【ココロコラム】勉強の意味

以前、大学入試で、試験中にインターネットで答えを質問した受験生が話題になりました。よろしくないことではありますが、試験制度の裏をつくとでもいうのか、すごいことを思いつくものだとは思います。

これを機に、試験という形態も徐々に変わってくるかもしれません。今回の事件で明らかになったのは、大学入試とは、人に聞けばわかるようなことを覚えているかどうかをみているだけだということです。つまり、そうとうくだらないものです。入試に限らず、試験というのはえてしてそういうものです。

もちろん、たとえば医者が手術中に「あれどっちを切るんだっけ」というレベルでは困るでしょうから、最低限の知識は頭に入れていないと困るのは確かです。しかし、試験は序列をつけるので、必ず試験自体がエスカレートして、自己目的化します。基本を聞いているうちはいいでしょうが、知っていようがいまいが、どうでもいいようなことばかり聞いてくるようになります。

徳川幕府の最初の将軍は徳川家康で、これは常識として知っておいたほうがいいでしょう。ところが、だんだん知らない人が知らない事件を起こして知らない結果になっただけの、生活に何も関係ないようなことを扱うようになります。

そして、それを覚えている人がなぜかできると見なされる。試験のできる子が、なぜか学校全体での存在感が高い経験、下手をすると性格がいいとみなされる経験を皆さんもしたことがあると思います。実際は、それはまったくの虚構です。勉強のできと性格はなんの関係もありません。

では試験や勉強なんてくだらないから、やめてしまえという暴論を言うのではありません。入学試験もそうですが、人間力重視などといって面接試験だけにすると、実際は面接官に好まれる人材が入ってくるだけで、必ずその組織はダメになります。

筆記試験もそれなりに大事ですし、学生の人はある程度は勉強をしたほうがいいです。それは、勉強の内容そのものより、大切な基礎的能力が養われるからです。その基礎的能力、つまり勉強の意味とはなんでしょうか。人によって考えも違うでしょうが、抽象的に物事を考えられるようになるというのが第一点でしょう。

抽象化できるというのは、自分なりの法則を見いだすことができるということでもあります。経験を他人に伝える上で、非常に大事な能力です。

実務的な意味では、やればできるということを理解できるのも大きな要素でしょう。最初やってみたけど、よくわからなかった。でも調べたり人に教わったり、自分なりに工夫することで、できるようになった。このような体験を持っているかどうかは、かなり差がつきます。やればできると思っている人と、できるかどうかわからないと思っている人では、最終的に結果を出す可能性がかなり違ってくるからです。

また、失敗してもまたやればいいということがわかるのも意義のあることです。勉強したことはだいたい忘れます。でも、またやればいずれできるようになる。試験にしても、失敗することもあるでしょう。でも次回挽回すればいいやという考えが浮かぶかどうか。

冒頭の試験中にインターネットに質問した人は、試験に人生を賭けすぎたのかもしれません。失敗しても他でやり直せばいいだけです。何回かチャレンジしていれば、そのうち結果はついてきます。そこが実感できるのも、勉強のいいところでしょう。

勉強自体には価値はほとんどありません。勉強を通して身につけた能力を、社会にどこまで応用できているかです。そのなかでも、「やればできる」という感覚は、精神科医からみるとかなり重要なことのように思えます。

(精神科医・西村鋭介)


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