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信じる、信じないをどうやって決めるか|齋藤孝が読み解く『学問のすすめ』

明治初年に刊行された福澤諭吉の『学問のすすめ』には、現代を生きる私たちの心にもダイレクトに響く言葉が散りばめられています。ここでは、教育学者としておなじみの齋藤孝先生の新著図解 学問のすすめ―カラリと晴れた生き方をしよう(ウェッジ、3月18日刊行)から抜粋してお届けします。3回目となる今回のテーマは「自分とのつきあい方」です。

すすめ書影

≪原文≫
「信の世界に偽詐多く、疑ひの世界に真理多し。」
「人事の進歩して真理に達するの路は、ただ異説争論の際にまぎるの一法あるのみ。」
「事物の軽々信ずべからざることはたして是ならば、またこれを軽々疑ふべからず。この信疑の際に就き、必ず取捨の明なかるべからず。けだし学問の要は、この明智を明らかにするにあるものならん。」(第十五編)

≪現代語訳≫
信じることには偽りが多く、疑うことには真理が多い。
社会が進歩して真理に到達するには、この異論を出して議論する以上の方法はないのだ。
物事を軽々しく信じてはいけないのならば、またこれを軽々しく疑うのもいけない。信じる、疑うということについては、取捨選択のための判断力が必要なのだ。学問というのは、この判断力を確立するためにあるのではないだろうか。

あっさりと人や物事を信じてはいけない
まず、ほんとうかどうか疑ってみることだ

「信の世界に偽詐多く、疑ひの世界に真理多し」これは格言みたいで、覚えやすいですね。信じすぎるとかえって騙されてしまう。頭から信じるのではなく、いろいろなことを疑いなさい。疑うことによって真理が得られるのだ、ということです。

この世の中には、真理というものに出会うことが少なくて、意外に誤りが多いようです。

「フェイクニュース」などといいますが、いろいろな意見があっても、そのほとんどが根拠なく適当にいっていることが多いのですね。オレオレ詐欺のように、人を騙す人さえいます。

性善説的に、人のいうことは信じるのが大事だ、となんとなく思っている人が多いのではないでしょうか。ところが、これは逆に「ほとんどのことを、まず疑ってかかろう、そのほうが真理は見つかるよ」という提案なのです。

正しいものを選び出したからといって
その選択だけにしがみついてはいけない

「人事の進歩して……」以下については、「まぎる」は、「波間を乗り切る」といった意味です。いろいろな議論を戦わせる、その議論の波を乗り切っていくことによって真理を獲得せよということです。「事物の軽々信ずべからざる……」これは、信じるものと疑うものを、あやふやにするのではなく、それぞれしっかりと取捨選択する。学問はその取捨を明快にするのが要点だ、と学問の役割を指摘しています。

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続けて福澤は、日本では開国以来、政府もさまざまな改革やインフラの整備をして成功してきたが、それは数千年来の習慣を疑ってみたからである。しかし、何を取り入れて何を捨てるかの取捨選択を間違えてはいけない、と注意しています。

以前は「旧習」、昔の風習を信じてそれ一辺倒となり、日本の伝統的な事物しか受け入れなかった。今度は文明開化で、西洋がよいとなると「100パーセント西洋」状態となってしまうが、それはどうだろうか。

江戸時代までのことは全部いけないという極端な行き方では、取捨選択というものがない。「オール・オア・ナッシング」ですね。そういう考えはよくないという警告です。

——ここまで3回にわたってお届けしてきました。『学問のすすめ』が約150年もの時を超え、現代を生きる私たちの心にも響く名著であることがおわかりいただけたでしょうか。もっと詳しく知りたいと思われた方はぜひ、本書をご覧ください。

ウェッジ様 齋藤孝 写真 正面 ブルーネクタイ

齋藤孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授。1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て現職。専門は、教育学、身体論、コミュニケーション論。『1日1ページ、読むだけで見につく日本の教養365』(文響社)、『友だちって、なんだろう?』(誠文堂新光社)等、著書多数。

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