学問は一人閉じこもってするものではない|齋藤孝が読み解く『学問のすすめ』
≪原文≫
「人の性は群居を好み、決して独歩孤立するを得ず。(……)広く他人に交はり、その交りいよいよ広ければ、一身の幸福いよいよ大なるを覚ゆるものにて、すなはちこれ人間交際の起こる由縁なり。」
「およそ世に学問といひ、工業といひ、政治といひ、法律といふも、みな人間交際のためにするものにて、人間の交際あらざれば、いづれも不用のものたるべし。」(第九編)
人は孤立しては生きていけない
集まって互いに交流するのが人間社会だ
人は、互いに交わることが、いかに大切であるか、という話です。
「人間(じんかん)交際」は「人間(にんげん)交際」と読むこともありますが、「世間」「社会」という意味です。人と人との間の交わりから社会ができてくる。「交際」とは元の言葉が「society =ソサエティ」でしょう。「ソサエティ」は「社会」と訳しますが、そうした意味だけでなく、「世間の交際」といった意味もあります。パーティーなどを開くのも、ソサエティのイメージですね。人と人の交際が非常に重要ということです。
「およそ世に学問といひ……」は、学問や工業、政治、法律といろいろあるけれど、それはすべて人間のソサエティ、世間の交際を滞りなくするためのものなのだ、ということです。ここで確認しているのは、人と人が広く関わってさまざまなことをしていく、それ自体が目的なのだ。文明が発達すればするほど、交際も盛んになっていくべきである、ということです。
そして、学問をすること、勉強することが、世間の人と広く交際をすることと直結しています。これが福澤諭吉の学問のイメージなのです。
学問は一人閉じこもってするものではない
人間同士が広く交際して高め合うためのものだ
ふつう、勉強するというと、何か一人でずっとこもって本を読んだりして、交際があまり得意ではない人のイメージですね。たとえば「大学院で勉強しています」というと、あまり社会と交際していないような感じがします。
ところが福澤は、そうした状態が学問なのではなくて、もっと生きた学問でなければいけないというのです。
社会というものは、人が他のさまざまな人たちと交わって、お互いを知っていくところだ。そして社会は交際が盛んになればなるほど活性化する。
そのときに人は学問をして、そのレベルの高い状態で、人間同士の交際をしていく。そういう人を増やしていこう、そして社会をより豊かにしていこう、と呼びかけているのです。
——福澤諭吉は『学問のすすめ』の中で、人権や男女平等の大切さを説き、悪弊は断つべきだと力強く訴えています。いまなお色濃く残る差別などの問題を前に、私たちは福澤の言葉からもう一度学ぶべきかもしれません。詳しくは本書をご覧ください。
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