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80 音楽との付き合い

ハーモニカと縦笛

 幼い頃に、最初に気に入ったのは坂本九「上を向いて歩こう」だった。ハーモニカでいきなり吹けたので、例によって「天才かもしれない」雰囲気を周囲にあたえたらしい。なにぶんにも、幼い頃なので、自分の記憶ではなく周囲から聞かされた記憶である。
 たしかにハーモニカをずっと吹いていたことがあったのはわかる。あれは吹き過ぎると口がなんだか怠くなっていく。ハーモニカはツバがどうしても入るので、臭くなる。手入れをすることになる。小さなネジで上下のカバーを外して水で洗ったりしたのかなあ、そこはよく覚えていないけど、ものすごく小さなネジをなくさないように慎重に外したことは覚えている。
 のちに、天才スティービー・ワンダーも、ハーモニカ得意と知って、「おれもおれも」的な気分になったが、あいにくこっちは天才ではない。
 次は学校で習った笛とピアニカである。ピアニカは商標らしいので、一般名称は鍵盤ハーモニカだから、やっぱりハーモニカである。縦笛で一番吹いたのはソプラノだけど、好きなのはアルトだった。アルトを吹くと大人になった気がした(ただし当時は小学生)。
 小学校の音楽教師が地域の音楽コンクールに出場する気になり、やりたい子たちが集まってブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」を2年ほどやらされた。ソプラノの縦笛である。学校の行き帰りも笛を吹きながら歩いたので、さぞ迷惑だったことだろう。
 前にも書いたが、とにかく通信簿には「落ち着きがない」と書かれ続けていたため、最終的にレコーディングされたホールでの演奏ではメンバー落ちをくらってしまったのだが、そこへ行くまでの過程では何度も演奏に参加した。それはもう、楽しい経験だったのに、そこからの発展はなかった。

洋楽との出会い

 中学に入ったころに、映画音楽にはまった。父親の会社の人で自作アンプで知られた人がいて、そのアンプを買い、スピーカーは父親と自作した。秋葉原でスピーカーなどを購入して父親が得意の木工技術で頑丈ででかいボックスをつくり、そこに取り付けた。プレイヤー(ターンテーブル)はMICRO社製、カートリッジはSHUREだったと思う。
 家族で聴ける音楽として、映画音楽のレコードが用意された。飽きるまで聴いた。そこでバート・バカラックを知った。ちょうど来日してテレビ朝日で放映されたこともあって、映画は見ていないのに『明日に向って撃て!』のファンになる。映画を見たのはずいぶんあとのことだ。バカラックには有名な曲が多く、当時、朝はラジオを聴きながら朝食を採ることが多かったので、そこで耳馴染みになっていたのである。
 そして友人たちと秋葉原へ行き、鉱石ラジオを作る。電灯の線につないでアンテナにする電池もいらない小さなラジオで、チューニングは細い棒をコイルに出し入れするようなタイプで、イヤホンでしか聞けない。なぜか、FEN(現在のAFN、米軍のラジオ)がもっとも感度よく入る。土曜日になると、ケイシー・ケイサムの「American Top 40」を昼間に聞き、夜はウルフマン・ジャックを聞いた。なにを言っているかほとんどわからないけど。後にジョージ・ルーカス監督の映画『アメリカン・グラフィティ』に本人として登場してよりファンになった。
 ロバータ・フラック、エディー・ケンドリックス、クール&ザ・ギャングス、シェール、アレサ・フランクリン、ジョン・デンバー、ジム・クロウチなどなど。中でもバリー・ホワイト『愛のテーマ』とスティービー・ワンダー『迷信』が好きだった。
 一方、友人たちは、ポール・モーリアとかレイモン・ルフェーブル、ミシェル・ルグラン、ミシェル・ポルナレフ、レッドツェッペリン、尾崎紀世彦などなど、みんなバラバラになっていくのであった。
 ビートルズ世代は少し上の人たちなので、ビートルズとか吉田拓郎を出してしまうと、入り込めない雰囲気になってつまらなかった。もちろん、音楽としては聴いていた。

ジャズ・フュージョンへ

 やがてチューナーを購入して、FMを聴くようになる。NHKFMとFM東京の二局しかなかったけど。「エアチェック」がその後、流行するわけだ。必ずチェックしたのは「渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ」で、この番組でジャズとフュージョンへ突き進むことになる。
 おカネはあまりなかったし、本を買うことが多かったので、レコードは少なかった。自分で最初に買ったレコードは、バート・バカラックのEPだった。4曲入ったミニアルバムだ。次に購入したのは、映画『犬神家の一族』(1976年)のサントラ(シングル)だった。音楽は大野雄二で、『ルパン三世』が知られているものの、自分としてはこの犬神家とNHK「小さな旅」、松田優作主演の映画『遊戯シリーズ』が好きだ。
 そしてついに輸入盤に目をつける。日本語の解説や歌詞カードなし。だけど国内盤より安い。最初に購入したのはハービー・ハンコック『ヘッド・ハンターズ』だ。ジャケットで勘で買った。
 しだいにバイトをするなどして使えるおカネも増え、秋葉原の石丸電気のレコード館に通いはじめた。コルトレーン、マイルス・デイビス、チャーリー・パーカー、ウェザー・リポート、クルセイダース、リー・リトナー、デオダート、ラリー・カールトン、サンタナ、キース・ジャレット、スタッフなどなど。
 遂には、読売ランドで開かれた『ライブ・アンダー・ザ・スカイ』を見に行くまでになった。
 占いではダンスや音楽の才能があるはずの星の下に生まれて、その才能はぜんぜん見当たらなかったものの、聴くのはいまも好きだ。たとえ、高齢化にともなってモスキート音も聞えず、突発性難聴になって右耳はほとんどダメになってしまいステレオ感が乏しくなり、低音も聞き取りにくくなってしまったとしても。いまもSpotifyでプレイリストを作っては楽しんでいる。


 
 
 


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