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フェミニズム運動で輝く女性たち

Vol 14 日本 働くの女性たち
 
前回は、私が何年も前に知り合ったフリーライターの高野史枝さんを紹介しましたが、彼女の仕事や社会活動から、私は日本の「フェミニズム」への浅い認識ができました。

高野史枝さんと上野千鶴子さんは、同世代の働く女性でした。少し前、中国のネットで「北京大学女子大学生と上野千鶴子さんとの対談」という話題がホットになった時、高野さんに上野千鶴子さんから受けた影響について伺いましたが、今号では、高野さんが所属していた女性団体「ワーキングウーマン」の活動を紹介します。

2019年 定年した男性たちの映画を製作する監督としての高野さん(右)

女性団体「ワーキングウーマン」誕生の背景

日本の1980年代では、職業女性の人口が少なく、「夫は外、妻は家」という社会通念と、女性の仕事の機会が少なく、職場に様々な男女不平等がある時代でした。
1985年、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇を確保し、女性が働きながら育児をすることを目的とした「男女雇用機会均等法」が制定されました。
 
新しい法律ができたからといって、社会状況が自然に変わるわけではなく、その内容を国民に意識を浸透させるための社会運動や、法律の制定効果を発揮するために、行政、機関、企業のあらゆるレベルで具体的な政策や施策を積極的に展開し、その実施を推進することが必要です。これは長い道のりになりました。

1986年ころ、上野千鶴子さんなどの「フェミニスト」の先駆者たちは日本全国で働く女性の状況を変えようとする運動をおこし、それに共鳴した中部地方のフェミニストリーダーたちによって立ち上げた「ワーキングウーマン」は地域の女性グループでした。
「男女雇用機会均等法を活用しつつ、より実効性のあるものにしよう!女性が生き生きと働き続けられるよう、役立つことはなんでもやろう!」というスローガンを掲げ、働く場、生活の場、社会のあらゆる場における男女の差別をなくすための活動を行ってきました。

より多くの女性の参画を

高野さんは、当時の活動の様子をこう語りました。
「ワーキングウーマン」のメンバーは、OL、教師、公務員などいろんな職業の人がいて、みな自立していて、知的で寛大というところは共通でした。その中に、上野千鶴子さんを尊敬するフェミニストが少なくありませんでした。
 
「ワーキングウーマン」では、様々な講座や勉強会を企画しました。例えば、専門家による『どうしたら男女賃金格差をなくせるのか』などの講演会や、ワーキングマザーが『女性が働き続けるために』をテーマにして、子育てをしながらどう仕事を続けるかという体験談、女性就労率も高いフランスのことをよく勉強していたメンバーが「フランスの子育て支援制度」と題して、フランスの子育て支援政策を、保育・教育政策の紹介など、様々な視点で女性が働きやすいように参加者と一緒に考えました。
 
そして、社会全体の変化があってこそ、女性自身の職場での地位や待遇が少しずつ変わっていくことを理解してもらい、多くの働く女性をこの運動に参加させようと、「ワーキングウーマン」事務局は、各キャンペーンのポスターを女性社員がいる職場に郵送で配布していました。
 
企画の参加者が200人に達することもあり、「ワーキングウーマン」の活動は地域に浸透し、当時としては有名な女性団体となりました。
 
高野さんは「ワーキングウーマン」との出会いは、そちらへの取材でした。働く女性として、同じような辛さに遭い、社会状況を変えようと痛感していることで、その団体のメンバーたちと一緒に社会を変えようと入会したそうです。

「ワーキングウーマン」の活動ポスター(左) 高野さん執筆した映画評論をまとめた書籍(右)

女性の権利のための代弁者を議会へ

女性が子育てをしながら働き続けられるよう、社会全体で男女平等の待遇を実現するためには、意識改革に加え、政策立案への参加とその推進者、つまり地方自治や国政での代弁者が必要です。
 
「ワーキングウーマン」の活動の目的のひとつは、女性の問題に関心を持ち、女性の権利を訴えることができるような活動家を、地方議会や国会の議員にすることです。その一例として、ある年の名古屋市議選の選挙運動を見てみましょう。
 
まず、「ワーキングウーマン」は名古屋市会議員立候補予定者に女性政策を聞く会を企画しました。その年の選挙に立候補予定の方々を招き、「男性の家事・育児時間は極端に短く、職場に蔓延する差別待遇・セクシャルハラスメント、パワーハラスメント、マタニティーハラスメント、長時間労働、等々」という現状に、立候補予定者はどの様な女性政策を考えているのか?聞く会の参加者が一緒に考えたいという趣旨でした。

政治家と対談するテレビ番組

候補者の政治信条や選挙内容が「ワーキングウーマン」に支持されると、選挙期間中の支援を行い、会員の選挙運動による候補者の知名度を上げ、候補者が当選できるように協力しました。 

「ワーキングウーマン」は、明確な目的と確実な方法で女性候補者を支援することに力を入れていました。女性候補者が所属する政党や派閥にかかわらず、女性目線で、働く女性の声を議会に届け、国の政策や市政に反映させたいというのが目的でした。女性政治家を増やそうと、「女性の働きやすい職場、暮らしやすい子育て町にする。女性の力で世の中を変えていきたい」と目指す女性候補者を支援してきました。

 今日の日本社会の男女平等の意識や、子育て中の働く母親を支援する政策として、増やされた保育園・学童施設などは、上野千鶴子さんのような多くの社会運動家や「ワーキングウーマン」のような社会団体の活動による成果の一部でしょう。従来の国民意識や男性社会と対峙する不屈の挑戦と長年の努力なしにはあり得なかったことでした。 

メンバーの高齢化とそれに伴う当時の社会問題の改善から、「ワーキングウウーマン」は30年の歩みを経て2016年に解散と決め、その歴史的使命を終えました。

ラジオ番組の仕事中の高野さん

「フォースプレイス」

「ワーキングウーマン」時代を振り返って、高野さんはこう語りました:

当時は、仕事と家庭を両立しながら、ワーキングウウーマンの活動に時間を多く費やしていました。本当に大変な時期でしたが、情熱を燃やしました。 
私の人生や仕事の経験は、ワーキングウーマン時代の影響が大きいと言えるでしょう。例えば、勉強会や活動の中で新しい価値観に触れる機会があり、それがまた、新しい仕事の領域へ広がるインスピレーションや勇気を与えてくれました。活動の中で、人生を共有し、互いに刺激し合える、生涯の友となる仲間がたくさん得ました。

高野さんや活動の仲間にとって、「ワーキングウウーマン」は家庭や職場とは異なる「サードプレイス」のようです。しかし、「ストレス発散だけではなく、刺激を受けたり、視野を広げたりできる場所」というサードプレイスの特徴に比べてみれば、「新しい価値観とのつながり、新しい道を切り開く知恵と勇気とのつながり、人生の旅する仲間とのつながり、人生の目標や将来の人生とのつながり」というようなつながりは、サードプレイスでは得られないようです。
 
社会学者の中には、これを「フォースプレイス」と呼ぶ人もいます。 

日本語添削 高野史枝

本文の中国語バージョン


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