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「チョコレートドーナツ」感想 痛いほどの問題提起と、渦中の男・東山紀之の恐ろしいまでの集中力

!!!やばい!!!感想文をゆっくり書いていたら東山紀之の社長辞退の報道が出てて、でも舞台を見た時は「これが最後の東山の舞台かぁ」と思って見てたので、そういう雰囲気の原稿になってます。もしかしたら芸能界引退を撤回する可能性もあるけど、本稿内では一旦東山は年内で引退する前提で進めます。



 2023年9月3日、いくつか大きな発表がありました。そのなかの一つは、旧ジャニーズ事務所の社長であったジュリー景子氏の退任、と東山紀之の社長就任、そして、東山の芸能界引退でした。その後の会見でも色々なことがあって、あちこちから説明を求められる立場になった東山がこのタイミングで演じたのはダウン症の少年を育てるゲイカップルの役でした。
 東山が芸能界を引退する根本的な原因を考えると、再演とはいえこのタイミングでこの役を彼が演じること、そしておそらく役者・東山紀之が最後に演じる役がこの役であることにある種の運命を感じざるを得ません。
 今回は東山紀之おそらく最後の主演作品、「チョコレートドーナツ」の感想を書いていこうと思います。

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PARCO劇場開場50周年記念シリーズ 『チョコレートドーナツ』
宮本亞門演出 東山紀之主演 岡本圭人出演

 1979年のアメリカ。かつてシンガーを目指していたショーパブダンサーのルディ(東山紀之)は検事の見習いをしているポール(岡本圭人)と出会う。ルディの隣の家に住んでいる薬物中毒の女性が逮捕され、その家にいたダウン症の子供マルコ(丹下開登/トリプルキャスト鎗田雄大、鈴木魁人)と出会う。施設で育ったルディはマルコの親代わりに育てることを決心し、ポールの力を借りて親権獲得のために裁判に奔走するが、男性同士のカップルに子供を育てるということが理解されず裁判に負けてしまう。最後の判決の前に施設の電話でルディに「絶対に連れ戻すから」と言われたマルコはルディを探して施設を脱走するが、ルディと再会することなく橋の下で凍死体となって発見される。マルコが死んだのは誰のせいなのか、ポールが客席に問いかける。最後にカウントダウンコンサートでルディが歌を歌い、幕は降りる。


 よく、映画に対して「胸糞」という評価が良い意味でされることがあり、救いのない作品に対する賞賛の意味での言葉であると理解しているが、そういう意味では今作も「胸糞」と言えるような作品だったように感じる。

 途中まで、ゲイであるルディとポールに対して明らかに差別的な眼差しを向けるキャラクターがいくつか登場し、観客はそれらのキャラクターに嫌悪感を持つ。しかしその後、別にゲイに対して差別的ではないが、ルディらの親権を認めず、「あれは酷い、でも私には何もできない」と諦める判事(高畑淳子)に対しルディは「一番悪いことは正しいことだと分かっていながらも、それをしないことである」と話す。その後のエピローグでポールは「マルコが死んだのは誰のせいなのか」を問いかける中でルディや自分、判事や国の名前を挙げた後に客電が付き真っ直ぐ客席を見つめる。まるで私のせいでマルコが死んだと言いたげな演出だが、その前の判事とルディの会話も含めて「自分は同性愛者に対して差別意識はないが、とくにアクションを起こしたわけではない」という“私自身”が、劇中の差別主義者に対して私が持っていた嫌悪感を、そのまま自分自身に投げかけるような作りになっていた。これは私が特に性的マイノリティに対してなにか社会活動をしているわけではないのでそう感じただけかもしれないが、ただ舞台演劇を見に行っただけで何もしていない自分を責められる(ように感じる)ことに痛みを感じつつ、この心の痛みを無視してはいけないと突きつけるような作品となっていた。 


 重めの舞台を中心に観ていると必然的に岡本圭人の姿を見ることは多い。彼はいい意味でフラットな芝居をするタイプの人だと理解していて、物語の進行に関わらずかなり一定の態度を取るので、助演においておくと主演の感情の起伏が際立つと言えるが、今作でもその助演っぷりは健在。(ニューネームカミングスーン)のタレントは怒ったり悲しんだりする芝居が大げさなになりがちなので、この事務所にしては珍しいタイプだなと思う。

