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【読書記録】山崎ナオコーラさんの『ミライの源氏物語』を読んで考えたこと

山崎ナオコーラさんの『ミライの源氏物語』を読みました。

この本は、山崎ナオコーラさんが現代の視点で『源氏物語』を読み解いた、解説本だと思います。
ルッキズム、ロリコン、ホモソーシャルなど、今の感覚で読めば「そうだよね~」と思われる部分が多々あり、それでも古代と現代とで相通じるものがある現実にも向き合わざるをえなかったり、そんな人間の本質を考える上で、必要な入口を示している本かな、と思いました。

山崎ナオコーラさんは作家さんなので、物語や人間に対する向き合い方が、一般人より寛容というか、肯定的な気がします。
なので、「人間は差別をするもの」と割り切り、特に年長者の差別行為に対しても、我々も50年後の人々からみれば差別主義者だろうから、と仰います。
それは、ただ「差別をなくすべきだ」と主張することとは違う、愚かな生き物である人間に対する慈しみのようなものが感じられます。

というのも、人間って個人個人で成長してきたわけではなく、社会や環境の影響を大きく受けるものだから、時代の違いによって認識が違うのは、どんなに頑張っても変えようのない部分ってあるよね、ということなんですね。

だから、千年前の作品から、人間の普遍性も読み取ることができるし、当時の時代性も読み取れるし、読者の生きる時代性も反映した読み方になる。
ということかなと思いました。


ただ。
読んでいると、山崎ナオコーラさんの考え方と自分の考え方の違いも、当然目についてきます。
例えば、不倫についての認識の仕方。
山崎ナオコーラさんは、制度の問題という認識を少々持たれているようです。複数で恋愛をする「ポリアモリー」という考え方の人たちがいることも、提示されてましたし。

私としては、複数で恋愛する主義の人たちだけがそういうコミュニティをつくるというのはさておき、そうではない、一対一の関係を築きたい人の意識を無視するから、不倫って問題なんだと思います。
平安朝の男たちが、嫡妻がいるにも関わらず、妾や召人を多く持つのって、結局女性を道具のように見ているから、ひとりの人間として彼女らの尊厳を尊重していないから、だから現代人の目で見ると批判の対象となるんじゃないですかね。
つまり、一対一の恋愛をしたい人に「君も複数で恋愛しようよ」と圧をかけてきたり、そこでイエスと言わなければならないような状況に追い詰めたりすれば、それは人権侵害でしょ? と思うんですがね。

などなど考えながら読んでいると、『源氏物語』の読み方でも人によってさまざまだなあ……というのを感じざるを得ません。
始めて見たものを親と思う習性から、私の『源氏』観は瀬戸内寂聴先生訳に依存する部分が大きいんですが(あと大和和紀さんの『あさきゆめみし』)、いろんな方の解釈を読むというのも、面白いですね。

うすうす気づいてたけど、14歳の藤壺の宮に10歳の光源氏の母親役を押し付けることの酷さを、ここまではっきり言ってくださると、藤壺の宮の見方が変わります。
男にとっての女って、千年前も千年後も何歳でも「母親」でしかないのかなあ。都合よすぎでしょ。

ということで。
本書を読む前に『源氏物語』を読んでても、そうじゃなくても、この本は読めると思いますが、個人的には、読んでから読んだ方がより楽しめると思います。解説本なので。

せっかく今年の大河なのですから、日本人の教養として、もうちょっと知っておきたいなあ……と、私自身は思っています。知れば知るほど面白いし。

以上、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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