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街の血液

部屋の隅にワインの空瓶が3本立っている。さっき買ってきたワインを注ぎながら一人部屋にこの光景は異常だろうか、掃除に来た人が驚くかもしれないと考える。もうワインは半分しか残っていない。バルコニーからはマンションの窓がいくつも見えて、可愛らしいライトで飾った部屋や怪しげなブルーライトで照らされた部屋など、人間がそれぞれの生活をしているのが目に入る。蜂の巣のようなそれがいくつも立っていてどれだけの人間がここで生きているのかと気持ちが悪くなることが昔はあったが、今は反対にそれぞれの暖かさを感じられるようになった。それは人の愛を知ったからだろう。なんて臭い言葉だ、しかしずっと愛とか好きとかの意味が感触が分からなかった人間が一人の人間と共に歩むことでその素晴らしさを知ることができた。その相手はもう隣にいない。遠くに妖しく光るスカイタワーが見える。それは都市全体を監視しているかのように赤い光を点滅させる。ペンをポケットに忍ばせて夜の街を歩く。公共物が目に入ると周囲を確認しサッとタグを残す。思考が変わると世界の見え方が変わる。この街の至る所に監視カメラが設置されている。政府の一番の敵はその国の民だ。コントロールするためにはなんでもやる。こう書くと一気に陰謀論くさくなるが、ほとんど出鱈目な陰謀論の中に政府のしたたかさは潜んでいる。こう書いているだけでもバカみたいに見られるであろう自分を客観視してしまうが、事実政府は国民を一番になど考えはしない。主張をすると人に嫌われる、極端であれば尚更だ一体俺はどこに向けてこんなことを書いているのだ。酒を飲んで説教くさくなるオヤジと一緒じゃないか、いやオヤジと呼ばれる存在になってしまったのだ、それなのにいまだにこんな有様だ、しかし自分を笑えるのは自分だけだ。とにかく。マインドが変われば世界も変わると言うことだ。山の中でキャンプをしていた時火を起こす為に薪を拾い集めていた。ちょうどいい木の枝を拾い集めているうちに斜面に落ちている薪になりそうな手頃な枝が光っているように浮かび上がってくる。なんでもない斜面が宝のありかになったのだ、いや正確には宝のありかだったことに気づいたのだ。毎日の生活も全く同じことだ。人の嫌なところを見つけシステムの腐ったところを見つけるのは自分が探しているからだ。書きながらまた自己啓発だつまらないと感じてしまう。説教なんて書いても仕方がない。ひどい尿意だトイレへ。

歩道橋から都市の高速の途切れることのないヘッドライトを目で追う。都市という巨大な生物の中を循環する車たちはニンゲンという有機体を運ぶ。ニンゲン達は壊れた体を治したり新たに創造をしたり破壊の爆発を起こしたりを繰り返し都市はその形を変えながら生き続ける。街の血液になることもないわたしはウイルスだ。潜伏し時には攻撃しここで生きている。劇的な変化が訪れる時、それは一種の病気の発現だ。死にかけた身体が仙豆を食べて生き返るように、トラウマを乗り越えた人間が一つ強くなるように都市も社会も変化を止めることはない。人間の一生という短い時間の中で起こせる限りなく小さい変化。しかしその変化によってしか都市も社会も生きながらえない。顕微鏡でわたしを見る誰か。それはわたしだった。そしてそのわたしも誰かに見られ続けている。

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