写真: ホテルでの朝食

旅行が好きなのは、単に楽しいからではない。知らない旅館やホテルで、朝起きたときにまず天井を見上げて、こんなに遠くまで自分は来ることができたのだとしみじみとした感傷に浸るあの瞬間がいちばん好きかもしれない。あるいは、新幹線や長距離列車に乗って、ひたすら後ろに過ぎていく景色をちいさな窓から見て、同じ思いに浸るのも好きだ。

私は、結局旅をすることが好きなのだと思う。それは「旅」と呼べるような遠い場所ではなくても、たとえば隣駅だってかまわない。たとえば同じ市内だってかまわない。いままで見たことのない景色を見て、同じ感傷に浸りたいのだ。こんなに遠くまで自分は来ることができて、新しい世界を見ることができた。そのとき、私はこころの底から「ああ、生きているなあ」と思う。新しい空を見て、新しい大地を見て、それに完全に包まれたときに、「生きているんだなあ」とこころから思う。

岡山に来て、いろいろなものを見た。歴史的な倉敷の街並み、レトロな部分が残る岡山市の街並み、たくさんの名産品や美味しそうな食べ物、安くて美味しそうな居酒屋、雰囲気が素敵な喫茶店、白い壁が特徴的な倉敷の美観地区、そこにあったたくさんのお土産…。そういったものが私の視界に入るたびに、それは私の中に組み込まれ、新しい「私」が作られていく。そういった光合成のような、栄養補給のような、そういった幸せが、旅の醍醐味だ。

旅は、もっともコストパフォーマンスの悪い娯楽かもしれない。たとえば5万円あれば、あるいは10万円あれば、家具だったら相当良いものが買えるし、本だったら何十冊も買えるし、CDでも100枚くらいは中古品でよければ買えるかもしれない。スマートフォンの新しい機種を買うことだってできるだろうし、パソコンも手に入る。バイクだって買えるし、生活を便利に楽しくするものはいくらでも買える。ただ、旅はたかだか1日か1週間かそこらで、すごい金額を使う。海外旅行なら10万円で行ける国のほうが限られるだろう。国内旅行だとしても、5万円なら数日しかもたない。ホテルを良いところにしようと思ったら、下手したらホテル代だけで消えてしまうかもしれない。

それでも、私は旅をしたい。私はたまたま日本に生まれて、日本で生まれ育った。それはあくまでも偶然で、そして私が努力の末に選び取ったものでもなんでもない。私は日本が、とくに日本食が好きだし、日本語も好きだし、日本にいたらそれなりに便利で快適な暮らしが待っている。たとえば、年収が30万円だったり5万円だったりする国と比べれば、あるいは戦争や貧困であしたのいのちもわからないような国に比べれば、私達は必要なら最低限生きていくだけのお金や社会保障もあり、「あしたどうしようかなあ」と楽しく考えることだってできる。そして何より、生まれ育った国だから、慣れているし、過ごしやすいし、不満はあっても良いところのほうがよく見えてくる。なによりも誇らしいのは、食べ物が美味しいということだ。そして食べ物にかける情熱を、たいがいの日本のひとたちが共有している。単なる栄養補給の手段でも、社交的な生活のための手段でもなく、ただただ「食べる」ということを楽しむ国民性が、私は好きだ。

ただ、それはあくまでも「たまたまそこにいるからそこで生きていこう」という惰性の現れであるともいえる。私は惰性という言葉をもっとも嫌う。なんとなく、惰性で、この流れに乗って、そういったことが私は嫌いだ。それは自分が手に入れたものでもなんでもないからだ。いちど海外に出て、広い世界を見て、できればそこで生きていきたいと願うのは、日本はあまりにも快適すぎて、だからこそこのあたたかい部屋から出たいと思うからだろう。日本が嫌いだからいますぐに出たい、というわけではない。嫌いなところももちろんある。ただ、好きなところだってもちろんあるし、そっちをなるべく見ていたい。過度なオプティミズムが害悪であるように、過度なペシミズムもまた害悪なのだ、と最近よく思う。それでも、新しい場所に行って、新しいものを見て、新しい生活をしたい。たとえそれが快適なものでなくても、それだからこそ楽しいんだと思う。そして海外旅行だけでなく国内旅行もまた、新しい景色を見せてくれる。

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