ミソジニーの人を誰が救うんだろうか?

私は基本的に、フェミニズムには好意的だ。

ただ、「彼女らの気が済む」という点では何らかの役に立っているとは思うのだが、基本的に、ミソジニーの人を攻撃することによってミソジニーの人が減ることはめったにないと思う。


ひとつ目の理由は、だいたい人間は正論を受け入れないからである。

私だって夜中にラーメン食べてるときにとうとうと健康の大事さを説かれても、「うるせえ黙れ」と思うと思う。

その意見を受け入れるとしたら、それは、そもそも私が「ラーメン食べるのって罪悪感あるな」と思いながら食べているときだと思う。


ふたつ目の理由は、考え方を変えるのはものすごーく力のいることだからだ。私は認知行動療法やカウンセリングを受けて、そのことを実感した。

「価値観」というものは、自分の大切なものでできている。

私はずっと、「人に悪意を持ってはならない」と思っていたから、「自分自身の中にも悪意がある」と認めるのがとてもつらかった。そのことを考えると、いまだに体が震える。

私は男ではないので想像するしかないのだが、ミソジニーの人にも何らかの価値観があり、理想があるのだろう。それを捨てるのはとてもしんどいものだ。

そしてそれは、誰かに命じられたからではなく、自分自身で捨てなければ意味のないものだ。


私はミソジニーの人に必要なのは、「普通の女性を好きになる」ことなのではないかと思う。特別な人ではなくて、普通の人。良くも悪くもない人。

ごく一部の人間をのぞいて、人間は良くも悪くもない。灰色なのだ。灰色の女性を灰色のまま好きになることができれば、少し変わってくるんじゃないかと考えている。


と、ここまで考えて、この「普通の女性」の役回り、誰もやりたくないだろうなと思った。少なくとも私は絶対に嫌だし。

タイトルに戻るが、「ミソジニーの人は誰が救うんだろうか」である。全くオチのない文章になってしまって恐縮だが、結論が出ないのでここで終わる。