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リレーエッセイ「わたしの2選」/『IT』『クリスマスのフロスト』(紹介する人: 小川公貴)

自分にとって大切な本を紹介する。

という行為にむずがゆい重圧を覚えるのはたぶん、心の薄皮を剥いで晒すような側面があるからだろう。なんかこう人間性を試されている気がする。しくじれない。

例えば、個人的に無人島へ持っていくなら外せない『人喰い映画祭』。間違いなく自分にとって大切な一冊だが、タイトルだけでもう、お里が知れてしまうリスクがある。そう考えると恐ろしくて、とてもこの心の一部分を大っぴらには晒せない。

かといって、我が家の書棚をどす黒く彩る、ヴィレッジ・ヴァンガードの最深部でしか見つからないたぐいの書籍たちはもっとまずい。ここで嬉々として紹介すれば倫理観を疑われ、変態と罵られ、最悪仕事を干されてしまいかねない。それは困る。私には養うべき猫たちがいるのだ。

ちなみに普段はもっぱらゲームやエンタメ系のメディア、契約書などを横から縦の言葉に変えている。

そんなこんなでおれ悩んだ。

けれど、ほんやくWebzineはその名のとおり、翻訳にまつわるメディアだ。だとすればここはやはり、翻訳にちなんだ思い出深い本を選択するのが正道であろう。

そこで僭越ながら、以下の二冊を紹介したい。

IT

まずはスティーヴン・キングの『IT』。数年前に映画版も大ヒットした、モダンホラーの帝王ことキングの代表作である。

本書は浪人中、英語を学ぶのが面白くなってきた頃に、私が生まれて初めて手に取った“英語の本”だ。

ご存じの方も多いだろうが、すげえ分厚い。胸にこっそり忍ばせておけば、弾丸だって防げるだろう。たぶん。いわゆるペーパーバック、日本でいう文庫版なのに、豆腐を二丁重ねたくらいの存在感があり、総ページ数は千二百を超える。

英語初学者が挑むには明らかに高すぎるハードルだが、私はどうせ同じ値段を払うなら、英語がたくさん書いてあるほうが得だろうと思ったのだ。安易である。

この浪人中、私は初めて英語というものを真剣に学んだ。小学生の頃は一応、同級生のお父さんが近所で営む、アットホームな英会話スクールに通っていたけど、そこでは「エアポー」とか「バックス」とかリピートアフターミーしたのち、すぐさまリビングのセガマーク2で遊んでいたので、英会話は毛ほども身につかなかった。

振り返ってみると、私はその先生の奥さんが運営する絵画教室にも通っていた。絵心なんぞ、心のどこをほじくり返しても見つからないのに。一体なぜ。思い出せない。物心がついた頃にはもう通っていたから、わが家はこの夫婦にかなりの金を落としていたことになる。何か弱みでも握られていたのだろうか。今度実家に帰ったら訊いてみよう。

とにかくそうやって、私は小中高とずっと英語をないがしろにしてきた。学業そっちのけでゲームと麻雀に明け暮れ、高三の冬には県内でも滑り止め中の滑り止めとして名高い某大学を一応受験してはみたものの、英語の試験問題すらろくすっぽ読めず、あっさり落ちた。

それでも浪人という一年間の猶予を授かった私は、その時限性がなんだかゲームみたいに思えて燃えてきて、絶対に“攻略”してやろうと決意した。浪人中は新しい知識がどんどん身についていく感覚が病みつきになり、実際勉強のしすぎで不整脈になったり、点滴を打ったり、脳のスキャンを撮ったりもした。

そんな浪人時代の夏に読み始めた『IT』は、言うまでもなく難しかった。それでも元々ホラー映画が好きで、邦訳されたキングの小説をよく読んでいた私は、ポケット辞書と首っ引きで少しずつこの大著を読み進めていった。その甲斐もあってか、大学受験という人生ゲームも無事、ハイスコアでクリアできたのだった。

