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国境の地で、文化の境界を覗く|今和泉隆行(空想地図作家)

各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただく連載あの街、この街。第31回は、空想地図作家の今和泉隆行さんです。7歳の頃から空想地図(実在しない都市の地図)を描き続け、今では地図デザイン、アニメ『ONE PIECE』の地図を描くこともあるという今和泉さんが、どうしても見たかったもの。それは、同じ空の下、国や人種の違いによって風景がどのように変わるのかということでした。

 2018年5月にウラジオストクから海沿いを南下し、中国を目指す旅の途中で寄った町、スラヴャンカ。このあたりは東京からの距離が釜山と同じくらいで、沖縄よりは近い。ウラジオストクまでは成田空港から直行便で2時間ほどで、飛行機に乗れば台湾よりも近く感じる。乗ってしまえば近いのだが、ロシア大使館でビザを取り、飛行機や宿を予約するまでは、遠く感じていた。行ったことがある人は少なく、行けるのか分からない印象があったからだ。それから国際情勢が変わり、もしあのとき行っていなかったら、私の中で絶海の孤島のような印象となり、訪れることはなかったかもしれない。

ウラジオストクの街並み。成田空港から直行便で2時間で着ける

 ウラジオストクから中露国境の都市、こんしゅんに行く直行バスは、私が行く日は走っておらず、その手前の小さな町、スラヴャンカまで行くこととなった。バスの行き先はキリル文字でしか書かれていないので、地名を確認したいがために一夜漬けで覚えたキリル文字がここで役に立った。

 ウラジオストクを出てしばらくすると、道路は片道1車線になるが、分岐する小道は基本的には未舗装の砂利道だ。雑草が生い茂る荒れ地、草が少し整えられた牧草地が広がる中、時々木々が生えている風景が続く。人家がある集落の近くだけは畑があり、斜度の高い赤や青の屋根の家並みを見ると、日本で言えば北海道を思い出すが、アジアっぽくはない。どちらかというと東欧はこんな風景なのだろう、と思わせるような風景だ。ロシア沿海州の人口密度は低く、日本の一つの県ほどの面積で人口は3万人しかいない。日本の県が最低100万人前後いることを考えると、人口密度は30分の1ほどで、この閑散とした風景にも納得はいく。

ロシア語で「スラヴャンカ」と書かれた道路標識

 こうして古いロシア映画が流れるバスに乗って4時間弱で、終点のスラヴャンカに着く。人口1万人程度の町で、最低限の食料品やカフェはあるが、飲食店を探すのが難しそうだ。昼食を探しているうちに、ここから先、琿春市に行くバスを逃してしまった。8時発と13時半発の2本だけで、既に最終バスが出てしまった後だったのだ。ここで食事と宿を探さねばならない。

 初めてのロシアでどうしたものか分からず、カフェに入ってロシア人の青年に声をかけてみたところ、今夜の宿と明日のバスの予約を手伝ってくれた。3人のロシア人のうち、1人は韓国系だったが、2世のようで韓国語は話せなかった。

 そしてここから、彼らに3時間ほどのドライブツアー「スラヴャンカの全て」にいざなわれる。懸案事項だった昼食も、彼の親戚がやっているお店まで車で連れていってくれた。韓国料理はなく、メニューは全てロシア料理だったが、なかなかに美味しかった。乗せてくれた車は日本の中古車で、カーナビは日本語で、地図は真っ白だったが、「Japan car is best of best」だそうだ。海沿いには砂浜や小さなカフェもあり、夏の僅かな間はここを訪れる人もいるらしい。ロシアの中ではこれでも温暖な海岸なのだ。

 途方に暮れた私を救ってくれた3人は片言の英語で話してくれたが、簡単な単語をゆっくり組み合わせて話すので、片言の英語しか話せない典型的な日本人の私にとっては、とても分かりやすかった。会計で小銭を出すときに、「ロシアの伝統です」と言って少し小銭を出してくれたのだが、この奢る訳ではないちょっとした介入はとてもクールで、気を遣いすぎない距離感が心地良い。