 今回の主演、東山紀之について。今作はショーのシーンが多いのだが、ショーパブでのショーの輝かなさが本当にすごい。これは褒めている。ダンスは上手いのに、「売れっ子ダンサーではないんだろうな」というのが一目でわかる、濁った光を放つのが劇中のルディのショーだった。しかし、そこからマルコの死後、ステージでルディとして歌を歌うラストシーンは一転して、マルコへの想い、と世間への諦めが入り込んだ歌唱となっており、特にセリフでの説明はなかったが歌を聴けば天国のマルコに向けて歌っているのだとすぐに理解ができるほどに、ぐっと観客の心を掴む素晴らしい歌唱を見せていた。つまり、ルディとして、「いまいちパッとしないショーの芝居」ができるのである。(ニューネームカミングスーン)のタレントは地味で陰湿な役を演じていても歌い踊ると突然アイドルの鱗片が見え隠れすることがあり(私はアイドルも好きなので漏れ出すアイドルが見れてラッキー!と思うが…)、逆にここまでイマイチなショーの芝居ができる人は同事務所ではほとんどいないだろう。演技力、歌唱力よりも役に入り込む集中力を感じさせらる芝居で、新会社の新社長の“東山紀之”を少しも感じさせなかった。正直、題材が題材なので幕が上がるまでは会見での東山の姿が目に浮かんでいたが、いざ幕が上がると、連日ワイドショーを賑わせていた鱗片は一切見せない、他の誰でもない“ルディ”がそこには立っていた。


 座席に座ってあたりを見渡すと、観客のほとんどが東山のファンのように見えた。状況的に今回の作品が最後の東山になるという人も多いだろう。東山と同年代の観客が多く、それぞれいつから応援しているのかはわからないが、私が普段見ているような若手タレントが生まれる前からの付き合いの人もいるように見えた。そんな長年のファンから巻き起こるカーテンコールの拍手からは「幕を降ろさないでほしい」という強い意思を感じるようなものだと感じた。個人的に印象的だったのは、キャスト全員で一列に並び礼をして幕を降ろすというのを何度か繰り返した後、岡本が東山の背中を押し、一歩前に出し、東山が客席を見渡し何か言いたげに一礼をする場面があった。それに応えるような拍手の中で、なんとなくだが、東山のファンが色々な想いをぐっと飲み込んで東山の背中を押しているようなメッセージを感じた。そういう、作品外での特別な思い出が多い作品となった。おそらくこのカーテンコールで感じた気持ちを他の舞台で感じることは不可能だし、今作を観劇しなければこんな気持ちになることはなかっただろう。そういう意味で本当に貴重な作品を観劇することができたなと感じた。

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以下、雑感
・観劇中信じられないほどの胃痛に襲われて異常な汗をかきながらの観劇となった。去年末のえび座でも同じようなことが起きて、それ以来お腹が痛くなることはあまりなかったので、寒い時期に観劇する時は胃薬を持っておきたい。

・舞台転換がかなり多く、衣装もセットも俳優も多くて、「お金かかってる舞台だなー」と思った。最近低予算舞台を見ることが多くて…

・「これが最後になるかもしれない」と観客が想いながらみる舞台って初めてかもしれない。2023年SHOCKの北山さんは行ってないので…。カーテンコールで東山ファンらしき人がすごい泣いているところを見ると、何歳になっても涙を流すほど好きなタレントがいるというのがどれだけ幸せなことなのかを考えさせられる。

・文章を書きながら「胸糞」の作品について調べたけど、やっぱりあまり演劇作品について「胸糞」って言わないような気がする。例えば洋画なら「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「セブン」、邦画なら「死刑にいたる病」「冷たい熱帯魚」などは胸糞映画として名高いですが、これらが舞台化した時に「胸糞」とはあまり言わないような気がする。舞台というフォーマット上、グロ描写の制限がかかっていることもあるとは思うけど、“胸糞映画”という言葉はなんか独特の表現だなと思う。意外と「映画をめちゃくちゃ見る層」と「舞台をめちゃくちゃ見る層」は離れている気がする。私も映画は年間3本程度しか見ないし。そういえば、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は舞台化しそうだけどしないな。

・本稿を書いていたら東山が社長辞退(?)という報道もあり、めっちゃビビってます。東山紀之最後の芝居って書いちゃったけど…。

10月は坂本昌行「キャメロット」少年忍者安嶋「ピーチ」堂本光一「チャーリーとチョコレート工場」を見ていて、できるだけ全部感想文を出したいので、頑張って書きます…書くことはかなり楽しいんだけど、いかんせん時間がなくて、この文章も、月曜の深夜3時に書いてます。寝ろ。

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