見出し画像

あなたも私も街のプレイヤーである!

幼い子どもたちを連れていると、今まで気付くことのなかった街の暮らしづらさに気づくんですよね。

でもこれ、子どもが一緒だからと言うよりは、街の構造が特定の人たちに向けて作られているからなんじゃないかなって思うんですよね。ユニバーサルデザインとかも打ち出されていますが、マジで考えてやってんのかなって思ったりもします・・・

今日は、母親や女性ジェンダーの視点から見えてくる街の構造ついて考えてみます!

ユニバーサルデザインとは、文化・言語・国籍や年齢・性別・能力などの個人の違いにかかわらず、出来るだけ多くの人々が利用できることを目指した建築・製品・情報などの設計のことであり、またそれを実現するためのプロセスである。

Wikipediaより

母親の謝り癖

先日、スーパーのレジで並んでいるときのこと。私が後ろを振り向くと、後ろに並ぶベビーカーを引いた女性が「ごめんなさい」と謝ってきた。

一体この女性は、何に謝っているんだろう...

けれど、私には彼女に謝罪の理由がなんとなくわかる。もしかすると、彼女は自分のがベビーカーという大きな所有物を持っていることで「周りの人たちの空間を狭めている」とを申し訳なく思ったのではないかと、私の過去の経験から感じたんですよね。

私自身も、子育てを通し謝罪癖ついた1人です。

子連れはしんどい

公共の場での子連れは、とにかく肩身が狭い。行列に並んだり、エレベーターに乗ったりがかなりしんどい。子どもを連れていない人たちがスムーズに行うことができる行動ができないことで、謝ってばかりだったな〜。

申し訳ないと感じれば感じるほどいく場所がなくなる。雨なんか降ると最悪で、遊ぶ場所がなくて本当困った。だから、週末の天気は死活問題でした。行ける場所があったとしても、幼い子どもたち2人を連れて入れるトイレがな居場所も多く、ちょっとした外出でさえ下調べが必要だった。

あの頃の私は、こうした問題を「子育て中なら誰もが我慢していること」で、泣き言を言う自分が悪いのだと思い込んでいました。

けれども子育てから片足外すことができた今、そういうの少し違うかなって思う。育児のしづらさは、街や公共の場の環境要因ということもあるんじゃないかな。

特定の人が住みやすい街

多くの街の作りは、健康な男性にとって都合よく作られているものが多かったりします。

例えば「長い地下道」。これは、ここを夜に1人で歩いても恐怖心を感じない生活強者が作ったのだろうと、若い頃から思っていました。

そんなふうに、特定の人たちだけで作った街の仕組みの多くは、女性やジェンダーマイノリティの方、障がいのある方、子どもや高齢者などにとって、とても不便なことが多いです。

それを踏まえて、マイノリティと呼ばれる人たちの暮らしの不便さを言葉にするって意義あることだと思うんですよね。

子育て対策とユニバーサルデザイン

今現在、政府が考える少子化の原因は「経済的な問題」とされることも多いです。ただ、個人的には金銭的な問題以外の視点もいっぱいあるんじゃないかなって思うんです。例えば、ユニバーサルデザインとかね。

ユニバーサルデザインと聞くと、自分とは関係ないと思う方も多いかとは思います。けれど、次世代に向けての投資が老い行く自分自身への暮らしやすさに直結するってこともあるんだろうな。

世間話程度でもいいから、街のプレイヤーとして声を上げていく!
私は、大事だと思うな〜

皆さんは、どう考えますか?
今日は、ここまで!

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

多様性を考える

いただいたサポートは、我が家の自閉症児2人のおやつか私の一息の休憩代に使わせてください。私もいつか、ひとり親や障害児育児にサポートできる側に回りたいです。