出演者の遠方の父上が危篤で発表会に出られなくなった。その人が出る予定だった群舞のメンバーは直前の構成変更を余儀なくされ、休憩時間も必死に練習していた。もう1回は、発表会2日前に出演者の中学生のお子さんが原因不明の急病で入院した。結局この方は発表会に出ていた。私はその時に「大丈夫なのかな」と思ったけど本人が決めたことだし、何も声をかけなかった。まあ確かに入院していたら、親でもできることはあまりないし、小さい子供じゃないしね…。
とここまで書いてふと思ったけど「大丈夫なの?」って色んな意味があるんだなあ、お子さんはごねたりしなかった?あなたの心理的負担は大丈夫?母親が行事に行かなくてもいいの?(←これは大きなお世話)
私がやっぱりどこかに罪悪感があって、勝手に圧を感じて反発してただけだったかもしれない。反省。

一人で踊ること問題

フラメンコを同じレベルのレッスンクラスで習っていても、習熟具合は人それぞれだ。習い始めて数年なのに、振付をマスターするのがめちゃ早くて踊りにも華がある人。私のように亀の歩みでやっと一人で踊れるぐらいになった人。何年習っていても他の人を見ながら踊っている人。色々な人がいる。

隣接するクラスに、私と同じ2人の子持ちで仕事持ちで上の子ども同士が同じ年なので、たまに話をするよっていう人がいる(仮にOさんとする)。
発表会の日、会場前に私が一番乗り、Oさんが2番乗りで二人で朝から(子ども置いて出てくるまでが)大変だったよね…と笑いあった。彼女は私よりもフラメンコ歴は浅いが、とても上手で若くて可愛くて…ちょっとぽちゃっとしていて私的には眼福(笑)な人。
その彼女にライブで一人で踊ったことありますか?と訊かれたので「あるよ~」と返事をしたら、私もお誘いいただいたことあるんですけど、まだできないなあと思ってお断りしているんですと話された。彼女は多分自分の踊りが、自分で思う一人で踊れる水準点に達していないから断ったのだというようなニュアンスだったが、私は「そんなことないよ。踊れる機会があったら踊ったらいいよ」というような内容のことを言ったと思う。
その時に実は私は何かもっと別のことを伝えたかったような気がして、後からもやっとしていた。よく考えたら、自分が満足できるような踊りなんてそんなのないよってことだった。上手く踊れたなあって思っても、また突き詰めたら全然足りなかったなんてことはザラにある。本番を踊る機会があったら、練習して踊って、できなかったって落ち込んで、その繰り返ししかもっと上手になる道がない気がするのである。
できるかできないかではなく、やるかやらないかなのだと。
今度習う曲では彼女は同じクラスになるのだが、ある程度マスターしたら、彼女をパレハ(二人で踊ること)に誘ってみようかと思った。きっと楽しい。

⇒③に続く。中々舞台の袖にたどり着かない…

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