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オマケ①:”内省の時代”の幕引きと、わたしの仕事観。

☆この記事は、”これから”の企画書①のあとがきとして執筆したオマケ記事です。この記事の最後に企画書へのリンクも貼りますので、ぜひ併せて読んでみてくださいませ。



世の中の流れとして、労働時間や休日の多さとか、いわゆるワークライフバランスが注目されています。

一時代前にも、同じく労働環境の見直しを求める動きがあったこと思いますが、今起こっている潮流は、それとは少し違う感覚があります。

仕事がきついから仕事を減らそう、ではなく、人生や地球規模といったよりマクロな視点で見た時に、仕事ってそんなに大事だっけ?みたいな、広い視点で考える人が明らかに増えています。

私は未来人じゃないので確信はできませんが、生産性ってほんとに必要?資本主義って誰のため?もっと自分の人生を豊かにできる方法を探ろうよ、という流れがこれからどんどん加速していくと思っています。

私はまったくと言っていいほどニュースや新聞を見ないので、これが事実かは分かりません。でも、本屋に行けばその時の流行りとか時代の流れが何となくわかるんですよね。

自分の内面や心への問いかけが主流だった時代が徐々に幕引きとなり、今後は、どうすれば人生が豊かになるか。多様性の中で他者と関係性を構築しつつも、しなやかな自己をどう保っていくのか。内省の期間を終え、前を向いて視野を広げていく時代になってくると私は思っています。



少し話が広がってしまったので、
仕事の話にいきましょう。


私にとって仕事とは、数多く存在する生きがいのひとつでしかありません。

生きがい=仕事には、ぜったいならないタイプの人間だと思っています。

ピアノとか、家族とか、海外とか、農業とか。ほかの生きがい要素と仕事のバランスをとらないと、なんか気持ちが悪くなっちゃうんですよね。仕事が8割になってしまうと、私の場合はもう周りが見えなくなってしまうんです。

仕事が苦しくてしょうがなかったり、そこまで苦しくはないけど、なんか違うなあとムズムズした感覚がある人は、生きがいのバランスを見直してみるのも良いと思います。

そしてもっと大事なのは、
その感覚に正直になることです。

合っています。正しいです。言葉に出来ないようなむず痒さや違和感は、あなただけのもの。その感覚は絶対に大事して欲しいです。誰がなんと言おうと合っているので。


私も小さい頃から、
ひとつの大きなむず痒さを抱えていました。

会社員とか、絶対に私にはムリ。
小学生の頃から感じていたんですね。これは、未経験のものに対する恐れとは少し違っていて、感覚的にというか、私の肌には合わない気がすると子どもながらに思っていました。

集団の中で生きることがとにかく苦手だったんです。でも不登校になったわけではありませんでした。集団は嫌いだけど集団の中で生きざるを得ないだろう、と当時は考えていたので、無理やり得意になりました。

なってしまった、というのが正しい表現かもしれません。周りの空気感とか他人の感情なんて気にせず、私は全部ひとりでやりたいから学校行きませんって宣言すれば、また違う人生だったと思います。

後悔しているように聞こえちゃいますかね。そうではないんです。宣言するのは時代柄難しかったと思うし、なにより今の自分が大好きなので、結果オーライなのです。

とにかく、子供の頃から私は仕事が人生の大半を占めるような大人になるとは全く思っていなかったし、好きなことをつまみ食いして、その恩恵を周りにお裾分けしていく方が性分に合っていると今でも思っています。

でもね、高校生や大学生になるとね、不思議と自分の感覚って、1回すみっこに置いちゃうんですよ。

目が拓けてく時期だからだと思います。色んな言葉や概念を身体で覚えて、尊敬する人なんかも現れます。だから、1回周りの話に耳を傾けてみて、少し世界を広げてみよう、という段階に入るんですね。これ自体は全然悪いことではないです。

でもでも、やっぱり大人になると分かるんです。ああ、子どもの時のあの違和感は当たっていたなって。会社員でバリバリやるよりも、好きなことちょこっとずつ、いいバランスでやってくのが私っぽいわーって。

感覚とか感性は、子どもも大人も変わらないと私は思います。大人になるにつれて研ぎ澄まされていくのではなくて、ずっと自分の中にあるもの。生まれた時から変わらずに、存在しているものだと思うんです。

だから大事にしたいです。

自分にとって仕事ってなんだろう?そう思った時は、感覚と感性に聞いてみる。そしてバランスを調整してみる。

仕事とのよい距離感を見つけたいものです。



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