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生活の中に音楽がある人々(三): プロミュージシャン&教師

Vol 27   日本 プロギタリスト 音楽教師

レンタルスタジオは、楽器を大音量で演奏できる施設で、主に個人練習やバンドのリハーサルなどに利用されています。練習に必要なギターアンプやマイク、スピーカーといった機材が揃っていて、音楽活動をする人たちがより音楽を楽しむことをサポートしています。


前回の記事で、「日本では、40数年前から、今のようなスタジオがあった」と「音楽スタジオエンジョー」オーナーの杉本さんが教えてくれました。

Q1 もし音楽スタジオがなかったら?

A1: 「楽器を格好よく演奏したい」「バンド活動したい」と思う人が増えるにつれ、楽器教室や練習場所のニーズが高まり、音楽スタジオの数は、音楽活動の場所として発展してきました。

楽器がある程度上達してくると、次は「バンドを組んで人前で演奏を披露してみたい!」という感情が芽生えてきます。ライブ本番に向けて演奏力やステージングを繰り返し練習します。バンド活動のほとんどはスタジオでのライブリハーサルになります。

もしこういうスタジオがなければ、やりたい欲求が絶対に減らないので、ゲリラでどこかでやって、地元に人たちとのトラブルが頻繁に起きるでしょう。

資料:杉本さん(右)のバンドライブ

3年前、コロナが流行し始めたとき、すべての音楽スタジオやライブハウスは密閉された施設として、一時営業停止になったことがありました。それによって廃業する施設も少なくありませんでした。
 
音楽活動の場が減れば、音楽をする人も減ります。楽器を演奏する人が減り、市場が小さくなります。楽器生産が弱まり、楽器や部品の値段が上がって客離れを起こします。国民の音楽文化が縮小するという悪循環が起きます。
 
音楽スタジオは、文化活動を支えるビジネスの一つであり、スタジオの数量はその地域の音楽活動のアクティビティ、また、その地域の音楽リテラシーのレベルを示すパラメータとも言えるでしょう。

Q2 音楽スタジオと教室の経営者になる経緯は?

A2:  楽器を教えることを最初全く考えていませんでした。

資料:杉本先生のドラムとギター

     TVのCMディレクター&ミュージシャン

私は8歳からギターを始めました。音楽プロを養成する学校に入り,音楽で身を立てようと思いました。10代後半はバンド活動で東京でしていましたが、現実と僕の望むプロミュージシャンとの姿のギャップを感じ、名古屋に戻って広告会社に就職しました。
 
映像ディレクターとして仕事が充実した私は、賞をたくさん取った実績と実力で、32歳の時独立し、テレビコマーシャルを作る会社を設立しました。

サラリーマン時代は仕事が忙しく、趣味のことを考える余裕などありませんでした。会社を経営するになると、自分の時間のコントロールができるようになり、仕事の合間に、忘れもしなかった音楽活動を再開しました。

資料:杉本さんのバンド活動再開

広告の映像の中には、BGMがあります。趣味の音楽活動を始めてから、自分で広告の音楽をつければと考えました。

10年のブランクがありましたが、ギターを握りはじめてから半年もたたずに、楽器への感性が戻ってきました。

それで、杉本さんはCMソングを創作しはじめました。彼が作曲し演奏した作品がTVコマーシャルを通じて人々に届け、プロのミュージシャンになるという初期の夢以上に思いが実現しました。 

      音楽スタジオのオーナー&音楽番組プロデューサー

今のスタジオは日本の音楽最盛期に作られたものです。前オーナーは、音楽を楽しむ人々の活動を支えるために、長年スタジオの運営をし続けてきました。当時はレンタルのみのスタジオでした。
 
前オーナーが高齢のため、知人であり、名前が知られているプロミュージシャンの杉本さんに経営の引き続きを託しました。

僕はスタジオ&CM会社を経営する傍らに、個人の趣味で、プロギタリストとしてのライブを行ったり、音楽愛好者レベルの「音楽番組」映像をネットで発信したりしていました。
 
番組にゲストとして迎えたのは、活躍しているプロミュージシャンや音楽イベントの企画者、または楽器の製造者など。ゲストとの対談で、普段聞けない情報を発信する特徴で音楽ファンの視聴者を引き寄せました。

資料:活躍しているギタリストをゲストに招き、セッションする番組も

気軽にネットで映像発信ではなかった時代で、一個人で作った音楽番組は、名古屋初で先駆的な活動であり、「ミュージシャンが聞くミュージシャンの番組」と視聴者に言われたブランドになり、業界に与える刺激が大きいものでした。

その映像が数十万再生され、民放ラジオ局のレギュラー番組にとして採用され、影響範囲はさらに広まりました。
 
それにより、熱心にギターを教えてほしい視聴者が現れました。その熱意を断れなかったことは、ギターとドラムの教室を始めたきっかけだそうです。 

Q3 レッスンで教えることは順調でしたか

A3:    レッスンの開始当初、ギターを初めて弾く人に対しての手ほどきは非常に難しいと感じました。

なぜかというと、ギターの初歩的なことは、僕が昔独学でマスターしたので、自分がどのように弾けるようになったのかを思い出せませんでした。
音楽プロ養成の学校で勉強したのはギターの理論や応用であり、ギターの初心者に教えるには、多少の問題点がありました。
 
僕は教え方を研究するために、最初にやったのは、左利きのギターを購入し、弾けない人のことを体験することでした。左手でうまく弾けない問題点から初心者にどう教えたらいいのかと独自の指導法を導きました。

ドラムレッスンに関してはスムーズでした。なぜならば、僕は初心者として学校で基礎から習いました。とても良い先生に学ぶことのおかげで、自分が上達した過程と疲れない叩き方の研究成果をドラム指導に生かしました。
 
この教室に来る人は、初心者もいますし、上級レベルを達した人もいます。ドラムとギターに関して音楽の間口がかなり広いです。
 
当スタジオの利用者の発表の場を作るために、年二回のライブを設け、バンド活動を楽しむ環境を作りました。方向性が決まっていますので、11年の間、形式の変化がありませんでした。

スタジオエンジョーのライブ

資料写真の提供:Michael V Sugimoto

(続き)

本文の中国語バージョン



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