マガジンのカバー画像

多言語育ちだけど質問ある?

7
バイリンガル教育に興味があってもなくても、もはや人生ずっと語学勉強という宿命を背負った女の人生をのぞく感覚でどうぞ。音声配信と記事、お好きな方をどうぞ。欲張りさんは両方どうぞ♡
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

多言語育ちだけど質問ある?

放置しました。放置しすぎたかもしれません。 そう、それはnoteのこと。 ドイツに引っ越して、素敵なヨーロッパ生活をブログに綴る気満々で居たのですが、蓋を開けてみれば、インスタで頑張って作った料理をストーリーを上げ、旧Twitterに愚痴る日々。現実って、そんなもの。 私のドイツ生活ももうすぐ4年、SNSを通じてお友達がドイツを始めヨーロッパ各地にできたのは嬉しい収穫。SNS上でよく絡ませてもらって、会ったことないけど仲良くしてる方から、実際に会ってリア友になった方まで。

質問にお答え① 親からの言語習得支援で嬉しかったことは?勉強しようと思ったきっかけは?

音声配信、記念すべき第1回! ともごんさんとMYさんからいただいた質問にお答えしています! 今回のキーワードは、 「何も期待しない、無条件の応援」 質問(要約 ・北京語についてどう思っていたか ・10代で北京語を勉強したときの苦労は ・北京語やろうと思ったきっかけは ・親からの言語習得支援でよかったこと/嫌だったこと *トークだけではお伝えしきれなかった内容は  以下の記事からぜひ読んでみてください! ●台湾語という特殊言語 →なぜ家庭内を北京語にしなかったの?の答えはここ ●北京語に興味を持った思春期 →なぜ北京語をやろうと思わなかったか、やるきっかけになった推しの存在が私の台湾人アイデンティティを呼び起こした話

台湾語という特殊言語

私は家庭内台湾語&日本語で育ちました。 台湾の公用語は、中国の公用語でもある北京語(通称マンダリン)なので、私の将来の利便性を考えたら、親は北京語を習得させたいと考えるのが一般的かと思うのですが、そんな単純な話じゃないのです。 台湾語は、正式には閩南語と呼ばれる言葉で、元は福建省地方で話されており、そこの住民が台湾に移り住んだことで、台湾で広く話される言葉となった歴史があります。広東語のような、中国語の方言とも言えますが、発音命の中国語が4声なのに対し、台湾語は8声あり(広

北京語に興味を持った思春期

私が北京語を話せるようになったのは、高2の夏。 それまで全く出来なかったか、というと、うん、本当に単語とか、「ごめんなさい」「どういたしまして」とか、トラベル会話以下くらいだったと思います。 もちろん、夏休みに台湾に帰った時や、両親が台湾の友達と北京語で話しているのを聞いているので、普通の日本の子よりは中国語に触れていたと思いますが、そんな程度でした。 北京語の必要性を感じなかった親は、やっぱり将来のことを考えて北京語を覚えてほしくて、ちょこちょこアプローチをしてきました

質問にお答え② 家庭内言語について Part. 1

音声配信、第2回! 今回は3名の方の質問にお答えしています! 今回のキーワードは、 「うちの親が私と台湾語で会話できるようになるまで、足掛け10年」 質問(要約 ・家庭内言語はどう使い分けていた?混乱はなかった? ・現地語以外を話しかけると受け付けてもらえない? ・日本語のシャワーをかけても子供の日本語が伸びない… *トークだけではお伝えしきれなかった内容は  以下の記事からぜひ読んでみてください! ●ゆらぐ台湾語、言語の区別と切り替えと →お話しした内容がまとまってます。トークだと少し駆け足になってしまったので、記事だともう少しわかりやすく読んでいただけるかなと!

ゆらぐ台湾語、言語の区別と切り替えと

別記事で、父が家庭内台湾語(ジュディ・オング式)教育をしたと書きましたが、じゃあ私は幼い頃から親とペラペラ台湾語を話していたかというと、 そんなに甘くない!! 母曰く、台湾語で話しかけても、単語くらいは話すけど、基本的には日本語で答えていたそう。(父、ごめんな) しかも一人っ子だったこともあり、私がめちゃめちゃテレビっ子で、週末は朝から教育テレビ(今はEテレですね)をずーっと見たり、学校から帰れば16時台のアニメを必ずチェック、好きな番組は録画して何度も見たりしていて、

「日本人」になりたくて仕方なかった私

以前の記事「北京語に興味を持った思春期」で、私に台湾人としてのアイデンティティがどう芽生えていったか、を書いたのですが、今回はその前の話をしたいと思います。 と、記事内でサラッと書いている、この部分の話です。 いじめっ子との出会い多様性や個の尊重が叫ばれて久しい今でも、きっと小さい頃は「みんなと一緒」がいいと思うんじゃないかな。私の育った時代は特にそうでした。 「あれ、私はみんなと違うの…?」と思い始めたのは多分小学生の頃から。 小学校の行事では先生だけでなく、お母さん