 スラヴャンカは中朝露の国境近くでありながら、漢字表記はわずかで、ハングル表記はない。ロシア料理はあるが、中国料理も朝鮮料理もない。翌朝この町を出て、中国・吉林省の琿春市へ向かう国際バスに乗ってみると、運転手も乗客もロシア人で、運転手がロシアの音楽を流している、中国感の一切ないバスだった。

スラヴャンカで琿春行のバスに乗る

 ロシア沿海州には店があまりないので、買い出しのために国境を越えて琿春市に行くようだ。昨日お世話になったスラヴャンカの青年によると、特にソ連崩壊直後はあらゆるものが不足していて、国境を開放し始めたことで、このルートが使われるようになったらしい。

 国境に近づくと、より人家が減り、道路の舗装も粗くなっていく。最後の町、クラスキノでも、針葉樹と雑草、東欧風の建物が少し並ぶ限り。見える文字は全てロシア語で、全く中国に近づいている気はしない。まっすぐ行くと北朝鮮方面だが、バスは右折して中国に向かう。

ロシア沿海州、中国国境付近のクラスキノ周辺。海と草原の雄大な景色

 ここまで、アジアっぽさは一切なかったのだが、ロシアを出国して中国に入国した途端、きれいに舗装された道路沿いに一面の畑が広がり、いかにも中国の風景に変わった。現れる看板は漢字とハングルが基本。ここは中国でありながら朝鮮族自治州で、第二公用語として朝鮮語が使われているのだ。人口密度はロシアの10倍ほどあり、それゆえ人家も農地も多い。

舗装された道路沿いに広がる農地

 琿春市街地でバスを降りると、さきほどまでロシアだったのが嘘だったかのように、中国を体感する。市街地は中高層のビルが並ぶ国境開放都市として賑わい、店舗の看板は中国語、朝鮮語に並んでロシア語の表記もある。3ヶ国語の表記が並ぶもののローマ字はなく、英語話者にとってみれば何も手がかりがないだろう。

韓国語、中国語、キリル語の文字が並ぶお店の看板

 ロシア語は店舗の看板で見られるだけで、中国人が多いためか、ロシア人は全く目立たないどころか、バスを降りてから一人も見かけることはなかった。さきほどバスに乗っていたロシア人は一体どこに行ったのだろうか。今度は中華料理と朝鮮料理のお店はあるものの、ロシア料理店は全く見かけなくなった。

 都市の風景も農村風景も、さきほどまではロシア風だったものが、国境を越えると中国的なものに変わる。北朝鮮に入ればまた違う風景になるのだろう。国境付近は両国の自然環境や気候はさほど変わらないはずで、風景も古くは一様だったはずだ。しかしそこに国境ができ、中国側には中国人が、ロシア側にはロシア人が住み、長い間双方の往来が隔てられたことにより、それぞれ異なる風土が作られてきたのだろう。

 言語や民族、文化が近く、往来も自由な欧州の国境とは異なり、一方は四大文明から続くアジアの文化、一方は東欧の文化で、潮流が全く異なる人々の集団が、国境を隔てて隣り合っているのだ。島国にいると、世界的な文化の境界を見ることはない。このように異なる文化が隔てられるところもあれば、場所によっては重なるところもあるだろう。そんな文化の境界を、これからも覗いて見てみたい。

文・写真=今和泉隆行

📚今和泉隆行さんのご著書

空想地図帳 :架空のまちが描く世界のリアル
(学芸出版社)
写真=横関一浩

今和泉隆行(いまいずみ・たかゆき)
7歳の頃から空想地図(実在しない都市の地図)を描く空想地図作家。大学生時代に47都道府県300都市を回って全国の土地勘をつけ、2015年に株式会社地理人研究所を設立。地図デザイン、テレビドラマの地理監修・地図制作にも携わる。空想地図はアート作品として各地の美術館に出品されている。著書に『みんなの空想地図』(白水社)、『「地図感覚」から都市を読み解く』(晶文社)、『どんなに方向オンチでも地図が読めるようになる本』(だいわ文庫)『考えると楽しい地図 そのお店は、なぜここに?』(くもん出版)、「空想地図帳」(2023年)などがある。「タモリ倶楽部」などメディア出演も多数。最近ではテレビドラマ「VIVANT」に登場する地図を手掛けた。

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