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21 現実に嗤う

なぜか気になる音楽

 音楽の好みは人それぞれで、自分勝手に楽しむのがもっともいいことだと信じている。「あれを聴け」とか「これを聴かなければ」ということもあるかもしれない。だけど、自分が気になって聴くのがもっともいい。
 昨日あたりから、東京事変『教育』の『現実に於て』『現実に嗤う』が気になっている。東京事変の最初のアルバム『教育』に収録されていて、『現実に於て』はH是都M(H ZETT Mほかの名もあり)の作曲により自身のピアノのみ。続く『現実に嗤う』は、その曲を受けて椎名林檎が作曲した作品だ。
 なぜ気になるのか、以前に読んだ『椎名林檎論 乱調の音楽』(北村匡平著)をまた読んでみたが、特に記述はない。『教育』については書かれていたが、この曲には言及されていなかった。
 当時のライブ『Dynamite out』を見ると、歪んだピアノ音がどこか懐かしさもある『現実に於て』。眩惑される。そこから『現実に嗤う』になると亀田誠治のベースが強烈なファンクになる。
『教育』の中で、唯一の英語歌詞の作品であり、「このロマンスは間違いでシュールだ」と歌う。自分の身に起きた現実が、それが恋愛であるなら、非現実的にしか受け止められない、と感じることもあるだろう。

現実を見つめると

 先日、「私の父は94歳だ。母は89歳である。妻の母も94歳だ」と書いた。それは現実である。そして今朝は、音楽に囚われて気になってしょうがなくなっている自分がいて、それも現実である。
 ドラマ「三体」の6話を見ると、刑事はなんと自分もタイマーを身につけて、物理学者にだけ見えるカウントダウンと同調させた。このドラマにはどこといって現実的なところがないのだが、人と人のつながりについては、ときどきとても現実的だったりする。
 父母は、高齢であるが、いまのところは自分で生活ができている。父は少しボケている。それでも自転車に乗ってスーパーに買い物へ行く。どの程度難しいかというと、マイナポイントを使いたいためにスマホにPayPayを入れたのだが、一時は楽しそうに使っていたのに、ある時突然、使えなくなった。支払い後の画面から、バーコードを示すホーム画面に戻ることができなかった。それでも笑っている。「これからは現金にする」と。
 母は、長年足が悪く、歩行が難しい。外へ行くときは車椅子で、室内では歩行器を押して歩く。いまは血圧が高い。長年、貧血で低血圧に悩まされていたのにこの数年急激に血圧が高くなった。薬を飲むようになった。在宅医療の契約をし、定期的に医師の訪問を受けるようになった。料理を作るのが面倒になって、夕飯は介護用の弁当を取るようになり、ほかに冷凍の弁当も用意するようになった。それでも朝と昼は、ゆで卵やパン、果物などを自分たちで用意して食べている。日常生活を維持しているのだ。
 もちろん、地域包括センターに相談し、いろいろな人のお世話になっている。
 義母は、実家の近くに住む義妹が面倒を見ていたが、いまは歩けなくなり、食事もとれないときがあり、入院したのち介護施設へ移っている。遠くにいる義妹から妻のところにLINEで様子が送られてきて、一喜一憂する。笑っているとうれしいが、表情がなくなっていると寂しくなる。

不安と非現実感

 不安である。いつどうなるか、わからない。いつ、この日常が崩れてもおかしくはない。というか、高齢の人たちが、だいたい辿るであろうことが、いま起きている。悲壮感とは違うけれど、老衰から逃れた人はいないのも事実だ。
 それでいて、この現実に潜む非現実感もある。シュールである。テレビを見てケラケラと笑い、スポーツを見て叫ぶ父母が、いまの事態をどう受け止めているのか想像しにくいけれど、横で見ている限り、最後まで燃焼し尽くそうとしているように見えてならない。
 それにしても高齢化社会である。こうした状況にある人は大勢いるのだ。世界中にいるのだ。高齢の政治家が、明らかに老人特有のちょっとおかしな風情で会見を開いているのを見ると、罵詈雑言を浴びせたい気持ちと同時に、周囲でなんとかしてやらなくてはいけないのでは、という一種の同情のようなものも感じてしまうのだった。
 
 

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