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内からの「ワクワク」

とある日のカフェで 大好きなノートとペンと共にフィーカ(お茶)の時間

前回のカウンセリングでも何度も言われた言葉。あなたはすごいんだよ、スウェーデン人の同僚と同等に働いて、様々な言語を使って仕事をしている。それはすごいことなのよ、と。

でもずっとずっと。何か違和感を感じていました。すごいからってなに? すごいとどうなの? 

スウェーデンという国でスウェーデン人と同等に働くのは当たり前。2, 3ヶ国語を操って仕事をするのもこの国じゃ、当たり前。全くすごくない。まして人からすごい、と言われても自分に自信がなくては意味がない ...

悶々としていました。ずっと。でも、ある時ふと気づいたんです。自分が人からどれだけすごいと言われても、自分でもどれだけすごい、と気づいてもそれが次へと進む活力にならないということ。だってそれって自己満足。自己肯定。でも、そこから何も進まない。それよりも、自分の背中を押し進めてくれるものって、他にあるんじゃないかな? と考えていました。

それが、手帳に色々と予定を書いているうちに気づいた【ワクワクすること】

そう、ワクワクする予定がないと、元気がでないのだ、そしてそれがないと前に進めないのだ! との気づきがあったのです。

今や世界を舞台に活躍する、片づけコンサルタントのコンマリさん。彼女のメソッドは、ものを見て『ときめく』かどうかを感じて、そこでそれを捨てるかどうかの基準にするというもの。【ワクワクすること】を見極めるのは、ときめくかどうかを感じる、それに似ているのかもしれません。ワクワクするかどうかを基準に、予定を決める。そしてワクワクすることは楽しい。予定を書き込むだけで、気持ちが高揚する。

改めて考えてみると、外からと内からの違いなのかな、とも思います。自分で自分をすごいと褒め、それが活力になればそれはそれでいいこと。内からの「すごい」という自信。それが背中を押してくれて、生きる力となるのかもしれません。勢い、みたいな感じかな。でもあくまでも「内」から出てこないと意味がない。人からどれだけすごいと「外から」言われていても、自分がそう思わなければ&それが力になっていなければ意味がない。ワクワクも、人から「ワクワクすることがあるよ! ね、ワクワクするよね」と「外」から言われても、それが「内」から湧き出てくる感情でないと、全く意味がない。

今、一番ワクワクすること。それは、「こんなに読める本があるんだ! こんなに読書の世界が待っているんだ!」というワクワク感が湧き出てくる、自分の積読本を眺めているとき。海外在住なので(世界一好きな場所の→)日本の本屋さんに生きたい時に行くことはできず、積読本の山を【自分の本屋】と呼んでいます。そして、その【本屋】を眺めているときのワクワク感。眼の前に広がる、未知の世界。ワクワクします。*どれだけ積読があるのですか、という話ですが、笑

そして、今はやはりトラベラーズノートの存在。今朝、トラベラーズノートにオリーブ色が定番カラーとして発売されるとの発表がありました。買う買わないに関わらず、これもワクワクするニュース。考えるだけで、笑顔になります。他のユーザーの笑顔も伝染して、ワクワク、が広がる。

それに加え、今まで貯めていた文房具類たち。数年前、断捨離と称してペンを100本ほど、マステも数え切れないほど捨てたことがありました。それでもまだ生き残りがいくつかありました。久しぶりの再会。ワクワクする存在。

前に進むことを助けてくれるモノたち。存在。
元気をくれるモノたち。存在。

ワクワクすることだけを考えて、とりあえず今は元気を出すことに集中。それが生きる活力になっているのだから。

去年の夏、ヘルシンキで購入したポストカード類
存在をすっかり忘れていて見つけたときにはワクワクしました!

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