魔力的魅力を持つもの。それは私にとっては読書、つまり言葉だ。

                           2年 濱野紗妃

 言葉はいつだって私たちとともにあり、色々な顔を持って私たちを誘惑し翻弄する。読書は言わば、そこにいながら現実から連れ出し時空を自由自在に飛び越えあちこちへ案内してくれるものだ。これこそまさに魔法である。また、それとともに読書は危険さも帯びている。例をあげよう。時計が刻む時間とその速さは常に一定である。しかし、一旦読み耽ってしまうと睡眠を、食 を、時間をも忘れてしまう。これほどまで人々の感覚を狂わせ夢中にさせるものが他にあろうか。
  読書という行為は、日常生活の中で中断と再開が繰り返し行われる。野間文芸賞を受賞した堀江敏幸さんの『その姿の消し方』で「読むという行為は、これはと思った言葉の周囲に領海や領 空のような文字を置いて、だれのものでもない空間を自分のものにするための線引きなのかもし れない」と書いている。作品の中の本当は存在しない登場人物たちの言葉がたった一文でさえそ こから海のように、空のように広がりを見せその中に自分だけの場所を与えてくれる。そしてたま たま同じ本を読んだとか関連本を読んだ、という人に出会いそれぞれの世界は一部の共通点から 溶け始めさらなる広がりをも生む。  幼い頃読んだ絵本、思春期の時に影響を受けた本、恩師から譲り受けた本など自分の人格形成 に少なからず関わっている本をだれしもが一冊は持っているだろう。たった一冊の本で人生が 180°変わってしまう経験をした人もいるかもしれない。あなたの読んでいるその本には作家のも のの見方が反映されている。それを自分の言葉で考え再構築することで言葉や考えの遺伝子がど んどん継承されていく。読書には無限の可能性が秘められているのだ。
 特にわたしは小さい頃からファンタジーが好きだ。ファンタジーを読むことは別世界を作りそ こへ想像力の翼を持って羽ばたくことだ。わたしは現実において空を飛ぶことはできないが、ファ ンタジーの国においてそれは自在である。つまり、読書という名の魔法によって不可能なことは ないのだ。それに、記憶の中で生き続ける登場人物たちはいつでも呼び寄せることができる。頭 の中で対話をすることもできる。そうして読書を続けているとやがて自分の中の怪物に出会うだろう。自分の中の怪物とは、自身でも自覚してなかった知らない自分でそれが故に困惑する。これを克服することでまた見える世界が変わってくる。どんな魔法にも必ず対価が必要だ。それが 大きいものか小さいものか人によって違うけれど、わたしはもう読書なしに生きていくことはで きない。老婆になるまで魔女として言葉を操り、読書の魔法をかかり続ける。そのうち本を読んで いる自分が狂っているのか、それともこの世界が狂っているのか分からなくなるまで読み続ける。 そうして一生かけて対価を払い続ける。  この世界に魔法なんてない、と言う人はたくさんいるだろう。
 それは本当ですか。ほら、あな たも気づかないうちに本の魔法にかかっているのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?