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100 謹賀新年 2024年

静かな正月

 大晦日は、紅白歌合戦を頭から最後まで見た。久しぶりのことだが、今回は演出が比較的よく飽きずに見ることができた。
 娘は友だちと過ごしているので、夫婦だけの年越しとなった。
 父母は、生協で小さめのおせち料理を頼んでいたので、それで年を越しているのだろうと思う。
 そもそも、「正月だから」はあまりやらない。せいぜい、寿司を頼んでみんなで囲むぐらい。
 元旦は、寿司が届く予定で、娘も帰ってくるだろうと思われ、そこで乾杯して正月気分を味わうつもりだ。
 東京は、お盆と正月は、とても静かだ。いまの住まいの近くには幹線道路があるので、クルマの通行量を音で感じている。大型車が通らないと、静かなのである。
 初詣も、混雑する三が日は避ける。近所の神社仏閣でも、元旦はそれなりに混雑するので、2日以降にお参りするだろう。

正月の思い出

 正月になにかをした思い出は少ない。
 前にも触れたかもしれないが、横浜に住んでいた頃は、川崎大師へよく行った。たまに友人たちと鎌倉の鶴岡八幡宮や、東京の明治神宮へ行ったこともあるが、たとえば、年越しのカウントダウンをやるとか、パーティーに参加した記憶はない。
 一時期は、年末から正月の間は、古典を読む、と気取っていたこともあった。三島由紀夫、谷崎潤一郎、樋口一葉などを読んだりもした。
 今年は、『トラウマにふれる』(宮地尚子著)と『本は読めないものだから心配するな』(管啓次郎著)を読み進めたものの、まだ終わらない。読みかけだった『戻り川心中』(連城三紀彦著)も読んだりする。
 つまり、大した思い出はないのである。

新年の抱負

 このnoteのちょうど100回目が今日、2024年1月1日になったのは偶然のことだ。それでも、開始以来、毎日こうしてなにかしら書いてきた。これがいつまで続くのかは、まったく予想できない。少なくとも「100回はやろうかな」ぐらいだったと思うので、その当初目標はクリアできた。
 だったら、次は200回なのか。それを目標にするのか?
 いや、そうではない。このnoteはオートフィクションであり、ドキュメントや日記ではない。日記風の時もあるが、それもフィクションなのだから。
 新年にあたって抱負を改めて考えるとなると、大したことは思いつかないのである。このところ、夢らしい夢も見ていない。微睡みが少ない。
 それは年末から、久しぶりに眩暈が酷くなり、これまで朝だけ飲めばよかった薬を、定量の1日3回にしてきた。だいぶ眩暈は落ち着いてきたが、またいつなるかわからない。
 抱負を語ったところで、健康の問題を前にすると、大した抱負は口に出来ない。言ってみたところで、体の具合によって左右されてしまうだろう。
 では、健康第一なのか、といえば、それもいまさらである。そもそも、人間として生まれてきたときから、いつか死ぬのだから、健康を目標に生きるなんてことは、考えてもしょうがないのではないだろうか。
 そして高齢の父母のことを思えば、「あと1年、生きてください」みたいなことを言えるはずもなく、いつどうなるかわからないのだから、こっちが覚悟をしておくしかない。それは抱負といった未来を築くようなものではない。
 そこまで書いてみて、いつから自分は後ろ向きになったのか、と思う。何歳になっても前向きで生きた方がいいのだろう。ところが、前を向いても、よく見えないのである。
 せめて、今年はもう少し前を向きたい。
 それぐらいの抱負なら、ふさわしいかもしれない。
 

 


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