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98 たまに政治の話もする

今季テレビドラマの帳尻

 もう2023年もあとわずかで終わる。明日は大晦日で、今朝は土曜日というのに、いつものニュース番組や旅番組や途中下車番組もない。なんて寂しい朝なのか。「もうすぐ正月なんだからしょうがないよ」と言うのかもしれないが、こういうとき、むしろ日常のルーティンの大切さが身に染みる。
 もっとも、テレビにルーティンを依存していることが、もはや人間の生活として古いのだろう。
 そういえば、朝ドラを諦めた。以前、「見ているドラマ、見るのを諦めたドラマ(18作品)」に書いたが、その頃は朝ドラ『ブギウギ』を見ていたのだけれど、ある日突然、録画していたこの作品を削除した。予約も取り消した。いいドラマだと思うけれど、自分に合わなくなってきたのだ。理由ははっきりしない。
 『コタツがない家』と大河ドラマ『どうする家康』は最後まで見た。それなりに楽しめた。
 『きのう何食べた?』はシーズン3があればまた見るだろう。なぜこれを見るのかと問われても困るけれど。主人公たちの行く末が気になる。Xでフォローしている哲学者・千葉雅也によると、劇中の弁護士のようなタイプ(筧史朗役の西島秀俊のことか)のゲイはいるそうだが、美容師のようなタイプ(矢吹賢二役の内野聖陽のことか)のゲイはいないとのこと。ファンタジーの世界ではあるのだが、私はそのリアリティとは別に、ずっと「疑似家族」に興味があり、異なるタイプの人たちの生活っておもしろいと感じている。
 『すべて忘れてしまうから』は、思った以上に斬新なドラマだった。テレビドラマらしからぬドラマで、かといって映画とも違う。不思議な魅力を感じた。
 『三体』は全30話を見た。見ないではいられない。しかし、結果的によくわからないところが多く、「あれはどうなったの?」という気が残っている。さて、どうなったのか。
 『ミワさんなりすます』は見事なドラマで、いかにもテレビの枠だからこそ楽しめるタイプだった。完全なファンタジーとしてのコメディである。
 『たそがれ優作』は続編があるのかないのか。グルメ系でありながら、ストーリーとうまく融合していた。
 『マイホームヒーロー』のエンディングには納得がいかない。原作があるのだから変えようはないのだと思うけれど、テレビドラマとしては吉田栄作の快演をもっと見たかった。
 『あたりのキッチン!』は、まずまずの終わり方だった。ただ、終盤はエネルギーを失っていたような気もした。
 『泥濘の食卓』『セクシー田中さん』はまだ終わりまで見ていない。

政治世界の閉塞感

 ドラマよりもドラマらしい現実世界として、自民党の派閥の役割と、パーティー券、キックバックといった話が連日あって、そこに東京都江東区区長選を巡ってのカネの話もあり、結局は、「相変わらず」といった言葉が出てくるほどの相変わらずぶりだ。
 世襲だろうと世襲でなかろうと、いまの政治世界は、もっとも現実的であるべきなのに、ドラマよりもファンタジーである。それを冗長させているのが、連日のように登場する政治評論家たちである。政治評論家ってなに? それ必要? 確かに、大谷選手や山本選手がドジャースに行くにあたっては、必ずプロ野球解説者やMLBに詳しい人が登場して「これはこう」「あれはあれ」「それはそれ」みたいな話をすることで、盛り上がる。
 しかし政治評論家たちは、自分たちの食い扶持を稼ぐためなのか、きちんとした政治批評をテレビではやらない。政治については、「これはこう」「あれはあれ」「それはそれ」では困るのである。そんなことを、私たちは知りたいわけではないからだ。
 政治の閉塞感を築き上げたのは、第一に国会議員をはじめ政治で生きている人たちが増えすぎたからだろう。増えたから、ひとりの発言の重みは低下し、一方、派閥のような政策集団の声が大きくなっていく。結果、カネの流れもそれに沿って動く。
 いまの政治は、フードコートのようなものなのか?

フードコートの政治

 ショッピングモールで見受けるフードコートは、複数の店が屋台のように並び、客は好きな食べ物をそれぞれの店で購入し、自由な席で食べる。そこには選択肢があり自由がある……と錯覚する。だが、私たちが食べられるのは、あくまでもそこに出店している店が提供する食べ物だけだ。私たちで店のラインナップを選ぶことはできない。
 ワクワク感が、やがて「しょうがない、選べないんだから」に変わる。
 もちろん、不人気な店、問題の店は退場させられるから、間接的には民主的に選ばれているようにも見えるが、まったく客の意向とは関係ないところで店やそこが提供する食べ物は決まっていく。
「好きなものを選んでいいよ」と言われたところで、実は、限られた選択肢の中から選べるだけなのだ。そこにないものは得られない。
 いまの政治は、このフードコート状態になっている。
 私たち有権者は選挙で投票できるが、総理大臣も各大臣も選ぶことはできない。一方で、選挙で多数の議員を擁する政党も、自由に組閣できるわけではない。政党もまた、フードコートと同じで、当選した議員たちの中から選ぶしかない。民間から登用することも不可能ではないが、あまり発揮されたことはない。
 テレビのチャンネルが各政党だとして、あるいはフードコートに出ている店たちだとして、私たちはそこから選択するしかない(テレビの場合は見ない、という選択もできる。もちろん政治や選挙も、見ない参加しないという選択はできる)。
「文句があれば、おまえが出ろ」といわんばかりの政治でありつつ、「変なやつは排除するぞ」との圧力も高い。さらに既存の政党にはめ込もうとする傾向も高い。意欲を持って独自の味で勝負する店を出店させたところで、不人気であれば退場させられるか、既存の店に取り込まれるかするしかない。
 なんてことを、ぼやぼや考えているうちに、2023年は暮れていく。
 
 
 

 


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