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電気になる前の洗濯はキツイ仕事だった|懐かしの昭和家電百科(2)

いま、全国の博物館で昭和の生活を回顧する企画展が開催されるなど、“昭和レトロ”のブームが再燃しています。とくに当時の家電は「シンプルで可愛らしい」と若者にも大人気。そこで今回は、5月20日に刊行されたばかりの町田忍の懐かしの昭和家電百科より、洗濯機にまつわるお話を一部抜粋してお届けします。ぜひ、ご覧ください!

町田忍の懐かしの昭和家電百科』(ウェッジ刊)
2022年5月20日発売(※予約受付中)

日本人は長い間、洗濯板やタライなどを使って、洗濯ものを手でゴシゴシと洗っていた。電気で動く洗濯機が登場すると、人々はキツイ家事労働から解放され、オーバーではなく、「文化的生活」に一歩踏み出すことになった。

テレビ、洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器」のうち、テレビがお茶の間に新たな娯楽をもたらしたとするなら、洗濯機は当時、主に主婦にとっての重労働だった水仕事からの解放に一役かった家電である。

私の記憶でも、母がタライのなかに洗濯物を入れ、それを洗濯板の上でゴシゴシと、力を入れてこすりあわせ、汚れを落としていた姿が目に浮かぶ。

洗濯板は洗濯機の普及とともに、姿を消したが、小型のものは小物を洗うに便利(花巻市大沢温泉にて筆者撮影)

実は洗濯機登場以前の洗濯方法は、基本的には江戸時代からの方式と同様で、変化していなかった、といっても過言ではないだろう。

それほど洗濯機の登場はスゴイことだった。もっとも戦前から、アメリカ製の筒型3本足付き洗濯機は輸入されていたが、あまりにも高額で、一般家庭では使用などとてもできるものではなかった。

我が家に洗濯機が来たのは、テレビを購入した翌年頃だから、昭和34年(1959)だと思う。

松下電器の噴流式。
絞り機付きの同社1号機で、スマートなデザイン
(昭和29年・パナソニックホールディングス提供)

台所にある「御用聞き」用の「勝手口」の横に置かれていた。来たばかりの時は、洗濯中に、上から洗濯機が回る様子を見て楽しんでいたものだ。

洗濯機の登場は、家庭の主婦の家事労働を軽減したが、その意味では、それ以降に展開する「文化的生活」を大きく前進させるものだったのである。

日立の家電が主婦のお手伝い。
家事は女性が当たり前、の時代だった(昭和33年3月2日)

文=町田 忍

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【目次】
◉テレビ
放送開始、街頭テレビ、スポーツ中継、家具調テレビ、ボタンとリモコン、懐かしのテレビ番組など
◉白物家電
洗濯機の原理、進歩する洗濯機、掃除機のルーツ、掃除機戦国時代、冷蔵庫の多機能化、冷蔵庫と氷など
◉キッチン家電
電気炊飯器とジャー、電気で焼く、なんでも家電!、キッチンを変えた家電など

町田 忍(まちだ・しのぶ)
昭和25年(1950)東京生まれ。和光大学人文学部芸術学科卒業。学生時代にヨーロッパを一人旅。その後、警視庁警察官を経て、江戸から戦後にかけての庶民文化・風俗を研究し、庶民文化研究所を設立。執筆活動のほか、コメンテーター、コラムニスト、テレビ・映画・ラジオ出演、ドラマの時代考証など多方面で活躍。主な著書に『納豆大全』(小学館)、『蚊遣り豚の謎』(新潮社)、『町田忍の昭和遺産100』(天夢人)、『町田忍の銭湯パラダイス』(山と渓谷社)、『町田忍の手描き看板百景』(東海教育研究所)など多数。

※新聞広告は、特記がないものはすべて朝日新聞に掲載されたものです

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