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33 遠くを見るか、近くを見るか

最近はこれを読んでいる

 いま、読んでいるのは、遠野遥著『浮遊』(2022年文藝秋季号)、『トラウマにふれる』(宮地尚子著)、『SPEEDBOY!』(舞城王太郎)だ。順番に雑誌、honto、Kindleで読んでいる。
 遠野遥著『浮遊』はゲームの話と現実の話が溶け込んでいる感覚がおもしろい。そして実はよくわからない。完全に理解できるかと問われると、自信はない。
『トラウマにふれる』(宮地尚子著)は、心理学の用語が普通に出てくるので、すぐに検索できる電子書籍で読んでよかった。そもそも、私たちはあまりにも気楽に「トラウマ」を使い過ぎているのかもしれない。この本では、トラウマに苦しむ人の例を挙げながら深く考察されるようなので、ある意味で、この本そのものがけっこう怖い。こちらは難しい部分もあるが、わかる世界である。
『SPEEDBOY!』(舞城王太郎)も、よくわからない世界だ。2022年12月15日に読もうとしたのに、なぜか読めず放置されていた。Kindleにはそういう本がいくつもある。
 自分としてはhontoがもっとも読みやすくて便利で、Kindleはアプリがあまりよい印象ではない。honotoのアプリは、比較的、前に閉じたところから素早く再開できるのだが、Kindleはもたつく。その上、ズレたところが開いたりもするので、ちょっと面倒だ。『高丘親王航海記』(澁澤龍彦)も、2022年頃からちょこちょこ読んでいるけれど、まだ読み終わらない。今回も読もうかと開いてみたのだが、どうも違う気がして、『SPEEDBOY!』(舞城王太郎)にしたのだ。
 不思議なもので、自分のわがままなのかわからないのだが、読みたいと思って入手したにもかかわらず、うまく読めない時がある。仕事で読まなければならないのなら、なんとかして読む(あるいは読み飛ばす)。しかし、楽しみとして読む時は、そんなことはしたくない。

足元を見よう

 変な喩えだが、遠野遥著『浮遊』と『SPEEDBOY!』(舞城王太郎)はどこか遠くを見るような読書体験である。一方、『トラウマにふれる』(宮地尚子著)や最近取り上げてきた『恐怖の正体-トラウマ・恐怖症からホラーまで』(春日武彦著)『社会を知るためには (ちくまプリマー新書)』(筒井淳也著)は、いわば近くを見るような読書体験だ。
 昨日はドラマ『たそがれ優作』の1話から3話まで見た。『深夜食堂』などで知られる安倍夜郎原作。脚本は和⽥清⼈と田口佳宏。『孤独のグルメ』が食事中心でしかも松重豊の演技(というか食べっぷり)を楽しむ世界だが、こちらは主人公が50代の役者の設定。それもバイプレーヤーとしてようやく売れてきたところ。仕事柄、さまざまな役を演じる。グルメというより人情劇。北村有起哉がまだ50歳ではないはずだが、とにかく器用にこなす。主人公の仕事としての演技風景とプライベートの姿。バツイチで女性にモテそうでモテず(その間に食事が必ず入る)、たそがれていつものバー(ママは坂井真紀)へ行く。
 ドラマのあとに登場した店の紹介が少しある。これまで、登場している店は清澄白河フジマル醸造所、深川・すし三ツ木、横浜市鴨居・鳥みき。
 全般的に演技を楽しめるので、『撮休』とか『ミワさんなりすます』のように、俳優を眺めるのが目的といってもいい。しかも気楽だ。

心を保つ

 大河ドラマや『VIVANT』(ヴィヴァン )、ここでも以前に記したドラマ『三体』のような、遠くを眺めるような作品もいいのだが、ちょっと疲れてしまう部分もある。そもそも、いまの自分となんの関係があるのか? 正直、まったく関係ない。知らなくてもいい世界である(いや、だから見たい、読みたいとなるわけだけど)。
 昨日の「死」を巡るような話も、どこか遠いところを見ているような気がする。
 遠くにあると、どれほど重要なものでも、いまの自分とは直接関係ないような気がしてしまう。ウクライナとロシア、イスラエルとハマスのようなとても大切で重要な問題で、毎日のようにそこでは人が傷つき亡くなっている。けれども、それをいま、自分のこととして24時間心配することはできない。もし、それをやれば心が壊れてしまうような気がする。
 そんな時は、近くを見る。
 少しでも自分と近い、少なくとも地続きな気がする、手の届きそうな気がする世界を楽しむのだ。
 ちなみに、最近、防犯について警視庁が街頭で呼びかけてチラシなどを配っていたのだが、そこに「防犯アプリ Digi Police」が紹介されていたので、ついスマホに入れてみた。すると毎日のように、お知らせが来る。「アポ電入電中」とメッセージが来て、クリックすると知っている身近な住所とともに「役所職員をかたる者からウソの電話が入っています」とか「公園で、小学生(女の子)が遊んでいたところ、男に声をかけられました」といった情報が来る。
 遠くを見ても不安だが、近くは近くでそれなりに不安はいっぱい転がっているので、情報に接するときはこちらで注意しないとならない。「気をつけて」と言う立場の人からすれば、こちらは、足元もおぼつかず、脳天気なヤツとしか見えないだろう。だから注意を促されるのだ。とはいえ、この情報、近くのことなのに、なぜか遠い気がしてしまうのだった。

 


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