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雨の中でこそ狂喜乱舞

屋上に留まる鳥に見えていたのは鉄の塊だった。降ったり止んだりを繰り返していた雨は今日の朝からは降り続け街の汚れを洗い流していく。遮光カーテンで真っ暗な部屋ではいつまでも眠ってしまい、目が覚めても時間が止まっている。毎日ワインを買っていられるほど贅沢な身分でもない、財布の底はとっくに見えている。度数が高ければ手っ取り早く酔っ払えて財布にも優しいだろうとスコッチウイスキーを買った。昔、沖縄本島の市場にあるコーヒー屋でアイリッシュコーヒーなるものを見つけ飲んでみた。コーヒーにウイスキーを注いだもので名前の通りアイルランドで生まれたものだ。朝からこれを飲んでガツンと効かせるんだよと店主が言う。この店は酒類の許可をとっているのかなとグルグルとゆっくり回り始めた頭で考えていた。たしか生クリームも乗っていたはずだ。正確にはアイリッシュウイスキーを使ったものをアイリッシュコーヒーと呼び、他にゲーリックコーヒーやケンタッキーコーヒーなどがあるらしく、どちらもウイスキーの産地によって呼び名が決まっている。スコッチウイスキーを混ぜたこれはゲイリッシュコーヒーだ。酒を飲んだ方が人当たりが良くなるわたしは出勤前にこのコーヒーを引っ掛けた方がきっといい。コーヒーを引っ掛けるというのも妙な感じがするが。雨がより強くなってきた。雨の日は屋根の下にいるのがいい。雨だから休みという農業は、もしかしたら休んじゃいない人が多いかもしれないが、自然な気がする。雨の日に働いた方がいい仕事なんてほとんどなくて色々が煩わしくなるだけだ。いやこれは現代化、都会化されたからそう考えるのかもしれない。皆が農耕を主として生きていたとき、雨が降ると大喜びで踊ったのだ。作業などそっちのけで恵みの雨の中喜びを体いっぱいに狂喜乱舞だ。ドロドロに塗れて気が狂ったかのように皆がぐちゃぐちゃに混ざりあう。雨とは天と繋がることだった。仕事をしている暇はない。狂ったように遊ぶのが雨の過ごし方だ。日々のあれこれを忘れて編み物を編む、本を読む、文字を絵を詩をかく。自分の時間を取り戻し思い出しその中に入り込んで喜びに狂喜に包まれる。ほんの一幕、優しく息をする。雨の中でこそ踊れ。人生の辛い時こそ踊るのだ。というとまたつまらない自己啓発に流れていきそうだ。雨はさらに強まって土砂降りだ。

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