見出し画像

「おもひでぽろぽろ」①高畑勲監督の人間の心の描き方

映画「おもひでぽろぽろ」を観ました。そこから感じたことを綴りたいと思います。

まずは高畑勲監督について。

引用元:スタジオジプリ


ジブリ映画といえば、宮崎駿監督。

「火垂るの墓」もジブリ映画だけど、なんだか佇まいが違うな〜と思っていましたが、監督が違うと明確に認識したのは大人になってからでした。

そして先日、高畑監督の「かぐや姫」を観ました。

引用元:スタジオジプリ

この映画、とても味わい深く素晴らしくて。こちらもまた綴れたらと思っていますが、高畑監督というのは登場人物、特に主人公を「ヒーローで憧れる存在!」という人物像としては描かない方だと思います。

自分の中にもある、「このままじゃいけないよね」という人間の心をさりげなく描いてくる。さりげないんです。こっちがそう捉えないと気がつかないくらい。だからいい。説教臭くない。

そんな意識で、改めて、高畑監督作品「火垂るの墓」を考えてみることに。

引用元:スタジオジプリ

初めて観たのは小学生、低学年。あまりに衝撃的で「怖い!」という印象だけが強く残り続けました。

いつしかそれが「戦争は怖い」「戦争はだめだ」という印象に変わり、「節子と清太くんに、どうして叔母さんはこんなに厳しいの?」なんて思っていました。

でも、歳を重ねた今、そして母となり、改めて観ると、印象が大きく変わり「叔母さんの気持ち、わかります…」「清太、もっとしっかりしないと…」と清太に喝を入れたくなる私。

清太は14歳。戦争で両親を亡くし、家もなくなり、その辛さは私にはわかりきらない。でも、居候させてもらっているのだから、働くなり、食べ物を生み出すなり、協力しないといけないよね。みんな大変なのは同じ。

叔母さん、何だかんだ言いながらも受け止めてくれていたし、清太への指摘も間違っていなかった。でもそれを否定的に感じてしまう清太。私も。

ニートでは、自分だけならまだしも、大切な人(妹)は育てられないよ、共に生きていけないよ、という現実を描いた作品のように感じていました。

清太の家はおそらく裕福な家庭だったと思います。苦労がないと、いざというときに「自ら何とかする!」という意識が湧きにくいのかもしれません。誰かが何とかしてくれると思ってしまいがち。

これは私にもとても共通する、共感してしまう要素なんです。ありがたいことに、いつも何とかなって、大した苦労もなく生きてきました。若い頃はそれでうまくいってしまっても、年齢を重ねると、人間味がなくて、人として魅力がなくなっていくのです。

苦労するのは人間の成長のために必要な糧。

でも、結婚や子育てというイベントがあると、それで自分の役割のようなものが与えられて、自分の人間味なんてものに気がつかずに時が過ぎてしまうもので。

子どもの手が離れた時に、ふと、あれ、私って何がしたいんだ…?みたいな満たされない思いに気づき始めていく…。

って話が逸れましたが、高畑監督は人の心を表現する天才だと思います。

一番右が高畑監督  引用元:FILMAGA

火垂るの墓は主人公が10代の男の子、しかも時代は戦争。今の自分に置き換え難いところもありました。

それがこの「おもひでぽろぽろ」は日常生活が舞台だからこそ、よりリアルに自分の中の「そのままじゃダメですよね」というところを映画で演出してくる。

それを押し付けることなく、皮肉ることもなく、美しい景色と音で包み込みながら。

40歳となり、そしてここ数年は色々と葛藤を繰り返してきたからこそ、「おもひでぽろぽろ」は心に響いてくる。

映画はそんな楽しみ方、味わい方がありますね。というよりも何でもそうなんだろうなぁ。

自分が成長することで、世の中にすでに在るものを受け取る器やアンテナが増えていく。それは同じ場所で生きていても、受け取るものが増えて、それが自分を豊かにしてくれるように思います。

ということで②に続きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?