とはいえ『IT』そのものは、英語素人が半年で読みきれる代物ではとうていなく、肝心のペーパーバックも何かのついでに捨ててしまった。そのため当時の苦労を偲ばせるものは何も手元に残っていないが、あの時に覚えた、耳慣れない響きのちょっと魅惑的な単語たちは今も、しっかり頭に刻まれているように思う。

クリスマスのフロスト

ジャック・フロスト警部シリーズの一作目である『クリスマスのフロスト』も、思い出深い一冊だ。

翻訳というのは本質的に不自然な行為だと思う。

それは完成している絵をわざわざバラバラにして、別の額縁の中で元通りに組み合わせるような作業だ。パズルと同じで、最後にいくら糊を塗っても、ピースの継ぎあとを完璧に消すことは難しい。翻訳という仕事をやればやるほど、自分にできることの限界を知り、途方に暮れる回数が増えていく。

『クリスマスのフロスト』には、そうした翻訳という行為の継ぎあとがまるで見当たらない。イギリス人の著者が日本語を知っていたら、きっとこういう文章を綴っていただろうという説得力に満ちている。村上春樹が翻訳した小説からは濃厚な“村上春樹臭”が立ち昇ってくるが、『フロスト』シリーズにはそれがない。だからすごい。そこにあるのは黒子としての翻訳者が目指すべき、完璧に美しく仕上がったパズルの姿である。

本書を読んだのは確か、翻訳学校のフェロー・アカデミーに通いながら、ゲーム翻訳の仕事を徐々にもらえるようになってきた頃だった。公募のコンテストでも小さな賞を取ったり、惜しいところまで残ったりして、客観的にも「この世界でそこそこ食っていけるかも」という手応えを掴みかけていた。そんな折、師匠である田口俊樹先生の一番弟子と言われる芹澤恵氏の『フロスト』を読み、控えめに言っても衝撃を受けたのだった。

曲がりなりにも翻訳で稼げるようになっていた時期だからこそ、『フロスト』の翻訳の凄みが伝わってきた。仕事として翻訳をやっていると、どうしても時間や環境といった外的要因の影響を受けやすい。その中でベストを尽くすのがプロだと言えば聞こえはいいが、要は何らかの妥協を強いられることも少なくない。『フロスト』にはそういった妥協のあと──パズルの継ぎあとが見られない。

「神はディテールに宿る」というけれど、原著者が一切の妥協なく英語で綴ったすべての言葉を、同じだけの入念さと緻密さをもって掬い上げ、美しい日本語に置き換えていく。それを最後まで徹底している。完璧な黒子であり続けている。

それがプロとしてどれほどすごいことか。とんでもない場所に来てしまった。高すぎるぜよ、翻訳の山──畏敬の念と絶望まじりに、そんなことを思った。

私は今でも文章に迷ったとき、『フロスト』シリーズにぱらぱらと目を通す。そうすると文章が、翻訳が、なんだか上手くなったように思えてきて、気持ちも新たに仕事と向き合えるのだ。

そして自分もいつか『フロスト』みたいな完璧なパズルを、世に送り出せたらと思う。


■執筆者プロフィール 小川公貴(おがわきみたか)

ゲームとかを翻訳する人。アラサー期にワーホリでカナダへ渡り、翻訳という仕事を知る。2006年にフリーランスへ転向後、現在はゲームをメインに、エンタメ系のウェブコンテンツやコピー、マーケティング、契約書、書籍などを雑多に手がける。座右の銘は「だいたいやる」。主な担当作品は『コーヒートーク』『RUINER』『Owlboy』(ゲーム)、『ガレン:一番盾』『ミック・ジャガー ワイルドライフ(共訳)』(書籍)、『私はゴースト』(字幕)など多数。また、コトバの楽しさを世に伝えるべく、“とら猫”編集長として、読みものサイトBadCats Weeklyを運営中。


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