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居場所を作られてしまう弱者たち

「居場所作り」と聞くようになりました。

ただ、居場所を作らないと居れない社会の在り方ってどうなんだろうと思うんですよね。

今日は、ひとり親や障害児育児をしながら一労働者・一社会人として排他感を味わったネガティブな経験談を言葉にしておきます。

救いも身も蓋もありませんが、誰かに刺さって少しずつマインドが変わると嬉しいです。

配慮ってなんだろう

「(幼稚園の日常の中で)お子さんをみんなより早く迎えにきてください」「(遠足のとき)みんなはバスで行きますが、娘さんは親御さんの送迎でお願いします」

なぜ、私の子どもたちだけ『みんなと同じことをさせてもらえないのだろう』と思ってきました。

障害を抱える子に対し『○○さんは、難しかったら参加しなくてもいいよ』を優しさだと思われるとしんどい。もっというと、優しさに見せかけた排除の言葉ほど、ツラいものはありませんでした。

けれど実際に、我が家の子どもたちが幼い頃はそれらが当然。『なぜ?』と声を上げると子どもへの理解が足りない風に不思議がられました。

仲間に入れてもらえない社会

マイノリティ性のある人を、仲間に入れてくれない文化や社会は生きづらいです。

おそらく、そうした事実を体感した人たちが日本のインクルーシブ教育に疑問を抱き始めたのでしょう。ここ数年、海外の教育事情もよく耳にするようになったし、教育移住をする人も増えたと聞きます。

教育移住できる人はいいです。けれど、事実出来ない人も多いんですよね。そこが、さらにしんどい。

日本の文化の課題点

問題は、時代を変えていけるリーダーが政界の中にいないことだけではありません。国民一人一人が、マジョリティ側の声の大きさにこだわることだと思います。加えて同調圧力もまだまだ強い。

多数派にこだわり、自然と異端を排除してしまう文化が、さまざまなところでエラーをおもしています。もう、これが『日本』なのでしょうね。

これからは、移民政策にのっかってもいいのでは...

もし私が今、若者でいくらかの貯蓄と英語力を持っていたとしたら海外へ行きます。

留学やワーホリといった期限を定められたものではなく、移民として職と定住を求めていくと思います。

だから息子の言う『海外で働きたい』が、本当になるといいななんて思ってしまうんです。『海外で』というと、エリートの要素を含んだものと考えられてしまうことも多いですが、普通に移民労働者としてでも叶うといいねって思ってしまうんです。

ひとり親、障害児、その親、私たちの居場所はありますか?作ってもらえますか?(皮肉含む)

今日はここまで!


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