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老い

少子高齢化の話はよく聞くし、出てくる。現実に本年の本休寺御会式では、ケアマネージャーさんに講演を頂いている。

老いと向き合うことを仏教では根本的問題としてきた。四苦という生老病死の苦しみの一つに数えられている。
人間は生まれたならば、老いて、病を得て、亡くなってしまうという話であり、その事実を受け入れられない。老いたくないけど、老いてしまう。「~したくないが〜してしまう。」という欲望が苦しみの原因と見定め、制御する方法を提示しようとしたと考えられる。
生老病死という如何ともし難い現実が問題なのではなくて、現実を受け入れられない私達の心を問題としている。

さて、先ほど「人間に生まれたならば」と表現した。それは苦しみの原因となる老いが、実は人間独特の苦しみであるという事実があるからだ。
『なぜヒトだけが老いるのか (講談社現代新書)』 

では、サケは産卵・放精後に急激に脳が萎縮し、突然死する。急激に老化し、死にいたると指摘しています。(48頁)また、生殖可能な非老後期間でほとんどの動物がなくなり、シャチ、ゴンドウクジラ、人間だけが老後期間があることが示されている。(94頁)
老いる特権があり、その恩恵で自分の種族の子育てを手伝ったり、守ったりしてきたことが述べられています。
著者は老いを否定的に捉えるのでなく、親子関係を超え、より大きな社会性の獲得により公共性を有することが可能とし、ボランティアも含めた利他的活動への従事を進めています。

一見すると、仏教は老いを否定的に捉え、小林先生は肯定的に捉えているようにも見えますが、その根底はメタ認知であり、欲望から距離をとること、加齢から自然と欲望から距離が取れることと関わっています。
『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか 』

では、如何に次世代へ我々は、地球環境も含め良き社会を構築し、バトンタッチをするかが課題としています。
私も51歳になりました。論語には「子曰く、吾れ十有五にして学に. 志す。三十にして立つ。四十にして. 惑わず。五十にして天命を知る。六. 十にして耳順う。七十にして心の欲. するところに従い矩を超えず」
とあります。70になった時に矩を超えないためにも良き生き方をしたいと感じるこの頃です。


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